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二十一章 砂漠の星空‐mixture‐(8)

 一行が聞いていたならば首を傾げるような内容だったが、付き合いの長いディアナには、他人には変わらぬ無表情に見えるホークアイの表情の機微が簡単に読み取れるようになっていた。まるで母親のような言い分のディアナに対し、ホークアイはあくまでもからかうように不遜な態度を取る。
「だが、そのような俺が好きなのだろう?」
「そうね、そういうあなたが好きよ」
 もう十年も一緒に居るのだからいっそ開き直ってやれと思い、ディアナは流されるようにして認めた。しかしそれを耳にしたホークアイが柔らかく優しげに微笑むものだから、恥ずかしくなって話題を逸らそうとしてしまう。
「そう言えば、あたし達についても結構話しちゃったわね。話しておいてなんだけど、大丈夫かしら?」
「当たり障りの無い情報だけだった。問題は無いだろう」
 そんな彼女に対して若干渋い顔付きになったものの、結局は自分に甘いホークアイに苦笑してから、ふとディアナは表情を変化させた。
「それにしても、本当にルツィーナにそっくりだったわね、あのターヤって子」
「そうだな。おそらくリノや主から先に話を聞いていなければ、俺達も本人だと間違えていたのだろう」
「そうね。でも、あの子はもうこの世界には居ないから――」
「ディアナ」
 最後まで言わせてくれないホークアイに対し、申し訳無さそうに微笑む。
「ごめんね、ホークアイ。あの子と同じ顔を見たら、何だか感傷的になっちゃったみたい。もう一杯注いでくるわ」
 そう言ってディアナは立ち上がると、台所まで行ってコップに二杯目の水を注いだ。
 と、そこで彼女は家の外が少々騒がしい事に気付く。何か起こったのだろうかと何気無く視線を窓の外に向ける。
「!」
 そして固まった。手から滑り落ちたコップがシンクの中に落ちていき、ぶつかって大きな音を立てて転がる。中に入っていた水もまた、シンクにぶちまけられる事になっていた。
「どうした、ディアナ?」
 突然の音を不審に思ったホークアイは、立ち上がると彼女の傍まで行った。謎の音の正体は合点がいったが、同時に彼女が硬直している事にも気付いた。何か衝撃的なものでも見てしまったようだと、その目が凝視している方向を見てる。
「――っ」
 そうして彼女と同じく、窓の外に居た人物を目にして言葉を失くす。その両眼が見開かれた。かと思いきや、次の瞬間にはホークアイはディアナの腕を掴み、引っ張るようにして家を飛び出していた。
 最初は彼に引っ張られる形となったディアナも、すぐに自分で足を動かす。そしてそのまま視界の先に居る背中へと、ディアナは――イヴァナ・ディーゼルは、彼女を知っている方の名で呼ぶ。
「オリーナ……!」
 瞬間、驚いたように彼女は振り返った。それに伴い、長い銀髪が宙に舞った。
 その顔を目にした時、やはり人間違いではなかったと二人は確信する。幾ら髪形や服装や雰囲気が変わっていたとしても、記憶の中の彼女の顔と一致したのだから。何より『家族』であった自分達が、彼女を見間違える筈が無かったのだから。
「御久しぶりです、ディーゼルさん、ロンバルディさん。貴方方がこちらに住んでおられる事は存じておりましたので、気付かれたくはなかったのですが」
 彼女の方はと言えば、諦めたように一息吐いてから一礼した。
 本人が認めた瞬間、ディアナは飛び付くようにして彼女の両肩を掴んでいた。彼女と何事かを話していたらしき長と人々の姿は、全く視界には入ってこない程だった。
「どうして今まで姿を見せなかったの!? どうして真っ先にあたし達のところに来なかったの!? ……どうして、あの時あんな事をしたのっ……!」
 堰を切ったように喉の奥から言葉が溢れ出す。自分でも止められる気がしなかった。
 今回ばかりはホークアイの制止が入る事も無かった。

 しかし、彼女は何一つとして向けられた問いには答えなかった。口を開こうとさえしない。
「どうして、何も答えてくれないの……オリーナっ!」
「いいえ、私は『オーラ』と申します」
 ようやく返された応えは二人が望んでいた類のものではなく、本人によるその名の否定だった。まるで自分は別人なのだとでも言うかのように、彼女は張り付けたような笑みを浮かべたままだ。
 ディアナとホークアイに衝撃が走ったのは言うまでもなかった。わたくし、と彼女が口にした一人称をディアナは無意識のうちに反芻する。そこからも、彼女が昔を切り捨てようとしている事が手に取るように解ってしまった。自然と顔が下方を向く。
 しばらく三人の間に無言の時が過ぎる。肩を掴んでいる腕は簡単に振り解けると言うのに、彼女はさっさと居なくなろうとはしなかった。ホークアイが思い出したように視線を移せば、ディアナの剣幕と切羽詰まった様子に驚いたのか、あるいは配慮してくれたのか、彼女の後ろに居た長と人々はとうにその場から居なくなっていた。
「今日は、どうしてここに来たの?」
 随分と間を開けてディアナが口にできたのは、それだけだった。顔を持ち上げる事もできない。
 それでも彼女は律義に答えてくれた。
「所用で砂漠に赴きましたところ、途中で砂漠の民の方が亡くなられておりまして、御遺体をこちらに御連れしただけです」
 見れば、彼女の手と袖、そして胸部の下辺りは血と砂とで汚れていた。おそらくは死体を横抱きにして砂漠からフォーンスまで連れてきてくれたのだろう。そして先程までいた長と人々はその死体を回収し、彼女に礼を伝えていたのだろうとホークアイは思い至る。
「そっか……それは、ありがとう」
「いえ、私がそうしたかっただけですから」
 ううん、とディアナは首を横に振る。そうして再び彼女と合わせた顔は、嬉しそうに微笑んでいた。彼女がその面に驚きを顕にするくらいの変わりようだった。
「それでも、オリーナがまだ優しい子だって解れたから、良かったわ」
「ですから、私は――」
 言い返しかけて、けれど諦めたように彼女の言葉は途中で途切れた。その代わり、今度こそ両肩を掴んでいた手を静かに優しく外すと、彼女はディアナとホークアイへと一礼する。
「御待たせしている方々がいらっしゃいますので、私はこれにて失礼させていただきます」
「その人達って、ターヤ達のこと?」
 確信を持ってディアナがそう言えば、踵を返して向けられた背中がぴたりと停止した。ああやっぱりか、と思う。特に彼女と彼らの関係性を示すような事柄を見た訳でも聞いた訳でも無かったが、それでも何となくそう思えたのだ。
 そのまま数秒程停止していた彼女がようやく顔だけを振り向かせてきた時、次は二人の方がまるで魔術をかけられたかのように硬直する番だった。
「もう二度と、会う事がありませんように。さよなら、イヴさん、セルジュさん」
 久方ぶりに目にしたオリーナの顔で悲しそうに笑って、そして彼女は去っていった。決して、振り返る事は無かった。


「! あれ!」
 オーラと再度別れてから言葉少なに砂漠を進んでいた一行だったが、延々と続いていた砂地の終わりが見えてきたと思ったところで、今度は別の方に気を取られる事となった。
 それまでの感情も心情も綺麗さっぱり忘れたかのようにマンスが反応したのは、宙に浮かぶ巨大なハリネズミと、彼を取り囲む数人の男性の姿だった。どうやら〔ウロボロス同盟〕が《鋼精霊》を捕獲しようとしている場面に遭遇したらしい。
「あいつら懲りねぇなぁ。いっそアシヒーの奴に食われちまえば良いのによぉ」
「全くよ。全員そのまま砂漠で遭難して野たれ死ねば良いのに」
 砂漠の過酷さと先程の一件ですっかりと気分が下がってしまっているのか、アクセルとアシュレイの〔ウロボロス同盟〕に対する意見は実に辛辣で攻撃的だった。しかもアシュレイに至っては、法を司る軍人として言ってはいけない内容である。
 そんな二人に内心困りつつも、エマは宥めようとはしなかった。

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