top of page

十八章 暗転する光‐shock‐(4)

 ギャラリーではそのように考えられているとは露知らず、スラヴィはリチャードを通して《世界樹》を睨み付けていた。その胸中ではさまざまな思いが渦巻いている。一行やセアド、並びに《世界樹》に連なる者達が考えているように、彼は《世界樹》に復讐ないしはその系統の行動を仕かけようとしている訳ではなければ、《記憶回廊》にされた事を恨んでいる訳でもなかった。そこまで我を忘れた状態に陥ってはいない。
 彼はただ、自分に二度目の生を与えてくれた際に、なぜわざわざ生前の記憶を奪って自我を制限したのかを問い詰めたかっただけなのである。
 そこまでしなくとも二度目の生を与える条件として《記憶回廊》としての仕事を提示してくれたのならば、スラヴィは『約束』を果たす為にそれを呑んだ筈だ。記憶が無いので絶対にとは言えなかったが、それでもきっと自分は『約束』の為なら藁にも縋る思いなのではないか、と彼は考えている。
 先程だって、リチャードが指摘した通り熱くなっている自覚があったので、咄嗟に言い返せなくなっただけだ。本当に、彼は実力行使に出ようとも反旗を翻そうなどとも思ってはいないのだ。
「全く、どうしたものですかね」
 一方、双眸に強い光を湛えて真っ向から視線をぶつけてくる元同僚を見て、青年は息を吐いた。その風貌はどこか困っているようで、困っていないようにも思える。
「ケテルもいらっしゃいますし、ここは潔くあの方の下まで通した方が――」
『いや、吾が直接話そう』
「「!」」
 青年の呟きに応えるかの如く突如として脳に響いてきた声には、当の本人だけでなく皆が反応した。
 そして、スラヴィは両目を見開く。
「《世界樹》――!」
 本命の予期せぬ登場に、思わず感情に急かされた声が喉から飛び出していた。若干の怒気が籠ってしまった声だったが、相手はそこに触れる事は無かった。

 少年の声を聞いて更に不安が膨れ上がったターヤだったが、同時に世界樹の街でなくとも話す事ができるのか、と思うくらいには余裕もあった。
『スラヴィ、主は吾に話があると言ったな』
 それ以上が続けられる事は無かったが、暗に先を促している事が解り、スラヴィは一旦唾を飲み込んでから、意を決して喉元に溜めていた言葉を声として具現化する。
「あるよ。俺が《世界樹》に訊きたいのは一つだけ」
 自身を奮わせるべく、意図的にそこで間を開けた。
「どうして、故意に俺の記憶を奪って、自我を制限したの?」
「「!」」
 その言葉に、皆が顔色を一変させる。そうして門の奥へと――《世界樹》が聳え立っているであろう方向へと視線を向けた。
 リチャードは、無言。ただし、その表情からは笑みが消え失せていた。
 どういう事なの、とターヤは声無き声で呟く。
『やはり、その事を訊きにきたのか』
 これで生命体であったならば溜め息を吐いていたであろう事が予想できる声色だった。
 スラヴィが益々眉根を寄せる。
『ケテルに治療法を教えた時点で、自我を取り戻せばこのような行動に出るであろう事は予想が付いていた』
「なら、俺の質問に答えてくれるよね?」
 険しさと真剣みを増した視線を受けても、大樹は誤魔化さず逃げも隠れもしなかった。
『確かに、吾が故意に主の記憶を預かり、自我を制限していたのは事実だ』
 瞬間、自分の中で歓喜の声が上がったようにスラヴィは錯覚した。認めた、相手が遂に認めた、と今にも跳び上がらんばかりの勢いで。
『だが、それも理由があっての事だ。主に生前の自我と記憶を持たせたままでは、《記憶回廊》としての業務に支障が出てしまうからだ。ただし、完全に自我を取り上げてはただの人形と化してしまう故、制限をかけるだけに止めたのだ』
 ただひたすらに淡々と、まるで世界樹の街でターヤに見せた人間らしさなど嘘であったかのように、《世界樹ユグドラシル》は事実だけを冷淡に告げたのだった。

 この一連の発言に、その態度に――ターヤは、信じていたものを根本から否定された気がした。
「ユグドラシル……?」
 無意識のうちに、震える唇から声が零れ落ちる。
 だが、今は《世界樹》は彼女に取り合おうとはしなかった。
「君は――!」
 相手の真なる本音を知ったスラヴィは方向せんばかりに叫びかけて、けれどもまるでそれは不可能なのだと言わんばかりんに途中で唇を横に引き結んでしまう。それは相手が《世界樹》という強大な存在であるからなのか、あるいは《記憶回廊》としての性故なのか。
『これで質問は済んだか? ならば、即急にこの場から立ち去れ』
 言葉に詰まってしまった少年を見下ろしているかの如く降ってきた声と共に、ようやく重い音をたててゆっくりと巨大な門は開かれた。
 けれども、もう彼は門番達を蹴散らしてでもその向こうに行こうとは思わなかった。
 すっかりと鎮静されてしまった元同僚へと嘲笑を放ってから、リチャードはその中へと消えていく。
 後に残されたのは門番達と、後味の悪さに見舞われた一行と、呆然自失とするターヤ。
 そして、悔しさからか全身を小刻みに震わせるスラヴィだけだった。
「おねーちゃん、だいじょぶ?」
 マンスに声をかけられて服の裾を引っ張られた事で、ターヤは我に返る。顔を下げれば眉尻を落とした少年が見上げてきており、不謹慎ではあるがその可愛さに癒された気がした。
「うん、わたしは、大丈夫。でも……」
 頷いて、首を動かしてスラヴィを見る。自然と彼同様に眉尻が落ちてきた。
 ターヤも衝撃を受けた事には受けたが、それでも一番ショックが大きかったのはスラヴィなのだ。彼は彼なりに心の奥底では《世界樹》を信じたいと思っていたのだろう。だからこそ、現在こうして大きな精神的打撃を受けている。
 現に、彼は先程から表情も身体も微動だにすらしていなかった。
「このままここに居ても仕方ねぇし、とりあえずヴィラに行ってみようぜ。そこにも用があるんだろ?」
 重苦しい雰囲気を少しでも和らげるべく、どこか気遣うような声色でアクセルが皆へと言葉を放る。ただし、その後半部分はスラヴィただ一人にのみ向けられていた。
 少年は、そこでようやく首を縦に小さく振ったのだった。


 海辺のリゾート・ヴィラ。南大陸の南方に位置するプライア海岸に隣接した唯一のリゾート地であり、夏季には涼を求めて連日の客足が増加し大変混雑する程だ。勿論プライア海岸にはモンスターが出現する事もある為、警備として〔ヨルムンガンド連合〕――特に〔軍〕や〔万屋〕の面々が日替わりで駆り出されている。特に気温が高くなる時期は、この場所がモンド・ヴェンディタの経済を回す重要地点となるからだ。
 しかし暦上では初冬である現在は、幾ら南方とはいえそれ程暑くもないので客の入りも疎らであり、よって海岸も端となれば警備の者など居ない。それを見越していたアシュレイの言により、双子龍は限りなくガハイムズフォーリ鍾乳洞に近い浜辺へと降り立ったのだった。
「ありがと、カレル、テレル」
 普段ならば彼らと一緒に居られるだけで幸せそうなマンスだったが、今は流石にそのような様子は見せなかった。ただ遠慮がちに礼を述べるだけだ。
 そして解っているからこそ、双子龍も首肯で応えるだけに止めておいた。
 皆もまた双子龍に対する感謝の言葉を口にはしつつも、スラヴィの様子を気遣ってかあまり口を開こうとはしない。
 当の本人は、世界樹の街での問答を最後に一度も言葉を発していなかった。
「とりあえず、ヴィラまで行こうか」
 と、そこでレオンスが突破口を作り出そうとする。あえて普段通りの表情を浮かべて、普段通りの調子で皆へと聞こえるように声をかけた。
「いつまでもこんな所に居たところで双子龍が誰かに見られる危険性が高まるだけだし、世界最大のリゾート地なら存分にリラックスできるだろう?」

ページ下部
bottom of page