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二十章 夢の跡地に‐Nirvana‐(2)

 しかし、誰かが何かしらのアクションを起こすよりも速く、男性が自ら身体を離す。
 驚いたターヤの視界には、同様に驚愕しているかのような顔が入ってきた。
「オマエ、ルツィーナじゃないのか?」
 否定してほしいと言わんばかりの、けれど確信を持った声だった。
 だから、ターヤは肯定する。
「うん、わたしはターヤだよ。ルツィーナさんじゃないの」
 元々、あのまま彼が勘違いしたままになっていようが、自分に『ルツィーナ』が演じられる筈も無いのだから。事実は突き付けておくべきなのだ。
 彼女のはっきりとした答えを受けて、その両腕を掴んでいた男性の手から力が抜けていく。
「そう、か……わりぃ、人違いをしちまったみてぇで」
「あ、ううん、気にしないで。従妹だから、よく間違われるみたいなの」
 明らかに落胆した表情を見て、口からはフォローめいた言葉が滑り出ていた。
 それを耳で拾い上げた男性が、再び驚き顔で見つめてくる。
「それ、マジな――」
「――あんさんが、あの時あんなことを言わへんかったら……!」
 その途中で、リクの怒鳴り声がまたその場に浸透する。
 ようやく男性もリクの存在に気付いたようで、首をそちらへと動かす。
「――っ!」
 そして、相変わらず瓦礫の山の上から彼を見下ろしている《情報屋》を目にして、その瞳をターヤを発見した時と同じくらい見開いた。
「あのヤロォ――!」
 そこに映し出されたのは、紛れも無い憤怒。
 かの〔十二星座〕の二人からも激情にも等しき怒りを向けられている《情報屋》という事態に、一行の困惑は更に深まっていく。
 ただ一人、レオンスだけは事情を知っているのか顔色一つ変えないでいた。
「テメェ……いったいどの面下げてここに来たんだよ!」
 激高した様子で叫びながら男性が近付いていけば、リクと《情報屋》もまた彼の存在に気付いたようだった。リクはまさか本当に居るとは思わなかったと言わんばかりの表情で、そして《情報屋》は一瞬だけ両目を見開いて彼を見る。
「ヴォルト……何や、ここに居ったんかいな」
「よぉ、リク。久しぶりっつっときたいとこだけどよ、今はそれどころじゃねぇんだ」
 鋭い視線を一点から離さない男性に対して、リクは顔付きを元に戻す。
「解っとるわ。わいも同じ気分やしな」
 そうして彼もまた少女を怒りを込めた眼で見上げた。
 かくして二人分もの強い敵意を向けられる事となった《情報屋》であったが、相も変わらず見下すかのような眼付きのままだ。まるで、自ら彼らを煽ろうとしているかのように。
 どちらとも続く声を発さず、一時その場を沈黙が支配した。
「本日は、随分と珍しい方々を見かける日なのですね」
 先に静寂を破ったのは《情報屋》の方だった。まるで発言内容を選んでいるかのように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
 男性の眉根が益々寄せられた。
「テメェこそ、んでここに居んだよ。テメェの方からここを捨てたくせによぉ」
「ええ、確かに放棄いたしました。ですが、それだけで再びこの場所を訪れないという理由にはならないかと思われますが?」
「なんだろぉが! あの程度の事でここを捨てやがって――!」
 頭に血が上ったらしき男性が叫んだ瞬間、少女の瞳は完全に冷え切った。
「では、貴方如きに、いったい私の何が御解りになると仰るのですか、ハーディ・トラヴォルタさん?」
 夕暮れ時というのも相俟ってか、《情報屋》の表情は更に不気味さを増している。それまでのどこか見下すような色は潜み、あくまでも冷え冷えとした無機質な方向へと転じていた。

 その眼に思わず息を呑んだ男性ことハーディだったが、すぐに切り返す。
「っ……テメェにだけは……ヴォルの気持ちを無下にしたテメェにだけは言われたくねぇよ!」
 今度は《情報屋》の方が苦い顔付きになる番だった。
 ハーディもそれ以上口にすべき言葉が思い浮かばないのか、そこで黙ってしまう。
 またしても森閑がその場を占めた。
「ヴォルト、行くで」
 今回その空気を壊したのはリクだった。彼は《情報屋》から視線を外すと同時、ハーディに声をかけ、そのまま《情報屋》とも一行とも別の方向へと向かって速足気味に進んでいく。憤りを無理矢理にでも抑えようとしているのか、その声は震えていた。
 それに気付いてか、ハーディは異論を唱えなかった。もう一度《情報屋》を強く睨み付けると、踵を返してリクの後を追う。
 そのまま二人は、どこへともなく歩き去っていった。
「何だったのよ、あいつら」
 瓦礫の迷路の中へと二人の姿が吸い込まれていった後、アシュレイが呆気に取られたように呟く。
 ターヤはターヤで話を聞く前にハーディが居なくなってしまった事に若干落ち込んでいたが、どちらかと言えば彼らと《情報屋》の関係の方が気になっていた。二人はたいそう彼女のことを憎んでいたようだったが、同時に知り合いのようでもあったからだ。
(ヴォル、って、多分ヴォルフのことだよね? 彼女がヴォルフの気持ちを無下にした、ってどういう事なんだろ? それに、ここ……古都を捨てたとも言ってたし、あんなことを言わなかったらとも言ってたし……だめだ、解らないや)
 考えてみたところで解る筈も無く、ターヤは一先ず考える事は諦めた。それから気分転換にと動かした視線がふと《情報屋》を捉えた時、まるでそれが自然な流れのようにレオンスも一緒に視界に入ってきた。
 彼と彼女は、互いを見上げて見下ろしていた。何かしらの言葉を交わす訳でも行動を起こす訳でもなく、ただ無言で視線を交差させていた。
「何してるんだ、あいつら?」
 アクセルもターヤと同じものを見ていたようで、訝しげな声を出す。
 しばらくその時間は継続したが、唐突に《情報屋》が腰かけた姿勢のまま飛び降りた。
「「!」」
 この行為には、殆どの者が瞬間的に思わず反応せざるを得なかった。例え彼女ならば大丈夫だという事実を知っていたとしても。
 案の定、彼女はまるで魔術を使用しているかのように、周囲の時を遅くしているかのように、ゆっくりとした一定の速度で地面に向かって降りていく。以前のようにレオンスが抱き止めるのかと思いきや、今回の彼は何もしなかった。ただ、無言で彼女を見つめているだけだった。
 そうして少し時間をかけて地に足を付けた《情報屋》は、レオンスの方は見ずに一行、というよりは主にターヤの方を向く。その両手がスカートを軽く摘み上げ、右足が音も無く後方へと下がり、全身が一礼のポーズを取った。
「御久しぶりです、皆さん。本日も御機嫌麗しゅう」
「挨拶は良いわよ。それよりあんた、いいかげん名乗ったら?」
 彼女の優雅な辞儀を一蹴すると、アシュレイは逆に話の主導権を握ろうとする。彼女としては、この問いにはペルデレ迷宮での意趣返しという意図があった。また、相手も変な理由から名乗らないような人物なので、問いに応答するか否かについてもさして期待してはいない。
 だがしかし、あっさりと《情報屋》は賛同してみせたのだった。
「そうですね、そろそろ時期的にも宜しいでしょうか」
 誰もが、レオンスもが予想外だったようで揃って唖然とする中、彼女は再びスカートを軽く持ち上げる。
「大変申し遅れましたが、不肖私オーラと申します。宜しければ、以後御見知りおきを」
「オーラ……」
 ようやく知った《情報屋》の名前を、ターヤは無意識に口にした。

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