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十八章 暗転する光‐shock‐(1)

 窓が一つも無い密閉空間の――自身専用の事務室にして司令室の椅子に腰を下ろした姿勢のまま、〔ウロボロス連合〕のリーダーは苛立ちを募らせていた。
「まだ連絡は来ないのか」
 男性の鋭い眼差しが、部屋の隅で待機していた部下の一人を捉える。
 彼は委縮しかけるも即座に応答はした。ただし相手の言いたい事は解らなかったので、疑問符を浮かべながらではあったが。
「い、いえ。誰からも、特に何の連絡も来ていませんが……?」
 瞬間、リーダーの拳が机上へと叩き付けられた。
「ひっ……! す、すみません!」
 慌ててその部下は頭を深々と下げる。
 しかし、リーダーは彼の事など最初から気にも留めていなかった。ここ最近その思考を巡っているのは《精霊使い》に命じた《鋼精霊》の一件についてばかりである。
(おかしい……《鋼精霊》が我々の支配下から逃亡してから、既に日数は経っている。だと言うのに、あの《人工精霊》は少しも弱った様子が無い。ギドから少しも吉報が来ないという事は、つまりそういう事なのだろう)
 元々人工精霊とは、幾ら精霊の一部が素になっているとはいえ、結局のところは人工的に造られた存在だ。故に彼らは、他者から〈マナ〉を供給されなければ自身の存在を保てない程に、不安定な生命体にしかなれない。
 自身に〈マナ〉を供給していた《精霊使い》を食い殺してその呪縛から解き放たれた現在、そういう意味では《鋼精霊》は孤立無援の状態な筈だった。
 しかし、彼は現に衰弱していくどころか《精霊使い》という追手を悉く退けている。
 そこがリーダーは腑に落ちないでいた。
(だが、いったいどのような手段で《鋼精霊》は存在を保って――待てよ)
 そこまで考えたところで、ふと思い付くものがあった。
(もしや――)
 反射的に立ち上がると、驚く部下には気付かず、自身から見て左側の壁に位置する扉を速足で目指す。
「《鉱精霊》!」
 その扉を蹴り破らんが如き勢いで押し開けるや否や、彼女の名を叫ぶように呼びながら、リーダーは扉の先の部屋の中央に鎮座する物体へと近付いていった。
 それは、天井まで届きそうな程の大水槽だった。内部には空気の入る隙間が無い程の密度で緑色の液体が流れており、そしてその中央には一人の女性が浮かんでいる。
 足元まで隠す程に長く露出の低めな服装、所々に散りばめられた宝石の装飾品、先が綺麗な曲線を描く硬質そうな髪、色というものが存在しないように感じられる白い肌、といった風体だ。そして彼女が纏う雰囲気は、大よそ人間のものとは思えなかった。
「おまえが《鋼精霊》に〈マナ〉を供給しているのか?」
 確かめるようにリーダーは問う。
 けれども彼女が返答する事は無かった。深い眠りに就いているのか、はたまたひどく衰弱しているのか、とにかく彼女は完全に瞼を下ろしている。動きといえば、液体に身を任せているせいか時おり身体が揺れるくらいだ。
「あの、リーダー、《鉱精霊》に何か用ですか?」
 白衣を纏った男性が部屋の奥から姿を現せば、ちょうど良いと言わんばかりにリーダーは彼を見た。
「《鉱精霊》にショックを与えてくれ。目が覚めるくらい強力なものにしろ」
「ですが、《鉱精霊》は捕らえた時から、ずっとこのような調子ですし……」
「構わない。試してみてくれ」
「解りました」
 最初から『リーダー』の命を断る気も無かったらしく、白衣の男性は――《禁忌研究者》は二言目ですぐに首を縦に振った。それから再び壁際に設置されている機材の許へと駆け足気味に戻っていき、何事かを操作した。
 直後、大水槽内を目に見えて解るレベルで電撃が奔り、女性の身体が瞬間的に硬直する。かと思いきや、続いて痙攣し出した。

「もう少し上げてくれ」
「解りました」
 研究者はリーダーの言葉に、特に何も考えずに頷く。
 更なる衝撃に《鉱精霊》の身体が頭から指の先まで引きつるが、誰も止めようとはしなかった。研究者は電気ショックのレベルを調節するべく魔導機械を弄るだけで、リーダーは《鉱精霊》の一挙一動を観察するだけだ。
 それから幾度かを経たが、やはりと言うべきか《鉱精霊》からは何の反応も無かった。
 研究者が恐る恐るといった様子で上司を見る。この結果が原因となって自身に何かしらの災厄が降りかかってくるのではないかと心配になったのだろう。
 だが、リーダーが着目していたのはそこではない。彼はこの一連の実験により、既に十分すぎる程の成果を得ていた。
「なるほど、やはりそういう事か」
 自論が間違っていなかった事を確信すると、彼は不敵な笑みを浮かべたのだった。


 太陽も沈んですっかり暗くなった頃、アグハの林は何とも言えない空気に包まれていた。
 その要因は至って単純、スラヴィ・ラセターである。ターヤとテレルの尽力により立ち直り、現実と向き合ったところまでは良かったのだが、目覚めた彼は別人と化し、そして《世界樹》への強い憎しみを顕にしていたのだ。
 慌ててターヤは現在のスラヴィの性格こそ実際のものである事、そして彼が《記憶回廊》という元々の『スラヴィ・ラセター』を元にして造られた存在である事をなるべく小声で告げたのだが、以前までの彼とのギャップとその正体に皆は驚きを隠せなかった。
 そして、まさか精神世界だけではなく現実世界にも実際の人格が出てくるとは思っていなかったので、彼女自身もまた目を瞬かせた。今までのような《記憶回廊》としての顔でなくなったという事は、もしかするとその役目から解放されたのだろうかとも考えながら。
 しかも、起きたスラヴィは、ただ一言――《世界樹》への恨みを口にした後、すっかりと黙ってしまっていた。
 かくして、どうにも今まで以上に増して接しにくくなった彼を取り巻くかのように様子を窺いつつ、皆もまた自然と口を閉ざしてしまったのである。
 そのような重たい雰囲気の中、本当は事情全てを口にした方が良かったのかもしれない、と今更ながらにターヤは考えていた。しかし、スラヴィ本人がどこまで精神世界での事を覚えているのか解らなかった上、幾ら不可抗力とはいえ勝手に彼の記憶を覗き見てしまった事に変わりはないので、その後ろめたさに押されたターヤは皆にも彼に何も言えずにいる。
「なぁ」
 そのような状況の中で、ゆっくりとではあるが声を発する勇者が一人居た。
「訊きてぇ事があるんだけどよ、今良いか?」
 セアドである。彼は真剣な面持ちでスラヴィを見つめていた。
 彼は、そちらを見ない。
 それでもセアドは問う事を止めるつもりは無かった。
「二度目になるけどよ、キミ、《記憶回廊》だろ?」
 その言葉に反応したのか、ゆっくりと少年の首が回る。彼はそのまま、今まで通りのどこを見ているのか判らない表情で――けれども強い憎悪を湛える光の灯った両眼で、青年へと視線を向けてきた。
 だが、その程度で動じるようなセアドではない。
「そーいう反応を取るってこたぁ、図星だな。やっぱりカレルとテレルの言うとーりか。それにしても、坊主も人が変わった……っつーか、ようやく素顔を見せるようになったよな。前に同じ事を訊いた時は全く反応しなかったのによぉ」
 そう言ってから、ふとセアドは何事かを思い出したようにターヤへと視線を移してきた。
「そう言や、嬢ちゃんは今回の《世界樹の神子》サマなんだってな、どーりでアストライオスっつー真名を知ってた訳だぜ」

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まな

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