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二十三章 苦悩の正者‐fault‐(1)

 ざーざーと音を立てて、酒場の外で雨が絶え間無く降り注ぐ。
 窓に打ち付けるそれらを頬杖を突いてぼんやりと眺めながら、ファニーはこの間の事を考えていた。けれども、そこに関連してそれ以前の事まで思い返してしまった瞬間、慌てて持ち上げた頭を思いきり左右に振る。そうして振り払ってから、ふと、酒場の隅のテーブルとその周囲を丹念に掃除している青年に気付いた。
「ウィラード? 何してるの?」
 呼びかけてみれば、彼はすぐに気付いて彼女を振り返る。
「えっと、この後お客さんが来るから、今のうちに掃除しておこうと思ったんだ」
 言いながらも手を休めないウィラードである。
 そんな様子を彼らしいなと思いながら眺めつつ、はて客とは誰の事だろうかとファニーは考える。しかし悲しいかな、思い当たると言うか当てはまる人物が一人だけしか居ない事に即座に気付いてしまった。
「ウィラードは、今日メイジェルと会う約束があるの?」
 彼はその性格もあってか〔屋形船〕の外にはあまり親しい者が居ない。加えて言えば、わざわざ彼に会いに来てくれるのは〔ユビキタス〕のメイジェルくらいなものである。
「うん、まだもう少し時間があるけど」
 ファニーの推察は的を射ていたらしく、肯定の意が返された。
 通りで顔色も良く咳をしていない上、背後に花が浮かんで見える訳だと呆れたファニーだが、一応その気持ちが理解できる身としてはすぐに笑みを浮かべるのだった。
「それまでに雨、止むと良いわね」
「そうだね。ありがとう、ファニー」
 一旦振り向いて心の底からだと判る礼を述べたウィラードの背中を再び眺めつつ、ふと今日に限っては彼をからかう連中が居ない事に気付いた。見回してみても、現在この場には自分達二人しか居らず、そう言えば今日は雨が強いので他のメンバーはもしもの事態の為にカンビオのパトロールに行っているか、あるいは上で二日酔いにやられているかのどちらかだと思い出す。
 窓の外で振り続ける雨は、今のところ止む気配が無い。
「そう言えば、レオンは今頃何をしてるのかな?」
 唐突にウィラードが話題を振ってきたのでちょっぴり驚いたファニーだったが、言われてみれば確かに気になる内容だったので考えてみる。
「そうねぇ、相変わらず《情報屋》のお尻でも追いかけてるんじゃないのかしら?」
「ファニー、その言い方はどうかと思うよ……?」
 あっけらかんとして言った少女に青年は苦笑するしかない。
「でも、そうだね。レオンならありえなくはないね」
「本当よ! ……レオンったら、本当に今どこに居るのかしら」
 怒ったかのように呆れ返ってから、まるで恋する乙女のように憂鬱そうな顔となったファニーは、上半身を横に倒して窓硝子に頬を押し当てる。雨が降っているからなのか、素肌で触れた窓はひんやりと冷たかった。


(レオン、大丈夫かなぁ)
 機械都市ペリフェーリカでの一件があった翌日、隣町である[水の町ヴァッサーミューレ]の宿屋の一室にて、ターヤは窓に片頬をぺたりと押し付けながら、今この場には居ない青年のことを考えていた。
 本来ならばあのままペリフェーリカの宿屋に宿泊する予定だったのだが、その前に墓地にレオカディオの墓を作っていたところで、いつの間にか居なくなっていたレオンスを連れたオーラが戻ってきたのだ。そして墓作りを手伝った後、ここではいろいろとあったからなどと何かと理由を付けて押しきり、隣町であるここまで一行を移動させたのだった。

 ちなみに、あの後ターヤが更に踏み込んで調べてみたところ、やはり処理場で別機種の魔導機械兵を動かしていたのはレオンスの知人を素体とした人型魔導機械兵だった。構造が酷似している点から、それらが同じ場所で造られたのだと言う事も解った。おそらくは工場地帯に〔ウロボロス連合〕の工場があり、そこで造られたのだろう、と言うのが彼女の見解である。また、人型故に心臓があった場所にコアを埋め込んでも動いていたのだろう、とも。
 ところが、宿に備え付けられていた今朝の〈日刊ミーミル〉を見たところ、昨夜未明ペリフェーリカの工場が一つ消失し、そこから数人分の遺体と〔ウロボロス連合〕のマークが発見されたと報じられていた。
 その記事を見た時、もしかしてとターヤは思った。昨晩のレオンスの様子と言い、オーラの不審な態度と言い、そちらにしか考えが行かなかったのだ。他の面々も同じ事を考えているらしく、そこが益々ターヤの中でその説を加速させていた。
 しかも、当人は朝方に皆を避けるように宿屋を出ていってしまったきり、戻ってこない。
(やっぱり、レオンが……?)
 再び思考がそちらに行きかけて、慌てて首を横に何度も振る。違うのだと、彼は人殺しなどしていないのだと、信じたかった。
 そこでふと、マンスはどう思ったのだろうかという方向に思考が移動する。そっと窺うようにして椅子に座った彼が居る方向に視線を向けてみると、ばっちりと目が合う。つい速攻で逸らしてしまった。
(えっ、え、マンス今こっち見てたよね!? 目が合ったよね!?)
 途端にパニックに陥る。今現在、ターヤはマンスと顔を合わせづらい心境にあった。なぜなら彼女は工場跡地での自身の発言が原因で、彼との間に気まずい雰囲気を作ってしまい、そのせいで接しづらくなっていたからである。
(そもそも、わたしがあんな事言っちゃったから……)
 よりにもよって少年が実の家族のように大切に思っている精霊を、人より格下に見ているような発言をしてしまったのだ。
 実際、そんな事は思ってなどいない。ただ単に、今の今までターヤは『精霊』という存在を、一歩下がった枠組みからしか見れていなかったのである。おそらく彼女の世界には『精霊』という種族は存在しておらず、故に彼らをどこか幻想的な存在として認識してしまっていたのだろう。
 その認識のずれが、今回の状況を生んだのである。
「……おねーちゃんは」
 ふと横合いから飛んできた言葉に、反射的にターヤは固まった。恐る恐る首を動かしてみれば、予想通り椅子に腰かけたマンスが彼女を凝視している。どくり、と心臓が跳ねた。
 少年は少年で、ひとまずそこで言葉を切ったものの、すぐにまた口を開いた。
「異世界の人なんだよね?」
 予想外すぎる発言に目を瞬かせたターヤだったが、我に返ると同時に首を縦に振る。
「じゃあ、おねーちゃんの世界には精霊は居ないの?」
 この発言に、ターヤは瞼の開閉を何度か行う。それから、もしやマンスも今回の原因となっているずれに気付いてくれたのだろうか、という期待を抱いた。それならば誤解が解けるので、自分がきちんと謝ればマンスと仲直りをする事ができるとターヤは考えた。故に、大きく首を縦に振る。
「う、うん!」
 しかし、それを聞いた瞬間、少年は表情を険しくしただけだった。
 予想とは異なる反応に少女はぽかんとしてしまう。
「おねーちゃん、遺跡の所で殺人鬼を庇ったよね? あれは、おねーちゃんの世界ではそうするのがあたりまえだったからなの?」
「……マンス?」
 彼がいったい何を言っているのか、ターヤには全く解らなかった。思わず訝しげに眉根を寄せてしまう。
 逆にマンスはどんどん険相になっていく。
「おねーちゃんは、解ってないよ。この世界の事だって、ぼくらの事だって」

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