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二章 堕ちた遺跡‐asassin‐(13)

(でも、やっぱり危ない、かなぁ?)
 彼の視界の中では、疲労が一定値まで蓄積したらしいアシュレイが後方へと逃げるように一跳びし、代わりにまたアクセルが前方へと大剣を振り翳していた。
 その更に後方に居る堅物の槍使いと回復役らしき少女は、戦闘が始まってから一度も動いてはいない。
(狙うなら、あっちかな)
 そうは一度だけ思ってみるも、すぐにその思考は否定する。
(でも、あの槍使いは只者じゃなさそうだしね)
 彼から感じ取れる何とも言えない気配に、フローランは肩を竦めた。彼は回復役の少女のように、戦闘速度についていけない訳ではないだろう。
 あの治療士を人質に取ってしまえば、相手方は何もできなくなるとは思うのだ――《暴走豹》だけはともかくとして、残りの二人には効果があるだろう。

 だが、治療師の近くに槍使いが居る為、自分一人ではその作戦を遂行できそうにない。
(良い案だと思ったんだけど、流石に駄目か)
 ふぅ、と溜め息を一つ零す。
 流石に《殺戮兵器》といえども、あの《暴走豹》を含む二人が相手では少々分が悪い。彼女は持久力の無さが付け入る隙になるのだとは知っているが、引きと同時に異なる相手が出てくるので追うこともできず、そちらと戦っている間に豹は回復してしまう。
 普段、一人で行動する事の多い豹だからこその作戦だったが、まさか今日に限って仲間を連れてくるとは思わなかった。しかも、彼女以外は軍人ではないようだ。
(どうしたものかな)
 フローランは僅かに目を顰め、それまでとは違う真剣味の交じった声で思案する。
(とりあえずは、あの大剣使いを先に潰さないと。その次は治療士を――いや、その前に槍使いに邪魔される。となると、あちらが先か。けど、一筋縄ではいかなさそうだし、何よりその隙を豹に狙われる。さて、どうすればエディの被害を少なくできるか……)
 そこで、ふと気付いた。
 相変わらずエディットは大剣使いと前方で戦っているし、槍使いと治療師はその後方で援護の構えを取っている。
(けど、豹は? 《暴走豹》アシュレイ・スタントンは、いったいどこに――)
「……フロ!」
 いつになく必死なエディットの声に現実へと引き戻された瞬間、
「!」
 突然、背後から彼の首元を、利き腕を、何者かが抱え込んで押さえ付けた。そのせいでフローランは身体ごと後方へと反らされる。
「《殺し屋》!」
 背後から聞こえて来た忌々しい声は、間違い無く《暴走豹》のものだ。
 彼女の大声に、皆の視線が集まった。
「今すぐ武器を収めて、ここから立ち去りなさい! そうすれば《死神》は解放するわ!」
 豹の脅迫に、エディットの動きがぴたりと止まる。
 してやられた、とフローランは僅かに表情を崩し、内心では舌打ちをせんばかりに己の無力さを呪う。まさか、自分が考えていた手を相手に使われてしまうとは。この自分自身が、他でもないエディットへの枷として使われてしまうとは。
(……やってくれたな、軍の犬如きが)
 苦々しい表情でフローランはエディットを見つめた。
 彼女は、その異名に相応しくない顔で彼を見つめ返してくる。
 数秒、思考を最大速度で巡らせた。
「さあ!」
 豹が彼女を催促する。
 その事に激怒に近い感情を覚えて、しかし青年は自分の仕事に徹した。今、自分はこの場所から動けない。そしてエディットに対する『人質』でもある。豹の拘束は思いの外強固で、男女差と年齢差を差し引いたとしても、自分の力ではどう足掻いても抜け出せはしないだろう。

「……エディット」
 最終的にはとある考えに至り、わざと躊躇うような声で彼女を呼べば、その肩が大きく揺れた。
 しかし、見つめているうちに彼女は顔色を変えた。そして、気付かれない程度に指と手を動かす。
「最初から、そうすれば良いのよ」
 豹は、フローランがエディットに『要求を呑め』とでも言うものだと思っているらしい。
 だとしたらお笑い種だ、と内心で嘲笑する。
(この僕が――〔騎士団〕でも異端視されている《死神》フローラン・ヴェルヌが、たかが〔軍〕如きの飼い犬である《暴走豹》アシュレイ・スタントンの言いなりになるとでも?)
 笑止。
「……フロ」
 小さく、少女が青年の名前を呼んだ。
 準備は完了した。後は、敵に思い知らせてやるだけだ。
「……エディ」
 間を置いて、
「やれ」
 瞬間、彼女の指が動くと共に全ての糸がありとあらゆる場所を切断し、大きな音を立てて、瞬く間にその空間を崩壊させた。


「――うっ……」
 全身を覆う気怠い感覚に揺り起こされて、ターヤはゆるゆると目を開けた。どうやら、自分は眠っていたようだ。その間に何か夢を見ていたような気がしたが、生憎と、その内容までは綺麗さっぱりと忘れてしまった。ただ、とても現実的且つ鮮明な映像だった、という覚えだけがある。
(……何か、怠い)
 睡眠を取ったというのに、なぜ身体の調子は芳しくないのか、と徐々に目覚めつつある脳で思考する。
(えっと、そもそも、どうして寝ちゃったんだろ……?)
 確か、自分達はモンスター討伐のクエストを受けて、その目的地たるインへニエロラ研究所跡に向かった筈だ。そこでアシュレイと言う軍人の少女と出会い、そして『あれ』を見てしまい、彼女は一人先行して、その後を追っていった先で――
「――あ」
 思い出した。その一瞬で、意識は完全に覚醒し、跳ねるようにして彼女は飛び起きた。皆を探すべく視線を動かして、そこで初めて周囲が暗闇に包まれている事を知る。
 しかし、彼女が思い出せる最後の記憶によれば、天井も壁も、全てが崩れてきた筈なのに、視界には瓦礫に相当する物は何一つとして無く、そのような光景は全く見受けられなかった。この場所が元はどのような材質でできていたのかまでは知らないが、跡形も無く消滅するような素材など、ターヤには想像もできない。
(……あれ?)
 そして、ふと、もう一つの不可解な点に気付いた。先程から気怠さは感じるものの、自分の身体にはいっさいの傷が付いていないのだ。忙しなく全身を確認しても、どこにも掠り傷一つ見当たらなかった。無傷な自分といい空間に異常が感じられない事といい、これは明らかに変だ。
「見ていて面白いですよ、ケテル」
「ふへっ……!?」
 突如としてかけられた声に肩が跳ね上がる。聞き覚えのある声に振り向けば、そこにはリチャードが立っていた。
「え、何でここに?」
 ターヤの記憶が正しければ、ここは多分まだ、インへニエロラ研究所跡から空間転移してきた、名称の知らぬダンジョンである筈だ。リチャードと会った場所でもなければ、ここで彼を見かけた記憶も無い。

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