The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
二章 堕ちた遺跡‐asassin‐(7)
「ターヤ?」
それに気付いたエマが、不思議そうな顔をする。
しかし、彼女の瞳は色を亡くして虚ろになっており、その視界にはエマはおろか、アクセルさえも映しておらず、ただ一つ――謎の壁画だけをはっきりと捉えていた。
「ターヤ!」
「どうかしたのか? エマ」
危機感を感じてエマは叫ぶも、それに反応したのはアクセルの方だった。彼もエマにつられてターヤに顔を向ける。
「なっ……!」
そして、その尋常とは思えない姿に絶句した。
「おい、ターヤ! どうした?」
慌てて立ち上がって駆け寄ると、止めようとして彼女の肩を掴む。
ただ、それだけの事だった。
それなのに。
「『触るな』」
振り向かない彼女の口から発せられたった一言だけで、次の瞬間、アクセルは吹き飛ばされて、出入り口付近の壁に全身を強打していた。少女の――『ターヤ』のものとは思えない予想外の力強さに、彼は反応できなかったのだ。
「がっ……!」
「! アクセル……ターヤ!」
エマが叱責の声を上げるが、彼女は何事も無かったかのように歩みを止めない。
徘徊する幽霊の如く生気の感じられない彼女に対し、エマは次の言葉を続けられなかった。反射的に武器にかけていた手も、それ以上の行動を取れない。
それはアクセルも同様で、攻撃を加えられても怒りを覚えて反撃に出ることも無く、エマと同じように硬直していた。
二人の事は眼中に無いらしく、少女はおぼつかない足取りで壁画の元へと向かい、寄り添うようにしてそこに触れた。
「『Ora, cominciamo?
Sciocco e dramma di caro』――」
彼女の唇から紡ぎ出されたのは、詩だった。
ターヤであってターヤでない声で歌われる詩に、アクセルとエマは更なる驚きを表す。
「これは……〈古代セインティア語〉か!?」
「〈ミスティア語〉じゃあ、ねぇよな」
しかし、二つの声に答える者は居なかった。
「――『E mescolato, e squaglia e quello che e fatto in questo mondo che va per noi?』――」
その間にも、まるで魔術の詠唱を紡ぐかのような淡々とした歌声は、部屋全体に響き渡っている。
と、その時だった。
「「!」」
部屋が震動し始めたと思えば、壁画がゆっくりと音を立てながら、中央から左右へと開き始めたのだ。
これには、アクセルとエマも声を失った。
「――『Anche se non sia nulla grande nell'abilita di persone di fare』――」
少女の歌声に合わせて巨大な扉は開いていく。まるで、その詩に反応しているかのように。
眼前で起こっている異様としか思えない光景に、二人は何もできず、ただそれを見ている事しかできなかった。
そして、扉は完全に開かれる。
「――『Perche io voglio ancora eseguire che puo』……」
それに併せて歌声も小さくなり、最後には空気に溶けて消え失せた。
同時にターヤが全身の力を失ったように、がくんと膝からその場に崩れ落ちた。
「ターヤ!」
「おい、大丈夫か?」
ようやく身体の主権を取り戻した二人は慌てて少女の下へと駆け寄り、その傍にしゃがみ込んで声をかける。
「……ぁ……あ、れ?」
反応を示し、ゆるゆると顔を上げた少女の瞳は、元の純粋な黒だった。どこにも先程のような異常な様子は見られず、ひとまず二人は安堵する。
「わたし……何で……」
「覚えていないのか?」
怪訝そうなエマの声に、ターヤはゆっくりと首を左右に振った。
「あの壁画が、懐かしくて……気付いたら、座り込んでて……」
彼女は顔を壁画に向けようとして、
「……あれ?」
両目をぱちぱちと何度も瞬かせた。
確か、最後の記憶の中では壁画だった筈の物は、現在の視界の中では、既に開かれた巨大な扉でしかなかった。しかも、その先には初めて目にする円形の装置が置かれている。
同じく、今し方その存在に気付いたらしい二人も、すぐさま驚きを露わにした。
「これは……〈空間転移装置〉か?」
「わーぷしすてむ?」
「言葉通り、異なる空間同士を行き来する装置だ」
なるほどと頷きながら立ち上がったターヤの隣では、同様にアクセルも似たような反応を取っており、それを見たエマはそちらにも意表を突かれたようだった。
「知らなかったのか?」
「俺は機械とか使わねーし、おまえみてぇに知識欲に溢れてもねぇしな」
「いや、あれは機械ではなく、魔道具と機械を掛け合わせた〈魔導機械〉という代物なのだが……」
肩を竦めてみせたアクセルには、エマが訂正を入れる。
そちらよりも、ターヤは『機械』という言葉に既視感を覚えたが、それより先にある事に気付き、口元を手で覆った。
「アクセル、怪我、してる……」
彼女の言葉に二人は固まる。
アクセルは先の事を思い出したのか、複雑そうに眉を顰めた。
「は? おまえ、何言って――」
「待ってて! 今、治すから――」
しかしターヤは気付かず、杖を構えて詠唱を始めた。
「何がどうなってんだよ……」
「本当に、覚えていないようだな」
彼らは顔を見合わせ、そして少女を見た。
彼女は瞳を閉じてアクセルの背中に触れながら、〈治癒〉の詠唱を紡いでいる。その表情はまっすぐで、真剣そのものだった。
こそばゆくなったのか、アクセルは右手で頭を掻いた。
「はい、終わったよ」
優しい光が煌めき、それが消えた時には、ターヤはアクセルの背中から手を離していた。そして立ち上がると〈空間転移装置〉の許へと行き、それを珍しそうに眺め始める。
その様子を、アクセルは怒るに怒れない複雑そうな顔で見ていたが、やがて表情ごと正した。
確かめるように、エマは彼に声をかける。
「もう疑っていないのか?」
「あぁ。あの天然が、演技できる程器用な訳ねぇだろーしな」
何とも安易且つ率直な答えに苦笑し、しかしエマは微笑んだ。
「それもそうだな」
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