The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
十九章 星を司る者‐pueritia amicus‐(7)
「フア、ナ……?」
それは、何年も前に最悪な形で別れる事となってしまった、幼馴染みの少女であった。
「ヒュー……?」
彼女もまた同様に予想外だったようで、少々青白い驚き顔を浮かべている。
そのまま、二人は互いに何も言えなかった。
「ここで何をしているんだ」
沈黙を破ったのは、ユベールの方だった。自然と質問ではなく詰問するような強い声色になる。意識せずとも口調も素のものに戻っていた。
若干高圧的とも態度に生来の意地っ張りな性格が刺激されたのか、少女ことフアナ――〔盗賊達の屋形船〕メンバーのファニーは眉根を寄せる。大きく揺れ動いていた瞳は、今は敵意の色が占め始めていた。
「そんなの、あんたには関係無いじゃない」
「関係はある。今の僕は軍人だ、犯罪行為に手を染めようとしていた相手を見逃す訳にはいかない」
「!」
瞬間、ファニーがそれまで以上に強い動揺を見せた。
無論彼女が〔屋形船〕の一員である事を知らないユベールには、その理由が察せない。
疑問の色を浮かべる相手には構わず、少女はどこか諦めたように、確認するように言葉を零した。
「そっか、その服装……やっぱり、あんたは、軍人になったのね」
「ああ、僕は規律を守る為に――」
「それなら、あんたはあたしの敵だわ」
彼女がそう言った直後、殺気を感じてユベールは反射的に手を離して後退していた。腰の剣に手をやりながら見れば、ファニーの半袖からは鎖が姿を現していた。いったいその服のどこに隠していたのだろうか、という程である。
それまでは気に留めてもいなかった周囲の人々も、いきなり武器を取り出した少女に気付いたらしく、こちらに注意を引かれる者がぽつぽつと現れる。もう片方が軍人という事もあってか、興味を引かれているようだ。
しかしユベールは周りの様子には気付かず、ただ茫然と少女だけを見ていた。
「フアナ……?」
「その名前で呼ばないで。あたしはもうフアナじゃない。〔盗賊達の屋形船〕のファニーよ」
「!」
全身を衝撃が奔ったとユベールは感じた。まるでそれまでの疑問というぬるま湯に浸かっていた状態から、一気に冷水を浴びせられたかのような気分だった。
「君は――」
けれども、浮上してきた軍人としての矜持が、その気分を別の方向へと動かしていく。
「君は、そうやってどこまでも僕に意趣返しをするつもりか」
少年が続けた言葉には、少女が僅かに眉を動かす。
ユベールは失望していた。彼女が盗賊などという規律に反し犯罪に走るような存在になり果てていた事が、堪らなく悲しくて、悔しかった。感情の波に乗って、気付かぬうちに声に力が籠っていく。
「僕への当てつけのつもりか何かは知らないが、盗賊などに身を落とすなんて、君もひどく落ちぶれたものだな!」
「その言葉、そっくりあんたに返させてもらうわよ。〔軍〕の犬になり下がるなんて、随分と自分を捨てたのね」
それでもファニーは至って平静だった。平静に、強い怒りをユベールへと向けている。
「だいたい、あんたがあたし達の何を知ってるっていうの? 誰よりも困ってる貧しい人々を率先して助けようとせず、そのくせ貴族にはこびへつらって、尻尾を振って」
こうも挑発的に言われては、ユベールもただで黙っていられる訳が無かった。すぐさま相手を先程以上に強く睨みつけ、反論する。
「それは一方的な意見だ! 僕達は特定の存在を贔屓する事は無い! 貴族も貧民も平等に護ろうとしている! そもそも、君達が貴族を襲うから――」
「あんたは、貧しさを知らないからそんな事が言えるのよ!」
言葉を完全に遮られてしまう程の怒号だった。思わず声が出なくなる。
「あんたは孤児の気持ちを考えた事がある? 親に捨てられたのかもしれない不安がどれくらい怖いかを知ってる? 実の親のように育ててくれた人が苦労している背中を見て、いかに自分に何もできないかを痛感するのがどれだけ辛いか……あんたは知ってるって言うの!?」
彼女の意見は実に側面的で、それが完全に正しいという訳ではないのに、その声から滲み出る悲痛さの意味と理由を知っているからこそ、ユベールは抗議の言葉が喉を伝って滑り出てきてはくれないでいた。
そんな彼を、少女は仇敵でも見るかのような鋭利な視線で刺している。
「簡単に自分の親を切り捨てられるようなあんたなんかに、あたしの気持ちが解ってたまるか!」
「っ……!」
奇しくも、あの時と同じ言葉が的確に胸を抉る。
「ぼ、僕は――」
「カルヴァン補佐!」
先刻までの勢いから一転、完全に失速したユベールは何事かを口にしようとするも、そこに割って入る第三者の声があった。視線を動かせば、軍服を身に纏った男性がこちらに向かって小走りで向かってきている。
彼の姿を認めた瞬間、ファニーはすばやく踵を返していた。そして人々の間を縫うように走り去っていく。
「っ……フアナ!」
だが、彼女は立ち止まる事も振り返る事もしなかった。
その姿が野次馬と人混みに紛れて完全に見えなくなるまで、中途半端に手を伸ばしかけた姿勢のまま、少年は固まるしかなかった。
一方、ソニア達〔教会〕勢を退けた一行は廃棄された神殿を抜け、古都に向かって着々と歩を進めていた。
「ったく、本当に何だったのよ、あの女は」
アシュレイは未だに不機嫌さが引っ込まないようで、悪態を吐いている。どうにも彼女とソニアの確執は会う度に広がっているように感じられるのだが、それはターヤの気のせいなのだろうか。
アクセルは口を挟むとややこしくなると理解しているようで、何も言わない。
最も近い位置に居るリクも何も言わないので、代わりに応えたのはレオンスだった。
「別に擁護する気は無いが、ソニア・ヴェルニーもいろいろとあるんだろう。どうやら、あの僧兵達に監視されていたようだったしな」
「確かに、あいつらを思いきり意識してたわよね。ったく、だから何が言いたいのか少しも解らないのよ。自分の意志でない言葉を紡がれたところで、こっちが理解できる訳ないでしょうが」
全く、ともう一度呟くアシュレイに、レオンスはあくまでも苦笑するしかない。
(本人も気付いていないようだけど、ソニア・ヴェルニーを心配している事が丸解りだな。今のアシュレイに矛先を向けられたくはないから、指摘するつもりは無いけどな)
脳内でその矛盾を面白がってから視線を逸らせば、エマと目が合った。何か言いたげな彼の視線から逃れるように再び目を別方向へと動かし、何事も無かったかのように歩を進める。
(俺をそんな目で見るくらいなら、自分で言ったらどうなんだ?)
聞こえないとは解っていても、そう揶揄せずにはいられなかった。
アシュレイの上位に立っているように見えて、実際には彼女に対しては実に過保護で遠慮がちな青年。彼女との今現在の関係が崩れる事を怖がり、あまり余計な口を挟めない臆病者。
相手が言葉では何も言ってこないのを良い事に、レオンスはそのまま速度を上げて彼から離れる。向かった先は、未だ肩を落としたまま後方を歩く少年の許。
「マンスール、まだ落ち込んでいるのか?」
「レオのおにーちゃん……」
軽く肩を叩いて声をかければ、途方に暮れたような顔と声が振り向いてきた。これは予想外に重傷だな、と内心で苦笑する。
少年は視線を再び足元に落とすと、最初の質問に対して躊躇いがちに小さく首を縦に振った。