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二十一章 砂漠の星空‐mixture‐(12)

「特に深い意味はありませんよ。ただ、今は人払いをしていて、ここには私と貴殿しか居ませんから、久しぶりに昔のように名前で呼び合ってみても良いのではないかと思っただけです」
 瞬間、エルシリアの笑みが無機質なものへと一転する。彼女の手が、クライドの首にかけられた。
「あまり冗談が過ぎるようでしたら、その首を絞めてしまいますけど?」
「貴殿は、やはり随分と変わってしまったのですね。昔は、あれ程可愛らく私を慕ってくれていたというのに」
 緊張してきた空気を意にも介さずにクライドがわざとらしく嘆けば、エルシリアを取り巻く冷気は機嫌と共に更に急降下していく。
「幾ら《教皇》様と言えど、ふざけるのも大概にしていただけませんか?」
「おや、私と婚約者であった事を、貴殿はそれ程までに無かった事にしたいのですか?」
「《教皇》様? どこまで私を怒らせたいのですか?」
 完全に色を失ったエルシリアの瞳がクライドを捉え、その手に力が籠り始める。彼女の眼は、本気だった。
 これにはクライドも困ったように苦笑するしかない。
「流石にやりすぎたようですね。ですが、この場で有利なのは貴殿ではなく私の方なのですよ」
 上からしっかりと身体ごと動きを抑えつけられて本気で首を絞められそうになっているというのに、少しも余裕を崩さない《教皇》をエルシリアが不審に思った時だった。
「っ!?」
 突如として、彼女の首を電流が走る。予期せぬ衝撃に彼女が動揺して滅多に無い隙を見せた瞬間、クライドは普段の頭脳派な印象からは想像もできないような俊敏な動きで緩んだ拘束から脱すると、逆に強い力でエルシリアを再びベッド上へと戻した。一瞬の早業だった。
 それからクライドは今度は脇の椅子ではなくベッドの縁に腰かけ、首だけをエルシリアへと向ける。そこには変わらぬ余裕が浮かんでいた。
 だが、先程見せた前衛張りの動きぶりについて皮肉る事を、今のエルシリアはしなかった。それよりも他に思考を占めるものがあったのである。
「何を、したの?」
 口調が昔のものに戻っている事にも気付けず、エルシリアは呆然とした様子で問う。身体は痺れているようで、クライドに拘束されていなくても指の先すら動いてはくれなかった。
 すっかりと普段の余裕を失ってしまっている彼女に優越感を覚えつつ、クライドは答えてやる。
「貴殿がいつから目が覚めていたのかは知りませんが、首元に違和感を感じませんでしたか?」
 言われて初めて、エルシリアは自身の首に何かが付けられている事に気付く。クライドに髪を触られた事で目を覚ました彼女は、いかに彼の意表を突いてやろうかという方にばかり意識を取られてしまっていた。故に、そちらを認知できなかったのだろう。
 それすらも読みとったクライドは更に優越感を増していく。
「それは〈服従ノ首輪〉と言いまして、貴殿が使用している〈洗脳スル眼〉と同じ系列の魔道具ですよ。意思は奪わない代わりに、主人の意思で身体の自由は制限できるようになっているという訳です。無論、主人は私に設定してありますので」
 直後、彼女の顔付きが変貌した。
「クライドっ……!」
 憎しみを込めてエルシリアが、苦しげに、悔しそうに、憎々しげに名を叫べば、途端にクライドは至極嬉しそうに表情を一変させた。それを待っていたと言わんばかりに。
「ああ、ようやく久しぶりに私の名前を呼んでくれましたね、エルシリア」
 完全に相手のペースに陥っている事を悟ったエルシリアは、せめてもとばかりに嫌みを飛ばす。
「今の貴方は、本当に可哀相ね」
「何とでも言ってください。私は今、非常に幸せなのですから」
 全く動じた様子も無くエルシリアの髪を愛おしげに撫で、再び手に取って掬い上げると、クライドはそこに口付けたのだった。

  2013.10.06
  2018.03.13加筆修正

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