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二十章 夢の跡地に‐Nirvana‐(1)

「これって……歌?」
 大分日も落ちてきた夕刻。
 耳を澄ませば微かに聞こえてくる音は、ターヤの耳には歌声として聴きとれた。
 それは皆も同じようで、古都に足を踏み入れた状態のまま、聴覚に意識を集中している。
「ねぇリク、これって――」
 誰よりも早く反応してみせたリクならば何か知っているかと思い、ターヤは彼に声をかけようと首ごと視線を動かす。
「!」
 だが、彼を目にして言葉を失った。
 リクは歌声を耳が捉えた時からずっと、それが聞こえてくる方向を凝視していた。その両眼は極限まで見開かれ、今までの陽気さとは真逆の鋭き眼光を放っている。まるで仇敵を見つけたと言わんばかりの形相であった。
「あいつっ……!」
 底から絞り出すかのような唸り声を上げるや否や、リクはその方向へと駆け出していった。
 突然の行動すぎてターヤは反応できず、驚き顔で彼を見送るしかできなかった。
 それは一行も同様だったようで、大半の者が呆気に取られたような顔になっている。
「あいつ、いったいどうしたっていうのよ」
「さぁな。ただ、何かすげぇ形相になってたぜ?」
「どうやら、この歌声の主に心当たりがあるようだな」
 冷静な様子で分析する三人をよそに、レオンスは苦い表情を浮かべていた。
 彼の様子に気付いたマンスが訝しげに見上げる。
「おにーちゃん?」
「すまない、ちょっと俺も行ってくるよ」
 そうマンスに伝えてから、レオンスもまたリクの後を追うようにして、歌声が聞こえてくる方向へと小走りに向かっていく。全速力ではなかったが、他のメンバーが気付いた頃には姿が小さくなっていた。
「あんたもか!」
 無論、アシュレイの怒声が聞こえているかどうかも怪しいところだろう。すぐにその背中は見えなくなる。
「ったく、あいつめ……!」
「俺達も行ってみた方が良いんじゃない? ここに居ても何かが起こるとも思えないから」
 悪態を吐いたアシュレイには、スラヴィが首を傾げてみせた。
「そうね、あいつらの態度も声の主も気にならないと言えば嘘になるし。エマ様達も、それで良いですか?」
 特に反論も無かったようでアシュレイは首を縦に振る。それから皆を見回し、異論の有無を問う。ただし、反対されるような内容ではないという確信めいたものは覚えていた。
 案の定、異議の無い一行から否定の意は飛び出さなかった。
「ああ、問題は無い」
「だな、ちょっと行ってみようぜ?」
 全員の意見が一致したところで、五人はリクとレオンスを追いかけるように古都の中へと入っていく。歌声の主はそれ程奥に居る訳ではないようで、すぐに聴覚を研ぎ澄ませなくとも、その声が耳に届くようになった。
 そして少し開けた空間に辿り着いた一行が目にしたのは、高く積み上がった瓦礫に腰かけて何事かを歌う《情報屋》だった。その姿は、まるで終末の地に降り立った天使のようにターヤには思えた。
「あの人――」

「何で、あんさんがここに居るんや!」
 歌声の主に驚く前に、リクの怒号が周囲に響き渡る。
 視線ごと顔を動かせば、瓦礫の山に最も近い位置で彼女を見上げるリクが認識できた。一行の方には背が向けられているので表情は見えなかったが、声だけで大いに激怒している事が解る。
 彼女と彼の関係を知っている筈も無く、一行は互いに顔を見合わせる。
 と、そこでアシュレイは少し離れた場所から二人の様子を見守っているらしきレオンスを見つけた。彼は不安そうに眼前の光景を眺めているようで、その実《情報屋》ばかりに視線を寄越している。
「あいつなら何か知ってるかもしれないわね」
 アシュレイの言葉を受けて、一行は彼の許へと向かう。
 その間も、歌声は止まらない。
「聞いとるんか!?」
 二度目の叫び声が轟いた時、ようやく声は発されなくなった。それまでは天を仰ぐように上向きになっていた顔をゆっくりと戻し、そのまま流れるように《情報屋》はリクへと視線を下ろした。
 一種の冷たささえ感じさせるその眼に、一瞬だけリクは引きそうになる。
 リクを視界に捉えた《情報屋》だが、彼女は彼と同じ土俵に降りようとはしなかった。その代わりなのか、薄く寒気のするような笑みを浮かべてみせる。
「貴方でしたか、リク・スウィリングさん」
「随分と白々しいんやな。久しぶりくらい言えへんのか?」
 背筋を凍らすような薄ら笑いで見下ろしてくる《情報屋》に対し、リクもまた見下したような笑顔になって皮肉を返す。
「これ、いったいどういう事なのよ?」
 明らかに互いに良い感情を持っていないと思しき雰囲気を横目に、アシュレイはレオンスに問いかける。
 けれども、レオンスは彼女らを一瞥しただけで答えようとはしなかった。
 むっと眉根を寄せたアシュレイが、もう一度声をかけようとした時だった。
「ルツィーナ……?」
 横から飛んできた声が、確かにターヤの耳に入る。思わず、首がそちらへと回った。
 そこに居たのは、一人の男性だった。髪と目は濃いめの橙色で、服装は灰色メインに暗めの赤などを散りばめたコーディネートとなっている。どうやら髪は長いらしく、背中側に垂らすようにして首の辺りで一つに結ばれていると思われた。
 振り向いたターヤの顔を瞳に映した事で、男性の表情が大きく変化する。
「ルツィーナ!」
 そして、駆け出してきたかと思いきや、ターヤに跳び付いてきた。
「わっ!?」
 全く予期していなかった行動を取られて驚いたターヤだったが、どうしてか頭は即座にこの男性が『ハーディ・トラヴォルタ』なのだと理解していた。確証も何も無いというのに、まるで昔から知っているかのように。
(ルツィーナさんと、意識が混じってるから?)
 勢いに負けながらも倒れないよう男性に支えてもらってもいる体勢のまま、ぼんやりと考える。そうならば、この男性が『ハーディ』だとすぐに解った理由にも、彼が彼女を『ルツィーナ』と間違えた理由にも納得がいく。
 とはいえ、このまま糠喜びをさせておく訳にもいかないので、事実を告げたいとは思うターヤである。
(でも、どうやって伝えれば良いんだろ?)
 ヴォルフ曰く『今も昔も彼女のことを一番よく知っている』というハーディに、実は自分はルツィーナではないと告げるのは、何だか酷な気がしてきたのだ。おそらくきっと誰よりも彼女の安否を気にしていたであろう彼を、上げておいて落とす事になってしまいそうで。
 目だけでも何とか動かせば、他の面々も同様のことを考えているのか、はたまた邪魔してはならない空気を感じたのか、対応に困っているようだった。益々どうすれば良いのか判らなくなった。

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