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二章 堕ちた遺跡‐asassin‐(10)

「……軍犬」
 またも少女が何事かを呟く。その前髪に隠された視線は、アシュレイだけを捉えているようだ。
 その聞き取りにくい小声と、自分のことなど眼中にも無い様子は、見事にアクセルの気に障ったらしく、彼は不機嫌そうに大きく舌打ちした。
「あのガキ、俺らを無視してやがる」
「……殺す……」
「ん?」
 その直後、先程よりも大きな少女の呟きが聴こえ、彼は再び彼女を見た。
 しかし、やはり彼女が見ていたのはアシュレイのみだ。その身体は微動だにせず、代わりに口元は異常なまでに同じ動きを繰り返していた。
「……殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……」
「あの子、何を――」
「……殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……!」
 ターヤの言葉さえも遮るかのように、彼女は無機質で無感情な声で叫んだ。その鋭い眼差しは、アシュレイただ一人に向けられている。
「上等よ!」
 彼女もまた、受けて立つという意思表示をした。既に抜刀していた細剣を眼前で構え、戦闘準備を終える。
 かくして、一触即発な雰囲気が漂い始めた時だった。
「待ちなよ、エディ」
 今の今まで一言も喋らなかったもう一人の青年が、柔らかな笑みを浮かべながら、柔らかな声で、両腕を広げた少女を制していた。
 驚いた事に、彼女は素直に従って腕を下ろす。
「……フロ」
 そして、その名を呼んだ。
 彼は一行の方を向き、笑みを絶やさず名乗りを上げる。
「はじめましての人も居るみたいだから、とりあえずは名乗らせてもらうよ。僕的には、そうした方が良いと思うからね。僕はフローラン・ヴェルヌ。御存知の通り、ギルド〔月夜騎士団〕に所属する者だよ。それから、こっちはエディット・アズナブール」
 フローラン、と自ら名乗った青年は、隣に立つ少女を手で示した。
 彼女は何も言わない。ただ、アシュレイに鋭い視線を向けながら両手の指を蠢かしていた。
 これには青年が苦笑した。
「無愛想で無口な子なんだけどね」
「エマ、〔月夜騎士団〕って?」
 相変わらず情勢に疎いターヤは、こっそりと彼に聞いてみる。エンペサル図書館で主なギルドの名前くらいは把握しておけば良かった、とは感じたのだが、それも後の祭りだ。
 視線は〔月夜騎士団〕の二人から離さず、エマは応えた。
「この世界では〔軍〕と並ぶ実力と規模を持ち、〔ヨルムンガンド同盟〕にも属していない為、最も危険視されている暗殺ギルドだ。同じ都市に本拠地を置く〔軍〕とは、明らかな対立関係にある」
 物騒な単語に驚くと同時、納得もいった。敵対関係にあるからこそ、アシュレイも少女――エディットも互いに、相手に対して強い敵意を剥き出しにしているのだ。
「今は合わせて〔二大ギルド〕と呼ばれる事もあるが、互いにギルドリーダーが変わる以前から関係は最悪だったらしく、それは五年前の〈軍団戦争〉で決定的と化したようだ。聞いたところによれば、二大ギルド自体も『いかなる場合でも相手を敵だと思え』との精神を互いに教え込んでいるらしいな」
「そんなに因縁深いんだ……」
「どうして」
 話を聞き終えたところで聞こえたその声に、ターヤは思わず背筋を震わせた。

「どうして、軍の人々を殺したの?」
 アシュレイがエディットに向けたのは、総ての感情を無理矢理に押し殺したような、静かな声だった。しかし、そこからはありありと〔騎士団〕の二人に対する、敵意と殺意などの『怒り』が感じ取れる。
 対してエディットは、相手がアシュレイである事からか、やはり無愛想で投げ遣りだった。
「……邪魔」
「要するに、邪魔だったんだって。僕的には止めたんだけど、エディが聞かなくて、ねぇ?」
 他人事のようなフローランの言葉に、アシュレイが激昂したのは言うまでもない。
「っ、そんな事で……!」
 すると、温和そうな笑みを顔中に湛えていたフローランが、突如として表情を変貌させた。細めていた眼を猫の如くぎょろりと見開き、小さくしか開けていなかった口を人間の限界まで開く。
「あれぇ? その台詞を君が言えるのかな、アシュレイ・スタントン准将? あんな事を仕出かしてくれた、君がぁ?」
 まるで化け物の如く、けたけたと彼は嗤う。
 その人間離れした笑みに、ターヤは思わず身を縮める。ひどく、あの少年が「怖い」と感じた。
 そして、言われた当の本人たるアシュレイは――〔モンド・ヴェンディタ治安維持軍〕准将は、顔を僅かに俯けて視線を僅かに逸らして、何も言い返さなかった。
「っ……!」
 唇を噛み締めながら、彼女は一言も発さない。それが図星だとでも証明するかのように。
「おい、アシュレイ! 言い返さねぇのかよ!」
 驚いたアクセルが叱責するも、アシュレイは動かない。
 そこに、追い討ちをかけるかの如くフローランの声が飛ぶ。
「そのくらいで落ち込むなんて、君にしては気持ち悪いよ、《暴走豹》。まさか、本気で、あの時の事を後悔してるだなんて言わないよね?」
「……!」
 瞬間、眼を強く見開いたアシュレイに、フローランは面倒臭そうに笑みを崩した。
「それに、用が無いんだったら帰ってくれないかな? 僕的には、部外者が居るとかなり困るんだよ――『任務』が進まないからね」
 またしても、ぞっとするような声。
 しかし、エマだけは引かなかった。槍を手にして一歩前へと進み出る。
「その申し出には頷けない。貴様達は幾ら『敵』とは言え、罪無き軍人達を大量に殺めた。人として、この行為を見逃す訳にはいかない」
 彼に対し、フローランは肩を竦めてみせる。
「そっちの人は石頭だね。彼らは僕らの『任務』を邪魔しようとしたんだよ? それを黙って見てはいられないだろ?」
「「!」」
「それじゃあ、あなたは……!」
 思い至った考えに口元を覆ったターヤを見て、青年はうっすらと笑った。それは、紛れも無い肯定の証だ。
「別に、誰も『僕が邪魔者の始末を否定した』だなんて言ってないよ? それに、これは僕らの『規則』でもあるんだから」
「だからと言って、人殺しを見逃せる程、私は優しくなどない」
 初めて聞く、エマの熱くなった声。表情は極めて冷静だが、声色から心の底から怒っている事は痛い程伝わった。
 それを見たフローランは肩を落とす。
「本当に堅物だなぁ。まぁ、良いか」
 次の瞬間、更に凄まじい笑みを浮かべていた。
「みんな消しちゃえば、同じだもんね」
 途端に周囲に満ちる、嫌な空気。

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