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二十章 夢の跡地に‐Nirvana‐(9)

『はい、お待ちしてます』
「あ、でも、おねーちゃんがニルヴァーナを喚び出せるようになったら、テレルとカレルを呼べなくなっちゃうんじゃ……」
 嬉しそうにニルヴァーナが微笑んだところで、ふとマンスが思い立ったように声を上げた。その口が半開きの状態になっている。
 言われてみれば確かにその通りで、ターヤもまた「あ」と口を開けた。
『あら、双子龍ともお知り合いで? でも確かに、ターヤさんが私を喚べるようになれば、彼らの出番も無くなっちゃいますね。私は少々特殊な龍でして、小さくなる事もできますから〔教会〕の目も欺けるかもしれませんし』
 この通り、とニルヴァーナはターヤが両腕で抱えられるくらいのサイズに縮んでみせる。
 胸の奥で鼓動が早まった気がして、無意識にターヤは胸部に手を当てていた。
(か、可愛い……!)
「そんなぁ」
 しかし、がっくりとマンスが肩を落とした事で、ターヤは現実に引き戻される。小さいニルヴァーナに心を奪われている場合ではなかった。自分がその原因の一端を担っているだけに、彼にかけられる言葉が見つからない。
「そんなにがっかりするなよ、マンスール。カレルとテレルはおまえの友人だけど、元々セアドの相棒なんだ。そんなに頻繁に呼び出していたらセアドに申し訳ないし、何より二人も疲れるだろう?」
 と、ここでレオンスが助け船を出してくれた。マンスを気遣いつつも、さりげなくターヤ側の意見を通そうとしているようだ。
 マンスは不服そうだったが、レオンスの言葉には渋々と頷いた。
「うん、そうだね。テレルとカレルには会いたいけど、無理させちゃいけないもんね」
「ああ。けれど友人に会いたいというのは普通の事だから、偶には呼び出してみても良いんじゃないか?」
「うん、そうする。ありがと、おにーちゃん!」
 笑顔に戻ったマンスに「どういたしまして」と微笑むレオンスを見ながら、その手腕にターヤは感服するしかなかった。どうやら彼は、マンスというか子どもの扱いに慣れているようだ。
『それにしても、その出自で《精霊王》の器なのだから、本当にあなたは特別なのですね。流石は精霊の愛し子』
 ふと思い浮かんだままにニルヴァーナがそう言った瞬間、レオンスがさっと顔色を変えて振り返った。そのまま白龍を凝視する。
 彼に庇われるような姿勢となったマンスもまた、驚きを顕にしていた。
 二人の反応とニルヴァーナの言葉に、しかし意味の解らない残りの面々は戸惑うばかりだ。
「その話は、また今度にしないか?」
 けれども誰かがそこについて言及するよりも早く、レオンスが先取りしていた。
『それもそうですね。失礼しました』
 強い視線を向けられたニルヴァーナも特に続ける気は無いようで同意する。
 逆に、気になる事案の発生してしまった他の面子だったが、レオンスの態度と話が一度流れてしまった事で掘り起こす気にもなれないでいた。アシュレイだけは、じっとレオンスを訝しげな目付きで凝視していたが。
 また微妙な空気になってしまったところで、ターヤはもう一つの疑問を口にする。
「そういえば、ニーナを喚ぶには召喚魔術を使わないといけないんだよね?」
『はい。ちなみに私は今まで誰とも契約した事が無いので、詠唱文言もありません』
「……って事は、もしかして、わたしが自分で詠唱文言を考えなくちゃいけないの?」
『はい』
 恐る恐る問うてみたターヤに返ってきたのは、ニルヴァーナの即答と笑顔だった。
 基本的に現存する魔術を構築する為の詠唱文言は、昔から設定されている。元々魔術自体が太古に創り出された上、詠唱ありきの為、少しでも文言を弄ったり言い間違ったりしてしまうと魔術自体が発動されなくなってしまうのだ。

 また、稀に新たな魔術を生み出せる事もあるそうだが、ほぼ九割方それは不可能であると言っても過言ではない。故に新たに魔術を創り出す場合、自ら詠唱文言を設定しなければならないのである。勿論魔術を新たに創造するという行為自体が並大抵の者にはできないのだが、唯一召喚魔術に関しては例外だ。魔物や精霊と契約した場合、以前にも契約者が居たのならばその文言を流用する事ができるが、初めてだった場合は契約者が自ら考え出さなければならない。
 余談ではあるが〈契約〉については知らなかったターヤも、この辺りの知識は魔術を勉強した際に修得していた。
『ちなみに召喚魔術になりますから、四句の文言が必要です。最後に、自身の好きなようにもう一句付け足す事も可能ですけれど』
「やっぱり、既存の魔術みたいな文言にしないといけないの?」
『はい、なるべく則った方が良いかと』
 予想していた事が次々と的中して、ターヤの気分は徐々に下向きになっていく。詠唱文言を考えるだけでも大変だというのに、既存の堅苦しめで詩のような法則から外れないようにしないとは。
 困ってしまったターヤを見てニルヴァーナは苦笑する。
『とは言っても、その法則を丸っきり無視していた人も居るそうですから、そこまで気にしなくても良いと思いますよ?』
 そう言ってもらえると少し気楽に考えられた。気分が元に戻ってくる。
「じゃあ、もうちょっと楽に考えてみるね。でもすぐには思い付かなさそうだし、まだニーナの召喚もできないから、しばらく時間を貰っても良い?」
『はい、どうぞ。私はいつまでもお待ちしてますから』
 言葉通り、いつまでも待っていそうに見える様子でニルヴァーナは応える。
 そこで一旦区切りが付いたと見たのか、それまで殆ど無言だったスラヴィが声を出した。
「これで用は全部終わり?」
「はい。私の用件はこれにて終了いたしました」
 問いかけられたオーラが頷くと、そうと答えたスラヴィは踵を返そうとする。
『待ってくださいな』
 彼を制すかのようにニルヴァーナが声を放ると、その足が止まった。
『この後、急ぐ用事でもありますか?』
「多分無いと思う」
 即座に答えてからスラヴィは皆を見る。
 その行動に呆れつつ誰も異論は唱えなかった。確かに今のところ急ぐ用事も無い。
 するとニルヴァーナはアクセルを一瞥してから再び一行を見回した。
『でしたら、せっかくですから皆さんに寄ってほしい所があるのですけど』
 にっこりと笑みを浮かべたニルヴァーナに対し、一行は不思議そうに互いの顔を見合わせたのだった。しかし反論する者は居ない。
『こちらへ。着きましたら、床を見てくださいな』
 異論が無い事を確認すると、未だ小さいサイズのままのニルヴァーナは自身の居る台座へと一行を呼び寄せる。全員が揃ったところで彼女は空中へと飛び上がり、彼らと共に台座の床を見た。
 台座の床には、一つの大きな魔法陣が描かれていた。ただし、魔術使用時に浮かび上がるものとは違うように術者達には感じられた。今になるまで気付かなかったのは、ニルヴァーナの巨体によって隠されていたからだろう。
『これは〈門〉と言いまして、別の世界へと繋がる唯一の道とされています』
「霊峰の頂上にあった物と同じなのか? あちらは外見も門そのものだったが」
『ええ、そう解釈してもらえるとありがたいです』
 エマの問いには頷きが返される。
 これが別の世界に繋がる代物なのだと知るや否や、マンスが瞳を輝かせた。
「じゃあ、ここを通るとどこかに行けるの?」
『はい。霊峰の門が世界樹の街に繋がっているように、ここからも別の世界に行けます』
 途端に、マンスは更に瞳に宿していた期待の色を膨らませる。霊峰では門番達の不気味さに怯えてそれどころではなかったのだろうが、年頃の彼はこのような話題が好きなのだろう。

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