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二十章 夢の跡地に‐Nirvana‐(6)

「手を引くから、ターヤは足元に集中して私についてきてくれ」
「うん、解った」
 しっかりとした返答をすると、腕を引かれた。それに導かれるままにターヤは進む。足元に大半の気を払いながらの歩行は地味に大変で、途中で何度かこけそうになったが、その度に気配を察したのかエマが助けてくれた。
 そのようにして、ゆっくりながらも進んでいた二人だったが、唐突にエマが足を止めた。
「ターヤ、もう目を開けても大丈夫なようだ」
 恐る恐る目を開けてみると、先程までの濃霧はどこにも無かった。驚いて後ろを振り返ってみれば、少し離れた位置は濃霧に覆われている。どうやら濃霧地帯を抜けたようだった。
「何だ、やっと来たのかよ」
 更に首を動かせば、そこには既に皆が揃っていた。どうやらターヤとエマが最後だったらしい。
 声の主であるアクセルは二人の繋がれた手を見た途端、意地の悪い笑みを浮かべる。
「手なんか繋いでるから遅いんだよ。どーせならターヤの奴を抱き上げれば良かったんじゃねぇか?」
 これに顔を赤くしたのはターヤだけで、エマはその手があったかと言わんばかりになる。
「そうか、そうすれば良かったのか……すまなかった、ターヤ」
「えっ、ううん! 大丈夫だから!」
 彼の言葉に更に真っ赤になりながらも首を激しく横に振る。もしそのような事をされていたら、羞恥で死ねる自信が今のターヤにはあった。
 しかし彼女の内心には気付いていないようで、エマは訝しげな顔をしている。
 しかも、その後ろではアシュレイがじっと二人を見ていた。
 気まずくなったターヤは慌てて思いきり首を元々の方向へと戻して、そこに、一匹の龍を見た。
 周囲を濃霧に取り巻かれた空間の中央に位置する台座に鎮座するは、白き龍。まるで雪の化身と見紛う如く全身を白で染め上げたかの龍は、ただ静かに一行を眺めながら、誰にも気付かれずそこに存在していた。
 ターヤにつられて視線や顔を動かした面々もまた、そこで初めて龍の姿を目が捉えた。
「「!?」」
「えっ」
「いつの間に現れたんだよ」
「彼女は最初から、そこにいらっしゃいましたよ?」
 驚きを声にまで出したマンスとアクセルには、オーラが小首を傾げて見せる。
 彼女の言葉で益々皆の驚きは強まった。
 一方、ターヤの意識は白龍だけに向いていた。初対面である筈なのに、どうしてか既視感すら覚えていたのだ。その理由も解らないのに、唇が無意識のうちに動く。
「ニルヴァーナ?」
『はい、私がニルヴァーナです』
 呟くような問いだったが、しっかりと答えは返ってきた。それまで出会ってきた他の龍と同じように、脳内に直接響いてくるような声だった。
 そしてやはり、この白龍こそが《ニルヴァーナ》だった。
『お久しぶりです、ターヤさん』
「えっと……」
 嬉しそうに続けられた言葉には、何と返せば良いのか判らなかった。異世界人であるターヤには、こちらの世界に知り合いなど一人も居ない筈なのだから。
『すみません、覚えてないんでしたよね。それで、私にいったい何のご用ですか? 《神器》が居るという事は《世界樹》関連ですか?』
 その反応を目にしたニルヴァーナは少し寂しそうに笑ってから、オーラに視線を移した。

「いえ、本日の私はただの案内人ですので御構い無く。今回は貴女にターヤさんと〈契約〉を結んでいただこうかと考えておりまして」
 瞬間、ニルヴァーナの表情が曇る。予想通り、とでも言いたげだった。
『という事は、やはり――』
「はい、貴女の想像されている通りです。今代の《世界樹の神子》に、先代程の力はございません」
『解りましたわ。ターヤさんの為でしたら、このニルヴァーナ、一肌脱ぎましょう』
「そう言っていただけて安心しました」
 にっこりと笑ってみせたニルヴァーナに、オーラも同様の笑みを返す。アシュレイとのやり取り程の靄は感じられなかったが、二人の間で言葉以外にも交わされていたものがあるように皆には感じられた。
 ニルヴァーナが再びターヤへと視線を戻す。嬉しそうな雰囲気を纏っていた。
『という訳ですので、喜んで〈契約〉させてもらいますわ、ターヤさん』
「あ、うん。宜しくね、ニルヴァーナさん。ところで〈契約〉って――」
 とりあえず先に挨拶をしてからよく解らない部分について問おうとしたターヤだったが、それよりも速くニルヴァーナが少々不満げになる。
『さん付けは他人行儀なので止めてくださいな。それと、名前自体も長いので「ニーナ」で構いません。ただし、他の方々は駄目。私を「ニーナ」と呼んで良いのはターヤさんだけですから』
「あいつも言ってたけど、あんたって本当に女に好かれやすいわね」
 あいつ、とはリクのことだろう。アシュレイの呆れたような発言に、ターヤは浮かんだ疑問も一瞬忘れて苦笑いを浮かべるしかなかった。
「あはは……」
「そう言うおまえもな」
 だが、そこに爆弾を投下する人物が案の定一人居た。無論アクセルである。
 無論、完全に不意を突かれてしまったアシュレイは若干頬を赤くしてうろたえた。
「はぁ!? あ、あたしは別に――」
『あら、ターヤさんは渡しませんよ?』
「だからあたしにそういう趣味は無いわよ!」
 そこにニルヴァーナも悪乗りしてきた為、アシュレイは更に真っ赤になった顔で叫ぶ。
 それを見た白龍は楽しそうにくすくすと笑った。
『私にもありませんけど? あくまで私は「特別な友人」としてターヤさんをお慕いしているだけですから』
「あんたねぇ……はぁ、もう良いわよ。で、あんたはあいつに訊きたい事があるんじゃないの?」
 呆れと怒気とを混ぜたような表情で嘆息してから、アシュレイはターヤを見る。
「あ、うん。ニーナ、〈契約〉って何?」
 ターヤがオーラから提案されたのは『ニルヴァーナと会う事』であり、『契約』という単語はここに来て初めて聞いたような気がしたのだ。
 言われた方であるニルヴァーナは驚いたようだった。
『あら、《神器》から聞いていませんか?』
「オーラには会いにいってほしいとしか言われなかったよ?」
 不思議そうにターヤが首を傾げれば、ニルヴァーナの視線がオーラへと移る。彼女は微笑みを浮かべているだけだ。これにはニルヴァーナが嘆息するように息を零した。
『わざと説明しませんでした?』
「はい。騙すような形になってしまい申し訳ないとは思っているのですが、先に説明してしまってはターヤさんに断られてしまう可能性もありましたので」
 言葉の内容だけならば謝罪しているようにも思えるが、その顔は清々しいまでの微笑みで彩られている。最初からこうする気だった事が皆には筒抜けだった。
 アクセルがげんなりとした顔になる。
「おまえ、結構良い性格してるよな」
「御褒めに預かり光栄です」
 優雅に一礼してみせたオーラに、いや褒めてねぇからとアクセルが突っ込むも、当の本人は聞く耳持たずといった様子である。今までのやり取りでもオーラに対して一筋縄ではいかないような印象を持っていた一行だったが、ここに来てその認識は更に深まったのだった。

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