top of page

十九章 星を司る者‐pueritia amicus‐(6)

『オベロンさま……』
 定位置となった肩には、いつの間にか子猫が乗っかっていた。彼女の姿を認めた瞬間、どうしてかマンスは泣きそうになる。きっとこの気持ちを誰よりも解ってくれる彼女に、縋り付きたかった。
「モナト……」
 口から零れ落ちたのは弱々しい声だった。
 彼の目を正面から見た白猫は瞳を揺らし、そして首を振った。
『オベロンさまが大変なのは解ってます。でも、今は違うと思うんです』
 彼女からも正論を突き付けられてしまい、マンスは今度こそ言葉を失くす。頭では理解している筈なのに、未だ身体までは伝達されないようだった。
 それでもモナトは敬愛する主人を見つめていた。ただひたすら、純粋に一途に。
 少年がぎゅっと拳を握り締めていた頃、ちょうどソニアは不審に感じていた。
(おかしいですわ。幾ら《暴走豹》の体力に難があるからといって、これでは流石に不足すぎますし……)
 もしやそこには何らかの意図があったのだろうか、と考えた時だった。
「――〈霧〉!」
 突如として、戦闘区域全体を白銀の霧が覆い隠す。
「!」
 一瞬にして奪われた視界にソニアは驚くも、すぐに頭を回転させて状況を理解し、体勢を立て直すべく僧兵達へと声を張り上げる。
「視界を奪い命中率を下げる支援魔術ですわ! 今まで以上に警戒なさい!」
 ソニアにはこれがターヤによるものだとは解ったが、選択の理由までは至れなかった。
 中級支援魔術〈霧〉は効果範囲が戦闘区域全体な上、効果持続時間も眺めと一見中級魔術にしては便利なように思える。しかしその対象は戦闘に参加している全員であり、敵味方の区別がつけられないのだ。
(下手をすると味方を自滅させかねませんのに……いったいどういうつもりですの!?)
「こういうつもりなのよ」
 まるでソニアの思考を呼んだかのようなタイミングでかけられた声に、背筋を危機感が走った。
(やば――)
 声だけで直感的に相手を察し防御態勢に移ろうとするも、やはり相手の方が速かった。何かしら行動するよりも速く首元に突き付けられたレイピアの切っ先は、少しでも反撃しようとすればその喉元を貫くと言わんばかりであった。持ち主の眼もまた同様。
 故に、ソニアは指の一本すら動かせなくなる。
 それと同時に霧が晴れていき、その場に居る全員が現状を理解する。元々前衛組中衛組に押されっぱなしだった僧兵達は、ソニアもまた制圧された事により戦意を失ったようだった。逆に一行は気を抜き始めている。
 この場の空気は相手のものだと知ったソニアだったが、悔しさに塗れた矜持は潔く負けを認めようとはしなかった。
「体力が無くなって後方に下がったというのは、演技でしたの?」
「ええ、全部演技よ。あんたを叩けばこの場は制す事ができるから、この作戦にしたのよ。条件は全員同じだったけど、あたしは鼻が利くもの」
 あっさりと肯定されて、ようやくソニアは自身が相手の計略に嵌っていた事を思い知った。他でもないアシュレイに負けたという事実が、彼女の悔しさを更に加速させる。無意識のうちに唇が引き結ばれた。
「確かにあたしはスタミナが足りないけど、まさかあんなに少ないとでも思ってた訳? それならお生憎様、見事に騙されてくれたわね。それとも、ありがとうと言った方が良いのかしら?」
「っ……!」
 明らかな挑発にソニアの表情が一変する。それまで保たれていた事務的なものではなく、激怒の色という彼女の本心が窺える顔付きだった。
 それを目にしたアシュレイは満足そうに微笑みを深める。

「今回は、これで失礼させていただきますわ」
 だが、今回は余程自制が利いているのかソニアが反論してくる事は無かった。
 相手の反応にアシュレイはつまらなさそうな顔になるも、彼女もまた追撃する事は無い。
 撤退の指示を僧兵達に出した後、どこか苦しそうに名残惜しそうな様子でアクセルを一瞥して、ついでのように再度アシュレイを強く睨みつけてから、ソニアは彼らを伴って去っていった。
 その背中を不機嫌そうにアシュレイは見送る。
 そしてマンスは、結局何もできないままだった。


(全く)
 ほぼ同じ頃、ユベール・カルヴァンは内心で愚痴を吐きながら、クンストの街中を歩いていた。その理由は単純明快、アシュレイの不在を理由に《元帥》が彼女の代わりとして『お使い』を彼に頼んだからである。しかも、今日中に片付けておきたい《元帥補佐》としての仕事もまだ終わっていないのに、だ。
(《元帥》も人使いが荒いんですから。普段振り回されているスタントン准将の苦労が、何となく解る気がします)
 だからといって、彼がアシュレイに同情する事など無かったが。
 ともかく、面には普段通りのポーカーフェイスを浮かべながら、ユベールは指定された店で指定された品を順序良く購入していく。
(けれども元はと言えば、スタントン准将が勝手に単独行動をするからです。《元帥》も《元帥》で准将を止めるどころか、楽しそうに送り出していましたし……全く)
 今度は表側に溜め息が零れ落ちた。その事に気付き、慌てて自身を是正する。
(いけません。とにかく、僕がしっかりしなくては。今も既に、買い出しだけでかなりの時間を消費してしまっていますし)
 他でもない自分自身に言い聞かせるようにして一回だけ小さく頷くと、少年は仕事脳に切り替えるべく顔を持ち上げた。
「……ん?」
 と、そこで彼は前方に不審人物を発見する。その後ろ姿は自分と同い年くらいの少女のようだったが、問題なのはその動きの方だ。件の不審者は商店街をもの珍しそうに眺めているようでいて、実際にその視線が向けられているのは買い物客だった。よくよく観察してみれば、なるべく音を立てずに歩くその足捌きも、ただの少女のものではない。
 一般人ならば初めてこの街に来た少女くらいにしか捉えないだろうが、生憎と軍人であるユベールの目は誤魔化せない。
(スリですか。私には気付いていないようですし、そもそも軍人に見つかってしまった事が運の尽きでしたね)
 内心では溜め息を吐いた後に呆れ返りながらも、相手に気付かれないように気配を消して近付いていく。一歩、一歩、足音と気配を殺して確実に。
 相手は気付いていない。
 周囲から見ても不審に思われない速度と姿勢でただの買い物客を装いながら、ユベールは目的の人物に着々と接近していく。とはいっても軍服姿の彼の邪魔をするような不届き者は今のところ居なさそうだったが。
 相手はまだ気付いていない。
 十分相手が自らの射程圏内に入った事を確認すると、ユベールは素早く手を伸ばし、今まさに獲物を見定めて実行に移そうとしていたその人物の手首を掴んだ。
 そこでようやく気付いた相手は彼へとすばやく首を回してくる。
 カモにされそうになっていた人物はこの喧噪にかき消されてか気付いていないようで、そのまま次の店へと移動していった。
「すみませんが、少々御時間――」
 だが、振り向いたその顔を目にした瞬間、ユベールは硬直するしかなかった。

前ページ本編トップ次ページ

ページ下部

フォグ

bottom of page