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二章 堕ちた遺跡‐asassin‐(14)

 しかし、リチャードは変わらぬ笑みを湛えるままだった。
「おや、私がここに居るのはおかしい、とでも言いたげな顔ですね?」
「え、だって、いつの間に来たの? それに、ここは――」
「崩壊した筈なのに、ですか?」
 言い当てられてしまい、思わず言葉を失った。
 その様子をくつくつと意地悪げに笑い、リチャードはすぐに回答を始めた。
「エンペサルの近くで初めてお会いした時も、私は魔術を使って去ったでしょう? あの時と同じですよ。今回も魔術により、この場を訪れただけです」
「でも、今回はどうして?」
 すると、急にリチャードは真面目な表情になる。
「貴女に死なれては困るので、助けに来たまでです。ちなみに砕かれて振ってきた瓦礫でしたら、貴女方の周囲に張った〈結界〉で阻んでありますよ」
 彼の右の掌に魔術と思しき炎が灯ると同時、左手の指が上を差す。その方向を見上げれば、先程の暗さとは打って変わった明るさの中、頭上には何かに押し留められているかのような大量の瓦礫が見えた。
 唖然としたターヤの横で、左手を下げたリチャードが楽しそうに笑う。
「どうですか、ケテル? 私もなかなかのものでしょう?」
 軽く『なかなか』などと言えるようなレベルではない、とそう反論したくなるターヤだったが、それよりも、明るくなったのならば即急に皆を捜すべきだと、今度こそ立ち上がろうとする。
「なるほど、そういう事だったのね」
 けれども、いつの間にかリチャードの背後にはアシュレイが立っており、その首筋に細剣を突き付けていた。
「アシュレイ!」
 驚いてターヤが名を呼ぶも、彼女の視線は鋭くリチャードに固定されたままだ。
「何のつもりかは知らないけど、とりあえずは素性を明かしてもらいましょうか」
「なるほど、なかなか俊敏なようですね」
 少しでも剣が動けば刃先が首を切り裂くというのに、リチャードは少しも気にしていないようだ。寧ろ、その声がどこか楽しげに弾み始めたようにも思えた。
 その呑気な態度はアシュレイの沸点を刺激したようで、彼女の眼が据わっていく。
 今にも動き出しそうな剣に、ターヤは悲鳴を上げかける。
「そこまでだ、アシュレイ」
 しかし、それよりも速く、彼女の後ろから現れたエマが、その腕を掴んで押し止めていた。
 アシュレイが、エマを見た。
「エマ様……」
「その男は警戒しなくても問題無い。私達を――いや、ターヤを助けに来たのだろう?」
「ええ、それが私の使命ですから」
 確認するように問うたエマに、リチャードはあっさりと肯定の意を示す。
「そういう訳だ。武器を収めてくれ、アシュレイ」
「……解りました」
 エマに言われてしまっては、流石のアシュレイも渋々と従わざるを得なかった。
 彼女が剣を鞘に仕舞ったところで、アクセルも現れる。
「おーい、みんな大丈夫かー……って、おまえ! リチャード!」
 彼の姿を認めると、アクセルは若干嫌そうな顔をした。
「おや、これで全員お揃いのようですね。ケテル以外も特に問題は無いようで、何よりです」
「相変わらず嘘くせぇ笑みだよな。で、おまえ、何でここに居るんだよ? ターヤに何か用か?」
 若干の警戒を持って問うアクセルに答えたのは、本人ではなくエマの方だった。
「いや、どうやらターヤを助けに来たついでに、私達のことも助けてくれたようだ」
「ターヤのついでかよ。つー事は、上の〈結界〉はおまえの仕業だな」

「ええ、時魔術よりも〈結界〉の方が疲れませんので」
 その台詞に、既に身を持って実感しているエマとアクセルは何の反応も示さなかったが、彼とは初対面なアシュレイは過敏な動揺を見せた。
「! あんた、いったい……」
 それでも言葉だけに抑制するのは、エマの制止があったからこそなのだろう。
 彼女の疑問には答えず、リチャードはターヤに視線を移した。
「そうそう、ケテル。そろそろここから脱出した方が賢明ですよ。あの方が弱っているので、私の状態も完全ではありません。今はまだ大丈夫ですが、あまり長くはこの〈結界〉も持ちませんので」
 そう言いながら、リチャードはある一点を指差した。
 そこには、二人くらいならば並んで歩けるくらいくらいの大きさの穴が、一つだけぽっかりと口を開けている。
「ですから、あそこの通路を通って外に出てください。確か[フィナイ岬]まで繋がっている筈です」
「待て。その前に、ここはインへニエロラ研究所跡ではないだろう? あそこから繋がってはいるようだが、ここはいったいどこだ? 貴方ならば知っているのだろう?」
 それだけは聞いておきたいとばかりエマが発した問いに、リチャードは笑みを消した。
「そうですね……では、この場所について話すくらいはしておきましょうか」
 彼の纏う雰囲気が変化した事で、真面目な内容なのだと誰もが悟る。
「ここは[ロヴィン遺跡]といって、インへニエロラ研究所跡と〈空間転移装置〉により繋がっていますが、そもそも、元々この遺跡があった隣に、世間からは隠すようにして、とあるギルドが本拠地を建てた事はご存じですか?」
「アメルング研究所、ね」
 アシュレイの呟きにリチャードは頷く。
「そのギルドが、ここに至る唯一の入り口を閉ざしてしまったせいで、この遺跡はごくごく一部の者しか知らない場所と化したのです。ちなみに、そこの外に繋がっている穴は、もしもの為にとそのギルドの人々が作った、避難用の通路だそうですよ」
 てっきりリチャードが作ってくれたものかとばかり思っていたターヤは、それを聞いて思うだけに留めてはいたものの、少し恥ずかしくなった。
「けれど、〔騎士団〕の連中はこの場所を知っていた。……どういう事かしら?」
 熟考するアシュレイの斜め後ろでは、アクセルが他の疑問をぶつける。
「それより、あの〈空間転移装置〉のある部屋、あれはいったいどうなってんだよ? ターヤが変な詩を歌いだせば壁が開いて装置が現れるし、それがターヤには簡単に扱えるし……まるで、こいつが来るのを待ってたみたいじゃねぇかよ」
 彼の発言には、エマが神妙な面持ちをし、アシュレイが驚愕の表情を浮かべ、そして、当の本人たるターヤは両目を何度も開閉した。
「え、アクセル、それって、どういう事?」
 気が付けば既に壁は開いていた記憶しかないターヤからしてみれば、彼の発言は意味が解らないものでしかなかった。確かに〈空間転移装置〉を起動する事は偶然できたが、あの場所で歌った覚えなど無い。
 しかし、アクセルは彼女には気付いてないのか、答えはしなかった。
 リチャードは更に真剣さを深めた顔で、静かに口を開いた。
「ケテルが〈空間転移装置〉を扱えた事については、全くの偶然です。ですが、特定の『詩』を唱えなければ、あの部屋の壁画が開閉しないのも、また事実です。とはいっても、あの研究所を作ったギルドの人々は、その『詩』を使わずとも壁画を開閉させる術を作り上げてはいたようですが」
 語られた事実に、アシュレイは同時に閃くものがあった。
「という事は、〔騎士団〕の連中はその術を持っていたという事かしら。誰か〔アメルング研究所〕の生き残り、或いは血縁者が〔騎士団〕に居る、もしくは偶々その術を発見したかのどちらかでしょうね」
「けど、だったら何で、ターヤはその『詩』を知ってるんだよ? それに、あの時のあいつは……まるで、別人みてぇだった。記憶喪失になる前のこいつは、本当に何者なんだよ?」
 だが、納得のいかないらしいアクセルは、しつこく食い下がる。

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