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二十章 夢の跡地に‐Nirvana‐(10)

 そんな少年を微笑ましそうに見てから、アシュレイは視線を白龍に向けた。
「で、この門はどこに繋がっている訳?」
『それは秘密。行ってみてからのお楽しみです』
 悪戯っぽくニルヴァーナが答えれば、案の定アシュレイは呆れ顔になる。阿呆かとでも言いたげな目付きだった。
 さらりとそれを交わして、ニルヴァーナは皆を見回す。
『準備は宜しいですか? では――「ニルヴァーナの名において命ず、起動せよ、門」』
 それから地には足を付けぬまま魔法陣の中央に移動すると、文言を唱える。彼女が言い終えた時、足元の魔法陣が反応を示した。描かれた線に沿い光を発して起動したかと思いきや、台座全体が光に包まれる。
 そして気が付けば、一行は見知らぬ場所に居た。
 そこは、見渡す限り自然に覆われた場所だった。元の世界でもこのような光景は見られるが、決定的に異なるのは、雰囲気が穏やかで植物が生き生きとしている点だろう。また、動物の姿は一匹も見受けられなかった。
「どうやら別の世界みたいね」
「けど、どこかまでは判らないな」
「もしかして、ここって[聖獣界]?」
 アシュレイとレオンスが周囲を観察しながら呟く中、ふと思い立ったようにスラヴィが首を傾げれば、ニルヴァーナは首肯してみせた。
『そう、聖獣界アースガルズ。聖獣の住まう地。その内の、龍が支配する地域。他の区画まで行けば《ユニコーン》や《ペガサス》にも会えるかもしれませんけど、今回はそのような暇は無いと思ってくださいな』
 そうは言われても、その名に聞き覚えのある者は殆ど居なかった。驚きを示さなかったのはスラヴィとオーラくらいだ。
『あら、まずはそこから説明が必要みたいですね。でも、そうなると[七大世界]から話さなきゃならなくなりそうなので、目的地に着いてからにしますね』
「七大世界?」
 スラヴィ同様小首を傾げたターヤだったが、ニルヴァーナは一行を先導するべく移動し始めただけで、答えてはくれなかった。ほんの少しだけ悲しくなった。
 かくして一行が進み始めれば、今度はレオンスが異なる疑問を放る。
「それにしても、君達龍はプライドの高い種族だと聞くけれど、なぜこの世界に君達以外の聖獣が居るんだい? 彼らを襲おうとは思わなかったのかい?」
 確かに、言われてみれば気になる点ではあった。先程ニルヴァーナがこの世界にはユニコーンやペガサスが居ると言っていたという事は、龍との関係は悪くはないのだろう。人間やエルフなどとは異なり聖獣は基本的に数が少なく、襲われれば簡単に絶滅しかねないのだから。
 一方、問われた側であるニルヴァーナの方が不思議そうな表情になる。
『彼らは〈マナ〉の化身なのですから、私達龍が襲う理由もありませんけど? 人間やエルフなどを下等種族と見なして襲っていたのは、彼らが私達ほど〈マナ〉の恩恵を受けていない種族だからです。とは言っても、人間やドウェラーの一部には例外もいらっしゃるようですけれど』
「何つーか、随分と勝手な理由だよな、それ」
 龍本位なこの回答には、呆れたようにアクセルが眉根を寄せた。
『あら、でしたら、他種族や召喚士一族を異なる民族だからという理由で排斥しようとする人間も、随分と傲慢な存在だとは思いますけれど?』
「返す言葉も無ぇな」
 だが、ニルヴァーナの切り返しの方が上手だった。
 負けを認めたアクセルは両肩を竦めてみせる。降参の印だった。
 その後は特に質問も飛び出さず、雑談しながら小さな白龍に先導されて一行は進んでいく。
『ここです』
 ニルヴァーナが羽ばたきを止めたのは、あまり高くはないが広い丘の上だった。しかし、そこには何も無ければ誰も居ない。あるのは、相変わらず生き生きとした緑の茂る大地だけだ。

『ジーン、居るのでしたら出てきてくださいな』
 不可解な顔をする一行は置いておき、ニルヴァーナはどこへともなく声をかけた。少しばかり張った声量だった。
 すると、急に地面に影が差す。
『呼んだか、ニルヴァーナよ?』
 反射的に見上げれば、そこには一匹の龍が浮かんでいた。突然の事に驚く一行には構わず、その龍はゆっくりと降下して丘に降り立つ。
 彼の姿を目にした瞬間、アクセルは思わず息を呑んだ。それくらい、かの龍は《守護龍》アストライオスにそっくりだったからだ。双子龍とクラウディアも似ているといえば似ていたし、龍の顔に見分けが付く訳でもないが、それでもそっくりだと感じたのである。
 斜め後ろでは、ターヤもまた同じことを思っていた。
『あなたが会いたがっていた、今の《龍殺しの英雄》ですよ』
 ニルヴァーナが首でアクセルを示せば、ジーンと呼ばれた龍はかの青年を見た。
 思わずアクセルの全身に緊張が奔る。セアドと双子龍には許しを貰えたとはいえ、ブレーズとクラウディアのようにまだ彼のことを恨んでいる龍が居るかもしれないのだ。ニルヴァーナは異名こそ口にしたが、それ以上は触れてこなかったので失念していた。
『そうか、お前が今の……。名は何という?』
 まじまじと見つめながら問うてきたジーンへと、慎重に言葉を返す。
「……アクセル・バンヴェニスト」
『なるほど、調停者一族の者か。私はジーン・ウェンスェンフェルト。今の龍の長だ』
 驚きに両目が見開かれたのが自分でも解った。ここが龍の住まう地だとは解っていたが、まさかこれ程すぐに長と邂逅するとは思ってもいなかったのだ。
(いや、ニルヴァーナが会いたがってたって言ってたって事は、遅かれ早かれこうなってたって事だ)
 脳内で頭を振ってから、アクセルはからからに渇いた喉を無理にでも動かす。
「おまえが、今の長なのか」
『そうだ。お前が手にかけた《守護龍》ゲルティの伯父にも当たる』
 ゲルティ、というのは確かアストライオスの外用の名であった筈だ。その伯父という事は、クラウディアと同じで彼の血縁に他ならない。そう考えれば、身体が内側から冷えきっていくような感覚に襲われる。ブレーズとクラウディア、セアドと双子龍から憎悪を向けられた時と同じような感覚だった。
 アクセルの異変に気付いたターヤは彼に手を伸ばしかけるが、それはニルヴァーナによって制される。不安げな目で彼女を見れば首を横に振られた。介入するな、という事だった。
(アクセル……!)
『お前に言いたかった事がある』
 その言葉で、アクセルは脳内が真っ白になった。謝罪の言葉すら思い浮かばなかった。どうしたら良いのかすら解らなかった。喉は完全に乾ききってしまったようで、声どころか音すら出てきそうになかった。けれども、責められるのであろう事だけはしっかりと理解できていた。
『もう、あやつの事は引きずるな』
 だからこそ、次に向けられた言葉を脳が理解するまでに多大な時間を要した。


「……は?」
 たっぷりと間を開けてから飛び出した声は、実に間が抜けており。とうてい自分のものとは思えなかった。
 ターヤもまた呆然とした顔でジーンを見上げている。
『何だ、その顔は。責められるとでも思っていたのか? 何を馬鹿な事を。結果的に殺す事になったとはいえ、お前はあやつを救ったのだ。それがあやつ自身の望みでもあったからな。確かに絶対に憎まなかったと言えば嘘になるが、真実を知れば責める気にもなれぬ』
 本人の言う通り、ジーンからはアクセルに対する憎しみは少しも感じられなかった。

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