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二十章 夢の跡地に‐Nirvana‐(8)

 遅れて前衛組も前方へと駆け出し、ターヤとマンスは詠唱を始め、中衛組はその盾になれる位置で待機する。普段と同じような戦法だった。
 向かってくる面々へと、ニルヴァーナは光の弾丸を幾つも飛ばしてきた。あくまでも牽制と軽い試しの意味合いしか含まれていない為、全員が軽々と避ける。
「随分と余裕だな、一歩も動かねぇってか? なら、そこから引きずり下ろしてやるよ!」
『あら、《龍殺しの英雄》自らに言われるなんて光栄。でも、たった一度倒したからと言って、あまり調子に乗るのは良くないですよ?』
 アクセルが意地の悪い笑みで若干ふざけたように宣言すれば、ニルヴァーナが悪乗りする。
 その光景を見ていたターヤは、戦闘中だというのに少しだけ安堵を覚えた。
「へっ、言ってろ! その鼻っ柱を折ってやるよ!」
「悪いけど」
 更に勢いに乗ってニルヴァーナに肉薄しようとしたアクセルだったが、それよりも先にアシュレイが彼女の許に辿り着いていた。二人の速度を比べれば当然の事だった。
「先にあたしの相手をしてもらうわよ」
『あら、お速い』
 茶化すように言ったニルヴァーナには、応えの代りに跳躍による上空からの一突きが降ってくる。それはまるで天から落とされた裁きのようでもあった。
 けれども、それをニルヴァーナは避けようともしなかった。そして案の定、剣先は鱗に阻まれる。
「やっぱり硬いか――」
 対して驚きもせずに呟き、アシュレイは彼女の身体を蹴って再び跳び上がる。
『あら、人を踏み台にするなんて』
「今は戦闘中よ。それにちょうど、あんたが良い所に居たのが――」
「――〈盾〉!」
「悪い!」
 からかうようなニルヴァーナの言葉には、冷静な言葉と先程よりも高速の突きが返された。良いタイミングで発動されたターヤの防御魔術を足場にしての攻撃だった。
 だが、やはり先程同様鱗の強度に阻まれてしまう。
『また同じ攻撃ですか?』
「ええ」
 ニルヴァーナが笑うと同時、アシュレイは足元の〈盾〉を足場に再び跳躍し、三度目の攻撃を浴びせた。それも鱗の敵ではないが、気にせずアシュレイはまたも良い位置に現れた〈盾〉を足場に、再度攻撃へと移る。いつの間にか彼女は高速で攻撃を繰り返しながらニルヴァーナの周囲を移動していた。まるで自身に意識を向けさせようとしているかのように。
「今のあたしの仕事は撹乱だもの」
 気付いた時には《龍殺しの英雄》が迫っていた。その刃は、まっすぐに比較的鱗の少ない腹部を狙っている。
 横薙ぎに襲いくる大剣を、ニルヴァーナは避けなかった。否、避けられなかった。
『――っ!』
 鋭い痛みが腹部を襲う。切り裂かれた、と思った。
 攻撃手であるアクセルは手応えを感じながらも、一旦後方へと下がる。
 すかさず〈聖光の息〉を差し向けたニルヴァーナだったが、それはいつの間にか前方に出て来ていたエマにより阻まれた上、アシュレイの撹乱行為は今も尚継続されている。
「――『汝の意思で行使せよ』! 〈風精霊〉!」
 そこに《風精霊》が操る風の拘束も相俟って、ニルヴァーナは動きを封じられた。
 役目を《風精霊》に任せて一度下がるアシュレイと入れ替わるかのように、再びアクセルは大剣を構えて白龍へと向かって駆けていく。何かに縋るかのように、大剣の柄を強く握り締めながら。
 しかし、これ以上なすがままにされているニルヴァーナではなかった。
『――〈天罰〉』
 瞬間、戦域全体へと無数の光の雨が降り注ぐ。
「――〈盾〉!」
「〈結界〉」
 同時にターヤの防御魔術が前衛組一人一人の上空に浮かび上がり、スラヴィの〈結界〉が中衛組と後衛組を覆った。

 それを見たニルヴァーナは風に束縛されながらもターヤへと賞賛を送る。
『面白い、今度も考えましたね。でも、初級魔術程度で龍の攻撃を防ぎきれると思います?』
「ううん、防ぎきれなくて良いんだよ」
 首を振ったターヤを訝しんだところで、前衛組が接近してきている事に気付く。彼らは対処の遅れがちな最初の一撃だけを〈盾〉で防ぎ、残りは避けるなり武器で防ぐなりして対応していた。
 なるほど、とニルヴァーナは感心する。一見地味に思えがちな支援を、ターヤは効果的に使用する術を身に付けているようだ。先程の盾を足場に使う点といい、本人の案ではないのかもしれないが面白い。
 光の雨が降り注ぐ地帯を抜けて接近してきたアシュレイとレオンスのコンビネーションに対応しながら、ニルヴァーナは益々ターヤに対する信頼を増加させていた。


『――ここまでで良いでしょう。あなたを認めます、ターヤさん』
 あの後、戦闘が膠着状態へと突入して進展があまり見込めなくなった辺りで、ニルヴァーナの方から戦闘終了の合図が下された。彼女はそのまま腰を下ろす。結局、台座から下ろす事は叶わなかった。
 それにより皆もまた武器を納め、休憩へと移行する。一行は大した怪我も負っていなかったので、ターヤは真っ先にニルヴァーナの許へと駆け寄っていった。認めてもらえた事は嬉しかったが、それよりもまずは彼女の腹部の傷を治す方が先決だ。
「やっぱ、龍ってのは強ぇんだなぁ」
 治療を眺めながら呆けたようにアクセルが呟く。彼はその場で胡坐をかいていた。
 これを聞いたニルヴァーナは自慢げに笑む。そこには龍である事への誇りが満ち溢れていた。
『当り前です。私達は、生命体では最強の種族なんですから』
「だな。軽んじてて悪かった。ところで、俺が斬った腹は大丈夫なのか?」
『解ってもらえれば良いです、《龍殺しの英雄》さん。傷でしたらターヤさんが癒してくれましたから問題ありません』
「そっか、なら良かったよ」
 からかうように異名を口にしたニルヴァーナにアクセルが苦笑気味に返答すると、彼女は次に治療を終えて自分の傍に立っているターヤを見た。
『ではターヤさん、契約に移りましょうか。こちらに手を伸ばしてください』
「あ、うん。でも、どうするの?」
『こうします』
 そう言って上体を曲げるようにして頭を下げてきたニルヴァーナへと手を伸ばすと、かぷり、とその人差し指を噛まれた。軽い痛みが奔る。
「えっ」
 思わず上がった間の抜けた声には構わず、ニルヴァーナは噛んだそこをゆっくりと舐めた。そしてまた、静かに頭を上体ごと元に戻す。
 伸ばした右手もそのままに、ターヤは呆然とその様子を見ていた。舐められた時からくすぐったいと感じたままの指先に構う気も起きなかった。
『これで契約自体は完了です。おつかれさまでした』
「あ、えっと、これで終わりなんだ……」
 かけられた言葉で我には返ったものの、ターヤに実感は湧かない。血を舐められたのだという事には薄々気付いていたが、それのいったいどこが〈契約〉に繋がるのかは解らなかった。
「マンスも、こんな感じだったの?」
「ううん、龍とか魔物とかと契約する時は血を与えるんだけど、精霊はまた違うんだよ」
 どうやら同じ〈契約〉でも、種族によって方法は異なるようだ。
「じゃあ、もうニーナを召喚できるの?」
『はい。ただし先程も言いましたけど、今のターヤさんでは私を喚ぶには少々力不足です』
「あ、そっかぁ」
 一気に落とされた気分だった。それでも、すぐに頑張ろうという気持ちが浮上してくる。気になっていた事を一つ解消できたからか、今はポジティブ気味になれているようだ。その意気込みを表すべく、ターヤは胸の前でぎゅっと両手をそれぞれ握り締めてみせた。
「でも、わたし、ニーナをちゃんと喚べるようになるように頑張るね!」

​セイントブレス

ティモリア

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