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二十二章 悪夢は廻る‐machine‐(9)

「アシュレイ」
 迷いがありありと感じ取れる声で名を呼ばれて、更に彼女は眉を顰める。
 肩越しに移されてきた射抜くような鋭い視線は気にせず、レオンスはオーラ同様頼み込む。
「頼む、もう一度、俺に時間をくれないか?」
 気に入らない、と瞬時にアシュレイは内心で悪態をつく。その遠慮がちな言い方も様子も気に入らない、言いたい事があるならはっきり言え、と半ば八つ当たりのような思考になる。
「勝手にすれば?」
 それでも結局、アシュレイは投げやり気味に了承してしまった。強引になりきれずとも意思の籠ったレオンスの眼を目にして、どうとでもなれという考えに至ってしまったからだ。
 逆に、それを聞いたレオンスは安堵したように少しばかり表情を綻ばせ、それからオーラの方を見る。
 彼女は彼に頷くと、音も無く支えにしていた両腕を離した。
「レオカディオ」
 それを待たず、もう一度名を呼ぶ。今度は思いきって。
 オーラが使用した時属性の魔術〈体感停止〉は、対象の時間だけを止める魔術だ。これにより、意識があるのにまるで身体が動かなくなってしまったかのような錯覚に相手を陥らせる事が可能なのだそうだ。
 故に相手から反応は無いものの、聞こえていると信じてレオンスは続ける。
「もし、意識が残っているのなら、俺の話を聞いてくれないか? ……あんな事を仕出かした俺の言うことなんて聞きたくはないだろうけど、頼む……!」
 頭を下げるように俯き、両側に下ろしていた拳を握り締める。
 しかし答えは無く、やはり駄目なのかと諦めかけた時だった。
「……レ、イ……」
 奥底から絞り出してきたような掠れ声が耳を打つ。
「!」
 瞬間、弾かれるようにしてレオンスは顔を持ち上げ、眼前の人物を凝視していた。
「レオカディオ!? 俺の言葉が解るのか!?」
 無意識のうちに足が前方へと向かって進められていくが、本人はその事にすら気付かない。彼の意識はあくまでも、死んだと思っていた知り合いが生きているかもしれないという期待に埋め尽くされていた。
 そんな彼の好きにさせつつもアシュレイは警戒を解かず、マンスは心配そうに不安そうに見守り、そしてオーラはただただ無言で彼の背中を見つめていた。歯が下唇を噛んだ。
 顔に明るさを取り戻しそうなレオンスへと、再び魔導機械化された人物は言葉を向ける。
 けれども、久方ぶりに喉を使ったと言わんばかりの彼の声はひどく掠れており、聞きとるのはなかなか至難の技だった。
「レオカディオ? 何て言ったんだ?」
 聞きとれなかったレオンスは問う。頭の中は、ただただ期待でいっぱいだった。
「……に、げろ……!」
「エスコフィエさん!」
 え、と呆けた表情になったレオンスがその意味を問うよりも早く、アシュレイとオーラは駆け出し、そして魔導機械兵からは黒い靄が飛び出していた。
 見てしまったそれに呆然と立ち尽くす青年へと、黒い靄が襲いかかる。
 だが、それよりも早くその間に割って入ったオーラが防御魔術を発動してそれを防ぎ、相手の懐に飛び込んだアシュレイは乗せた勢いのままにその腹部辺りをレイピアで突き、後方へと無理矢理下がらせた。
「エスコフィエさん!」
 再度強い調子で名を呼びながらオーラはレオンスの両肩を掴んで揺さぶるが、彼は今し方目にした光景が瞳に焼きついて離れずにいた。頭の中は真っ白になっていた。
 そちらを一瞥してから、アシュレイは今度こそ前方の人型魔導機械兵を破壊するべく武器を構えた。

 かの人型魔導機械兵には、もう『レオカディオ』本人としての意識は無いようで、その瞳は色を失くして元の虚ろな状態に逆戻りしている。それどころか、それまでは隠れていたのか眠っていたのかは解らないが、彼に掬っている闇魔が表に出てきた為、その目と髪が急速に漆黒へと染まっていた。
 そこでようやくレオンスの意識は現実へと返る。
「ま、待ってくれ! まだ――」
「もう駄目よ」
 三度目は無い、と振り返らないアシュレイは言外に語る。それから一度だけ視線を放った。
「彼が大切なのなら、ここで静かに眠らせてやりなさい」
「っ……!」
 アシュレイに言い返す事もできず、その言葉を胸に突き刺されたレオンスは項垂れる。
 すっかりと動かなくなってしまった彼と残りの面子への連絡をオーラに任せ、アシュレイは倒れた姿勢から立ち上がりつつある人型魔導機械兵を――その周囲を取り巻く黒い靄を睨みつけた。
(それにしても、まさか闇魔が憑いてたなんて……更に厄介な事になったわね)
 ただでさえコアがどこにあるかも解らないと言うのに、その上アシュレイでは倒すどころか攻撃する事すらできない闇魔が憑いているときたものだ。しかも一行の中で彼らに対抗できる加護を受けた二人は今、別の場所に居る。
 何て間の悪い、と脳内で舌打ちしてから、アシュレイはレイピアを構えて飛び出した。
「マンス、援護をお願い!」
 鋭く指示を飛ばされた少年もまた我に返り、慌てて《水精霊》を見上げる。
「ウンディーネ! あの人の動きを止めて!」
 了解の意を示すや否や、巨大な魚はそれまで消火に使ってきた水をかき集めて人型魔導機械兵の許へと集結させた。
 急に集ってきた水により足元が不安定となった相手はバランスを崩す。
 この状態を維持するべく《水精霊》はひたすらに相手の足元に止めた水を渦潮の如く渦巻かせ、アシュレイは相手を撹乱するべく周囲をひたすらに移動しながら時おり攻撃を加えた。それでも相手が動いている原因が闇魔なのではないかと考えると、その手も鈍ってしまう。
(あたしも、随分と甘くなったものね。……それに、そろそろやばいわね)
 そんな自身に呆れつつ、同時に体力が限界へと近付いている事が手に取るように解ったので一旦後退する。
 相手に憑いている闇魔も馬鹿ではないようで、バランスを崩したまま《水精霊》と少年へと我武者羅に弾丸を放っている。オーラが防御魔術で防いではいるが、時間が立てば相手が何かしらの策を講じてくる恐れもあった。
 どうしたものかと思ったところで、
「――〈閃光〉!」
 唐突に凛とした声が耳に届く。
 次いで、眩い光が人型魔導機械兵の居る場所を中心として周囲を覆った。
「アシュレイ、心臓だ!」
 その声の主と魔術の使い手が誰なのか脳が理解すると同時、アシュレイは駆け出していた。すばやく相手の眼前へと肉薄し、レイピアをまっすぐに構え、そして射出するかのように一直線に突く。
「――おやすみなさい」
 引っ張り出すようにして言いながら、静かにアシュレイは目を閉じた。武器が何か硬い物体を貫いたような感覚と、あの懐かしい感覚を手まで伝えてきたが、それでも頑なに目は開けなかった。
 しばらくしてからゆっくりと瞼を押し開けてみると、眼前ではあの人型魔導機械兵がアシュレイに凭れかかるようにして動きを止めていた。レイピアは心臓部分に刺さっており、その傷口からぼろぼろと装甲が崩れ落ちた先ではコアが姿を見せていた。まるで心臓があった場所に無理矢理コアを埋め込んだようだった。
(……ああ、ここにあったのね)
 不思議と冷静でいられた。
 ふと何となく気になって顔ごと視線を動かせば、レオンスがこちらを呆然と見ていた。その瞳は焦点が定まっていないようで、あれ程想っているオーラが傍に居て甲斐甲斐しくしてくれているというのに気付いていないようだった。

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