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十八章 暗転する光‐shock‐(5)

 アシュレイが彼へと鋭い視線を送るも、それは一瞬の事だった。噛み付いてくる事も反論してくる事も無い。
 彼女同様に正論だと感じたのか、一行は双子龍と距離を取った。
『ならば、我らはこれで』
『帰還』
「うん、気を付けてね」
 マンスは常よりも遥かに大人しく、片手を手首から小さく振るだけの挨拶に留めている。
 一行もそれぞれ控えめな態度で見送る中、双子龍はなるべく音を立てないようにして飛び立っていった。
 彼らが去ると、人口密度は急激に低下する。
 それでも居づらい雰囲気が変わる事は無かった。
「じゃあ行こうか。ヴィラに着いたら、しばらくは各自って事で宜しくな」
 それを知っているからこそ、レオンスは一人でも普段通りに振る舞う事を止めない。さりげなく、安全な場所で一人になれるような配慮は行いながら。
 そうして特に何事も無くヴィラに到着した一行は、先程の言葉に甘えて自由行動となる。ただし実際に一人になったのはスラヴィとターヤくらいで、それ以外の面々はカフェの机を一つ占領して休憩していた。
 内心を整理したかったターヤは、宛ても無く商店街を歩く。視線は店や露店に向けてはいたが、実際には上辺を通りすぎるだけで全く視界には認識されなかった。
「そなたが『ターヤ』かぇ?」
「へ……?」
 そんな最中に突然かけられた声に間抜けな声を上げて我に返ると同時、視線を動かして、
「……イーニッド?」
 そこに、つい最近目にしたばかりの顔を見付けた。
 しかし、すぐに違和感に気付く。スラヴィの精神世界の中の記憶で見た『彼女』とは体格も年齢も、座してはいるが身長すらも異なるような気がした。露店を構えている彼女は記憶の中では女性だったが、現実では老女になっていたのだ。それでもどうしてか、本人だと思わずにはいられなかった。
 驚くターヤとは対照的に、彼女は少しも動じていない。
「ふむ、やはり妾のことは知っておったか。という事は、そなたはあやつの記憶を見たのじゃな」
 確信を持って向けられた問いにより、心中で燻っていた罪悪感が一気に浮上した。
「あ、うん。……その、ごめんなさい」
「? なぜ謝るのじゃ?」
 だが、当の本人は不思議そうに首を傾げただけだ。
 これには虚を突かれてしまうターヤである。
「え……だって、勝手にスラヴィとイーニッドの記憶を見ちゃったんだし……」
「構わぬ。そなたはあやつを助けようとして、危険を冒してまで精神に潜ってくれたのじゃろう? ならば、その途中で記憶の一つや二つ、見てしまったところで問題など何も無いわ。その程度の事を気にする程、妾もあやつも心が狭くはないからのう」
 言葉通り、全く気に留めてすらいない事の解る声色だった。
「寧ろ、そなたには礼を述べたい。あやつを……スラヴィを、必死になってまで助けてくれて、ありがとう、ターヤ」
 そして老女は深々と頭を下げた。最後の方は涙すら混じった声になっていた。
 そこから彼女が本当にスラヴィの大事な人であり、同様に彼を大事に想っている人なのだと実感して、ターヤは思わず涙ぐみそうになってしまう。
「わたしも、スラヴィを助けられて良かったよ」
 緩みそうになる涙腺に気を付けながら、彼女は相手へと頷いてみせた。それから相手の様子を窺うようにして、彼女の正体を知った時から思い浮かんでいた事を実行に移すべく、手始めに口を開く。
「それでね、イーニッド、スラヴィは、その……自分のことは何も覚えてないみたいなの」

「知っておる」
 あくまでもポーカーフェイスを保ちながら、けれども声に潜む感情までは隠せていなかった。やはり大切な相手が自分のことを微塵も覚えていない、という事実がひどく堪えているのだろう。
 そんな彼女を見た瞬間、ターヤは思わず身を乗り出していたのだった。
「! それなら、一緒にスラヴィのところに行こう? 記憶が無くても身体が『約束』を覚えてるみたいだったから、イーニッドの顔を見れば何か思い出すかもしれないし!」
 そのような顔をされたから、というのもあるが、あのような記憶を見てしまっては二人をどうにかして再会させたいと思っていたのだ。これ程までに早くその糸口が見つかるとは思っていなかったが、これは好機だとターヤは考えていた。
 だが、どうにもイーニッドは乗り気ではないようで彼女から顔ごと視線を外す。
「いや、それは――」
「――おーい、ターヤー、どこだー?」
 そこに、まるでイーニッドを助けるが如き良いタイミングで飛んできた声で、図らずともターヤの意識はそちらへと移ったのだった。
 声の主はアクセルだった。彼はすぐに彼女を視界に収めると、近くまでやってくる。
「って、こんな所に居たのかよ」
「む、そなたは……」
 わざとらしく溜め息を吐いてみせたアクセルの顔を目にしてイーニッドが反応を示せば、彼もまた彼女に気付いたようだった。
「あー! おまえ、前にエンペサルで会った奴だろ!?」
「やはり覚えておったか」
 人差し指を向けられるという失礼は気にも留めず、イーニッドは予想通りと言わん顔で彼を見上げている。
 彼女の言葉に対し、アクセルはいきなりターヤの肩を引き寄せたのだった。勿論、彼女の驚きの声とその後の抗議の声は意図的にスルーして。
「当たり前だろ! もし女に名前をやるのなら『ターヤ』が良い、っておまえに言われたすぐ後にこいつと出会ったんだからな。印象が強すぎて忘れたくても忘れられねぇよ」
 しかし驚きが勝り、その事はすぐに吹き飛んだ。
「え、そうなの?」
 言われてみれば確かに、出会った時に彼がそのような事を言っていたような気もする。
 彼女の疑問に応えたのはアクセルではなく、イーニッドだった。
「うむ、確かに妾は以前その男にそのような台詞を言ったわ。あの後、そなたがその男共と出会うのは予見できていたからのう」
 大した事では無いかのようなあっさりとした調子で告げた老女には、二人揃って驚嘆せずにはいられなかった。
「はー……まじかよ。じゃあ、こいつの本名は『ターヤ』で良いのか」
「いや、その名はその娘の本名のようで本名ではない」
「何だそりゃ」
 訳が解らないというように眉を動かしたアクセルだったが、実は自分の本名にそこまでの興味も無かったりするターヤは自分の気になっていた方へと話題を変える。
「それにしても、未来が解っちゃうなんて凄いね」
「妾は《占術師》だからのう。それにメリットとデメリットはあるにしろ、戦う力を持たぬ妾には貴重な情報源でも収入源でもあるのじゃよ」
 感嘆する声に少しばかり誇らしげな声を返してから、イーニッドはアクセルに視線を戻した。
「ところで、そなたはその娘に用があったのではないのか?」
「おぉ、そう言えばそうだったぜ」
 言われて思い出した、と言わんばかりにアクセルは人差し指を老女へと向けた。それからターヤを見る。
「何か知らねぇけどスラヴィの奴がすぐに戻ってきてな、話があるっつってるんだ」
「スラヴィが?」
 予想外の内容に目を瞬かせる。
「ああ、何でも心の整理がついたとかで――」

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