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十七章 失った過去‐Slavi‐(10)

 かくして異形と化した影は標的をターヤに定めると、次なる詠唱を開始した彼女へと襲いかかる。
「させないよ」
 だが、その間に詠唱中の彼女を護るべくスラヴィが割り込んでいた。
(ちょうど良い、おまえ諸共その女も壊してやる!)
 吠えると同時、影は幾つもの触手を相手へと差し向ける。
 スラヴィはこれに対して、両方の袖から放出したさまざまな暗器で対応する。
 二人の攻防は、武器の数も早さも威力も全てにおいて互角であった。
 その間にも、ターヤは早口気味に詠唱を行っている。今の自分なら大丈夫だからと自信を持って、最も闇魔が苦手とする光属性の攻撃魔術に挑戦していた。やはり制限は解かれているようで、構築には手応えが感じられる。
「――『悪しき者へと降り注げ』――」
(させるか!)
「きゃっ!」
 しかし、あと少しというところで、横から強い衝撃を受けて転倒を余儀なくされる。それによって完成間近であった魔術も霧散した。
 起き上がりながらも視線を動かせば、つい先程までターヤが立っていた辺りには影から伸びた触手が一本だけ見受けられた。その先端は火に当てられたかのように爛れているが、あれが彼女の邪魔をした原因である事は間違い無かった。
 けれども、未だ影の触手はスラヴィと攻防を繰り広げたままだ。
(おまえ自身には触れられないが、術師相手なら足場を崩せば詠唱も止められるからな)
 余裕を取り戻した様子で影が嘲笑う。
(この空間内に居れば、俺は幾らでも腕を伸ばせるんだ)
「っ……!」
 影がそう言った直後、突如として出現した触手によって腹部を強打され、少年は苦悶の表情を浮かべながら後方へと吹き飛ばされていった。
「スラヴィ!」
 慌てて彼へと駆け寄っていったターヤと、顔を顰めつつも何とか起き上がろうとするスラヴィを眺めながら、自身の優勢を確信した影は大いに高らかに笑う。
(これで俺の勝利は確定した訳だが……さて、どうやって料理してやろうか――)
『否、汝の負けだ』
 唐突に第三者の声が割り込んできたと思った瞬間、影は突風に襲われていた。
(ヴっ……!)
「この声――」
 反射的に視線を動かした先に、ターヤは翼を羽ばたかせて風を起こしている一頭の龍を視認した。
「テレル!」
 脳内がごちゃごちゃになっていたせいか名を呼ぶ事しかできなかったが、その声色には心配から転じた安堵と喜びがありありと表れる。
 それに気付いていたからこそテレルは軽く頷いて、すぐに視線を影へと戻した。
 逆に、影は驚愕した様子だった。
(龍だと!?)
『幾らこの場ではハンデがあるとはいえ、闇魔の成り損ない如きが我に敵うものか』
(く、くそっ……!)
 圧倒的な迫力に威圧されるも、影は何とか耐えようとして思わず龍へと触手を伸ばす。
 だが、苦し紛れでしかない攻撃が、最強の種族たる龍に通用する筈も無かった。咆哮だけで弾き返されてしまった上、相手に与える筈だった衝撃が自身へと返ってくる。
(うげっ……!?)
『ケテルよ、今だ』
 そうして倒れ込んだところで、影は死の宣告にも等しき声を聞いた。
「うん! ――〈無〉!」

 今度は回避する暇も無く、影は完全に魔法陣の内部に囚われる。消滅は不可避だと悟った影は、素早くスラヴィへと視線を寄越した。
(これで安心するなよ、スラヴィ・ラセター! おまえが憎む事を止めない限り、俺達は何度でも――!)
 最後まで言わせず、《世界樹の神子》固有の魔術は影を跡形も無く消し去った。
 闇魔諸共魔術が綺麗さっぱり無くなった後には、沈黙だけが残る。
 かの影を生み出してしまった張本人である少年は少なからず自責の念を感じているのか、顔を俯けて無言を貫いていた。その両肩は、心なしか落ちている。
「スラヴィ」
 名を呼ばれて、思わず肩が跳ねる。ゆっくりと顔を持ち上げた先では、少女が微笑んで手を差し伸べていた。
「一緒に、みんなのところに帰ろう」
「……解った」
 少しだけ迷ったが、こくりと頷く。そうして、彼女の手を取った。
「では、送ろう」
 いつの間にか人型に変わって二人の許まで来ていたテレルはそれぞれの肩に手を置くと、精神を片割れと同調させるべく集中し始める。
 彼に倣い、ターヤとスラヴィもまた瞼を下ろした。
 そうして光に包まれたターヤが次に瞼を押し上げた時、その視界には円を描くようにして顔を覗き込んできている一行とセアドの姿があった。そこから、自分は仰向けで横になっているのだと知る。
 彼女が目を開けた事を認識するや否や、皆は口々に声をかけてきた。
「ターヤ! ……問題、無いようだな」
「あんたって奴は……!」
「ったく、心配させやがってよぉ」
「おねーちゃん、大丈夫?」
「無事なようで何よりだよ」
「あ、え、えっと……そのっ……!?」
 それぞれに答える暇も無く息も吐かせぬ勢いで四方八方から言葉を向けられ、思わず上半身を飛び起こさせて慌てふためいてしまうターヤであった。
「ったく、カレルを通してテレルからはぐれたって言われたときゃあ、心臓が止まるかと思ったぜ」
 安堵した様子で息を吐いたセアドにもそう言われてしまえば、彼女は申し訳無さで胸がいっぱいになる。まともに皆の顔も見れそうになくなって、ゆっくりと頭が垂れていった。
「その……心配かけて、ごめんなさい」
 殊勝な様子で謝罪した彼女を見て、皆の心配も完全に吹き飛んだようだった。彼らは互いに顔を見合わせると、すぐに普段の調子へと転じる。
「ま、おまえにしては良くやったよな」
「解ったなら、次からはもっと気を付けなさいよ」
「はは、相変わらずアクセルとアシュレイは素直じゃないな」
「ちょっと、何でこいつと一緒くたにされなきゃならないのよ!?」
「そうだよ、赤なんかと一緒にしちゃったら、おねーちゃんが可哀想だよ!」
「おいちょっと待てやこのクソガキちょっくら俺と二人で話そうじゃねーか」
「アクセル、御前はもう少し大人になれないのか」
 途端に相変わらずの雰囲気を構築し出した皆に、ターヤは苦笑せざるを得なかった。
 それはセアドも同様なようで、仲裁すべく彼らの間へと苦笑い交じりに声を放る。
「まぁまぁ、一仕事終えてきた嬢ちゃんの前で騒ぐなよ。ともかく、嬢ちゃんとテレルカレルはお疲れさん。後は坊主が目を覚ますのを待って――」
「……ぅ」
 セアドが言い終わる前に、そこでようやく少年が僅かな呻き声と共に身動ぎした。

「! スラヴィ!?」
「気付いたのか!?」
 少年の変化に気付いた皆は慌てて意識をそちらに戻すと、彼へと口々に声をかけながらその顔を覗き込む。
 ターヤもまた彼の傍へと寄った。
 しばらくの間、少年は眉根を顰めるようにして、苦しそうな言葉にならない声を上げながら身動いでいるだけだったが、やがてゆっくりと瞼を押し上げ始めた。
「! 良かっ――」
 それを目にしたターヤはほっと安堵の息を吐きかけて、それよりも早く視界に映ったものにより反射的に硬直していた。先程までずっと目にしていた筈なのに、まさか、という思いが脳内を駆け巡る。
 それは彼女以外の面々も同じ事で、全員が少年から目を離せないでいた。
 そして、完全に意識を取り戻した少年は――『スラヴィ・ラセター』は、静かに上半身を起こすと、不思議そうに周囲を見回したのだった。
「ここは、どこだ?」
 その瞳には今までのような無機質さは無く、確かな光が灯っていた。


 同時刻。
 とある町にて出店を構えていた老婆は、ふと面を上げて視線を動かしていた。客足もなかなか遠く暇を持て余していた為、手元の水晶玉で明日の運勢でも占おうとしていた矢先、何かを感じたのである。それは一瞬で脳内を駆け抜けていったが、彼女の中に大きな余韻を残していた。
 直感的に、内心で閃くものがあった。
「……スラヴィ?」
 思わず呼んだその名が意味するものに彼女が気付くのは、まだ少し先の話。

 


  2013.06.01
  2018.03.12加筆修正

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