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十九章 星を司る者‐pueritia amicus‐(1)

「おいアシヒー、大丈夫か?」
 突如として飛行を停止、その場で蹲るかのように頭を下げた《鋼精霊》へと、アクセルは声をかける。しかし返事は無い。周囲の音が聞こえなくなっているのだろうか。
 スラヴィは足を止めず、そのまま《精霊使い》と《鉄精霊》を追っていった。
「おい、本当にどうしたんだよ?」
『解らない。ただ、突然全身がだるくなった』
 二度目の問いかけには、どこか呆然としたように答える声があった。
 だが、アクセルには益々訳が解らなくなる。突然全身がだるくなる、とはいったいどういう事なのだろうか。
(そう言えば、こいつも人工精霊だろ? 《精霊使い》が居なくなった今〈マナ〉の供給はどうしてるんだよ?)
 そこでようやく、当然の疑問に思い当った。
 まず人工精霊という人工種族は、他者から〈マナ〉を与えられなければ自身の存在を保持する事は不可能である。そしてエンペサル橋の近くにて《鋼精霊》は、自身を使役していた《精霊使い》――今追っている人物とは異なる――の支配下から逃げ出した筈だ。そもそもその人物は彼自身が食い殺したのだから、今も生きている筈が無い。
 ならば、いったい現在の彼は、どのようにして自身の存在を保っているのだろうか。
「おい、アシ――」
 三回目の問いを声にする前に、アシヒーが弾かれるようにして前方へと視線を戻す。
 彼につられるようにアクセルもまた顔を上げて、そこに悔しそうな様子でこちらに歩いてくるスラヴィの姿を見つけた。
 彼もまた自身に向けられた視線に気付くと、申し訳無さそうに口を開く。
「駄目だった。〈煙幕玉〉を使われて逃げられた」
『そうか』
 人であったならば眉根を強く顰めた表情が見れたであろうくらい、腹立たしそうな声でアシヒーは応じた。
「とりあえず、一旦みんなの所に戻ろうぜ。アシヒー、おまえも来るか?」
『《羽精霊》のことも気になるからな。行こう』
 このままここに居ても何もならないと思いアクセルが提案すれば、同様に考えていたのかアシヒーもまた頷いた。
 かくして彼らは少々気まずい雰囲気のまま、皆が居る地点まで引き返す。
「――どうして止めたのさ!」
 だが、戻った彼らを待ち構えていたのは、更に悪い空気だった。《羽精霊》の姿はどこにも見当たらず、なぜかマンスがレオンスに乗っかるようにして掴みかかっている。残りの面々は彼を止めようとしているように見えたが、何か思うところでもあるのか行動には移しておらず、その表情もどこか暗い。とにかく皆に一貫している個所といえば、戻ってきた三人に全く気付いていない点だけだった。
 ただ一人、少年の頭上に浮かんでいる巨鳥だけは一瞥してきた。
 予想外の事態に、アクセルが後頭部を掻く。
「おいおい……何がどうなってんだよ」
 しかしスラヴィも「解らない」と呟くだけだった。実際のところ、この場に居た者にしか現状の意味は理解できないだろう。
「おい、何があったんだよ?」
 故に、彼は尋ねる事にした。普段よりも少し大きめな声を放れば、中央の二人以外は彼らに気付いたようだった。
「アクセル、スラヴィ、アシヒー……帰ってきてたんだ」
 呆けたような表情でターヤが小さな声を零した。
 それを受けて彼女へと問う。
「何でこんな状況になってるんだ?」
 すると、彼女は視線を逸らすようにして落とした。逡巡しながらも、ようやく言いにくそうに唇を動かし始める。
「それは――」

「おにーちゃんが止めなければ、プルーマを助けられたのに……!」
 だが、それよりも早く別方向から答えは飛んできた。マンスがレオンスに対して再び怒声を向けていたのだ。プルーマ、という名に聞き覚えは無かったが、それが《羽精霊》に少年が付けた名である事は瞬間的に察知できた。
『……そうか、駄目だったのか』
 どこか落胆したように、アシヒーが呟いた。
 彼が《羽精霊》を助けられなかった事を知り、アクセルとスラヴィもまた皆同様に言葉を失う。自分達では何の言葉もかけられないと痛感しながら。
 マンスは相変わらず彼らの帰還には気付いていないようで、感情のままに叫び続けている。
「何で、何でっ……!」
『マンスくん! 駄目だよ!』
 更に少年が青年の首を締め上げたところで、ようやく《風精霊》が仲裁に入った。流石にこれ以上は駄目だと踏んだのだろう。
「止めないでよシルフ!」
 無論、彼からは悲鳴にも似た怒号が飛ぶ。
 契約者の激情に巨鳥は一瞬だけ躊躇するような様子を見せるも、すぐに表情を引き締めて冷静な表情を作り上げた。そして、諭すように言う。
『でもね、マンスくん、その人が助けてくれなかったら、君……爆発に巻き込まれて、右腕は無事じゃ済まなかったと思うよ?』
「っ……!」
 少年が、硬直した。
『それに、プルーマちゃんは、自分を助けようとしてくれたマンスくんを死なせたくなかった筈だよ。だから、爆発を自分一人で抱え込もうとしたんだよ』
「そんなの、何で解るのさ!」
 誰が見ても判るくらいには、苦し紛れの反論だった。
 それでも《風精霊》は冷静なままだった。ゆっくりと、答えを返す。
『解るよ。だって、わたしはあの子の「親」だもん』
「――っ」
 自身よりもよっぽど悼んでいるその瞳に、次第に腕の力が抜けていく。彼も、頭では解っていたのだ。ただ、信じたくないという気持ちと行き場の無い怒りが暴走してしまっていただけで。
 すっかりと意気消沈してしまった少年の頭を、遠慮がちに青年が撫でる。彼は首を締め上げられていた事実に触れる事も、それを責める事もしなかった。
「っ……!」
 それが益々、少年の自責の念を加速させる。結局自分は信じたくない現実から目を逸らし、助けてくれた人物に八つ当たりをしていただけなのだと、思い知ってしまったから。
「悪いな、こんなところを見せて」
 ゆっくりと、レオンスが皆に顔を向けて申し訳無さそうに笑った。彼は三人が戻ってきていた事に気付いていたようだ。
 それでマンスもようやく気付いたらしく、弾かれるように顔を上げる。そして《鋼精霊》を視界に捉えると、途端に申し訳無さそうな、恥じるような表情になったのだった。
「アシヒー……」
 彼を見る《鋼精霊》の眼差しは、冷たかった。何も言わぬまま、踵を返す。
「あ……待って!」
「あ、おい! おまえ身体は大丈夫なのかよ!?」
 反射的に立ち上がりながら《鋼精霊》を呼び止めれば、アクセルもまた同時に声をかけていた。その言葉が意味するところを瞬間的に察し、マンスはぎょっとする。
 アシヒーは少年の方は見ず、青年に応える。
『問題無い、自分で何とかしよう』
 そこでようやく、その視線がマンスを捉えた。
『今のままの貴様では、到底信じる事もできない』

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