The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
十八章 暗転する光‐shock‐(2)
この発言には、アクセルが目を瞬かせ、ターヤは驚くと同時に首を傾げた。
「まじか、そっちが真名だったのかよ」
「何で知って……と言うか、『まな』って何?」
この世界におけるエネルギーの最小単位と同じ響きだが、言葉の内容からして、どうやらそれを指している訳ではないようだ。
不思議そうな顔になったターヤには、寧ろセアドの方が驚きを顕にする。
「何だ、知らなかったのかよ。てっきり兄ちゃんがとっくに教えてるのかと思ったぜ」
ちなみに嬢ちゃんが《神子》サマだって事はそっちの兄ちゃん達から聞いたんだ、と言われてターヤはエマ達を見た。申し訳無さそうな顔を向けられた上、エマのことだから何かしらの事情があったのだろうと思い、内心で一人納得する。
「そんな暇も無かったからな」
一方、そう言われたアクセルは苦笑していた。
採掘所での事を暗に示しているのだろうか、とターヤは反射的にそちらを向いてしまう。
彼女が自身を見た事を合図として、彼は説明し始めた。
「理由までは知らねぇけど、龍は本当の名前――『真名』を家族と伴侶以外には教えねぇ種族なんだ。だから俺はずっと『アストライオス』が仮名だと思ってたんだけどな」
つまり、龍という種族は皆、常に名乗る名前とは別に、家族や配偶者しか知る事のできない『真名』を持っているという事だ。それは意味を持つ名であり、彼らにとっては特定の者以外を立ち入らせない聖域でもあるのだ。
「けど、アストライオス、っつーのがあのジィサンの真名なんだ。外用の名前は……確か、ゲルティだった筈だぜ?」
アクセルの後はセアドが引き継いだ。
二人がかりの説明で、ようやくターヤは合点がいった。そしてセアドや双子龍、ブレーズが人前でも彼を真名で読んでいた理由を、怒りと激情に支配されて冷静ではなくなっていたからではないかと推測する。無論、口にする事は無かったが。
と、そこでターヤは更に身に纏う雰囲気を険しいものへと変えているスラヴィに気付いた。
「スラヴィ? どうし――」
「君は、君が……今代《世界樹の神子》なのか」
向けられたのは、有無を言わさぬ強さを備えた声と鋭い眼差しだった。
「う、うん」
思わず首を縦に振れば、次に彼はその場に居る皆をぐるりと見回した。そうして言う。
「ヴィラに、行かなきゃならない気がするんだ」
「ヴィラって、[海辺のリゾート・ヴィラ]の事よね?」
「でも、その前に。俺は、《世界樹》と話がしたい」
いきなりの話題転換に呆れつつも確信を持ってアシュレイが問うが、やはりここでもスラヴィは返答どころか首肯すらしなかった。寧ろ自分から提示した筈の話題を、次の瞬間には他のものへと差し替えてくる。
これには、アシュレイが憮然とした表情になった。
そんな彼女をエマがさりげなく宥めている間に、スラヴィの対応はアクセルが請け負う。
「《世界樹》と何を話そうっていうんだよ?」
「君達には関係無い。これは俺の問題だから」
取りつく島も無い態度には、機嫌が直りかけ始めていたアシュレイが再び眉を顰めた。
その事に内心では苦笑しつつ、自身は気にしていないふうを装いながらアクセルはスラヴィから視線を外さない。ただし表情は引き締めて、相手を諭すべく言葉を紡ぐ。
「あるんだよな、これが。俺達とおまえはもう一蓮托生って言っても良いくらいの関係にはなってるだろうし、今のおまえは一人にさせちゃならねぇ気がするんだ。だいたい、おまえ、一人で霊峰まで行けるのかよ?」
アクセルの発言は的を射たようで、図星らしいスラヴィは口を噤んで視線を僅かに落として逸らした。
やっぱりな、と言わんばかりの顔をアクセルは浮かべる。
「ほら見ろ、全く『自分一人の問題』にできてねぇじゃねぇかよ。そんなんで、よく俺達には関係無いとか言えたよな」
若干責めるかのような色が、そこには含まれていた。彼もまたスラヴィのことを心配しているからこそ、少々きつい物言いになってしまっているのだろう。
だが、いつまでも言われっ放しになっているスラヴィではない。
「けど、これが俺だけの事情なのは事実――」
「とりあえず、この辺りで一旦止めておかないか?」
しかし、彼の発言を遮るようにしてレオンスが仲裁に入っていた。
邪魔される形となった二人――特にスラヴィは不満そうな表情を青年へと向けるも、相手の気迫を感じたのか渋々といった様子で口を噤む。
「幾ら言い争ったところで不毛なだけだろう? それなら、互いに妥協すれば良いんだ」
「妥協?」
レオンスの提案にスラヴィは訝しげな顔をするも、アクセルは理解できていた。
「それはつまり、俺らがスラヴィと動く代わりに、こいつの好きにさせてやれって事かよ」
「まぁ、そういうところかな」
どことない渋面を浮かべている彼に苦笑しつつ、レオンスは肯定する。
予想通りの内容にアクセルの眉根は更に中央へと寄るが、口を開く事は無かった。それが双方にとって最良の案であると認め、不本意ながらも受け入れる事にしたのだろう。
対して、スラヴィはどこまでも頑なだった。
「何度でも言うけど、これは俺の問題だから」
だから放っておいてくれと、一人にさせてくれと、言外にそう語っていた。
ここまで頑固とくればレオンスもお手上げとばかりに両肩を竦めてみせ、皆も互いに顔を見合わせるしかない。
「っざけんじゃないわよ!」
と思いきや、そこに怒号が割り込んでいた。
驚いて反応した皆が目にしたのは、明らかに怒りが沸点を超えているとしか思えないアシュレイだった。その不機嫌さの度合いは、先程の比ではない。
「黙って聞いてれば苛々するわね、素のあんたって奴は! これならまだ、前のあんたの方がましだったわよ!」
この発言には誰もが慌てふためき、思わずターヤですらも口を挟みかける。
「ア、 アシュレイ! その言い方は――」
「ふざけるな!」
けれども、それよりも速くスラヴィが先程の比ではない憤りを顕にして怒号を放っていたのだった。
「前の……ただ記憶も自我も奪われて《世界樹》の言いなりになっていただけの俺の方が良い訳が無い!」
対して、アシュレイはいつの間にか冷静になっていた。
「ええ、そうでしょうね。今のあんたの方がよっぽど人らしいわ。けど、あたしが言いたいのは、怒りに呑み込まれているだけの今のあんたよりは、前のあんたの方がよっぽど冷静だったって事よ。怒りに身を任せたところで、逆にあんたの方が足を掬われる事になるわよ?」
スラヴィの激情をすっぱりと正論で切り捨てると、まだ何か反論はある? とでも言いたげな表情を彼へと向ける。
事実故にぐうの音も出なくなったようで、遂に少年は黙り込んだ。
ようやくか、とアシュレイは溜め息を吐く。それからセアドを見た。
「《龍の友》、そういう事で悪いけど、また双子龍を貸してくれないかしら? この我儘を世界樹の街まで連れていかなきゃならないみたいだし……マンスも、そいつらと一緒に居たいでしょうし」
最後の方は羞恥が勝ったのか僅かに視線を逸らしたアシュレイである。
ここまで計算してのあの発言だったのか、とは一行も感嘆するところであった。アシュレイなりに、現在のスラヴィの脆さと危うさを心配していたのだろう。