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十七章 失った過去‐Slavi‐(7)

「ともかく、幾らギルドリーダーであろうと、補佐である吾輩に何も言わず勝手に部下を動かすのは見過ごせぬ。次からは一言くらいは欲しいものだ」
 あからさま且つ強引な誤魔化し方だったが、男性はそこを追及する事は無い。
 そして、それを中年男性は知っていた。だからこそ取り繕う事も無く切り上げたのだ。
 男性は少しばかり思案する様子になるも、比較的すぐに軽く頷いてみせた。その表情には、初期から殆ど変らぬ穏やかさを湛えたままだ。
「そうだな、副団長の言う通り、次からは気を付けるとしよう」
「その言葉だけで終われば良いがな」
 苦し紛れに吐き捨てると、中年男性は踵を返して退室する。わざとらしく挨拶も会釈も行わず、扉は後ろ手で叩き付けるかのように思いきり強く閉めて。
 そんな彼の背中を、あくまでも男性は変わらぬ表情のままで見送ったのだった。
 廊下に出た中年男性は、早くその場から離れたいと言わんばかりに速足で歩く。内心は男性に対する憤りで占められていた。十分な材料は用意できたというのに、またしてもあの憎たらしいポーカーフェイスを崩せなかったのだ。
「若造共が出しゃばりおって……!」
 憎々しげに呟いてから、彼は最も信頼する部下に用事を頼むべく行き先を定めた。


「……た……さ……」
 水底へと沈んだ意識を、呼び上げようとする声がある。
「……た……さん……」
 それは優しく上品で、けれども鋭く力強い、起床を促す呼び声でもあった。
「……や、さん……」
 聞き覚えのある、よく知っている誰かの声のような気がするが、どうにも起きたくないという気持ちの方が強く、寝返りを打とうとする。まだもう少しだけ寝ていたい。
「――ターヤさん」
「っ……!」
 しかし、その有無を言わせない痛烈な一撃により、どこか泥酔状態のようでもあった意識は、今度こそ完全に水面より上へと引っ張り上げられたのだった。その衝撃で弾かれるようにして両目を開き、見知った人物に膝枕をしてもらうようにして抱えられている事に気付く。
「あなた、は……」
「お久しぶりです、ターヤさん」
 微笑みと共に挨拶を述べてきたのは、幾度と無く一行を手助けしきた上、レオンスと懇意にしており、主にギルドに属する人々の間で名を馳せているらしき謎の人物こと《情報屋》や《レガリア》などの異名を持つ銀髪の少女だった。
 彼女の顔を見た瞬間、無意識のうちに言葉が口を突いて出ていた。
「〔教会〕に、ヴォルフを寄こしてくれたよね」
 独り言のような感覚で呟いた刹那、少女が相も変らぬ筈の笑みを崩した。
「あの方から、聞いたのですか?」
「うん、ヴォルフがあなたに頼まれたんだって言ってたよ。助けてくれて、ありがとう」
 頷き肯定した後に礼を述べれば、彼女は前半部分に対して「そうですか」と言ったきり、黙ってしまう。何か思うところがあるのか、その表情は思案しているようにも、想起しているようにも見えた。
 そういえば、どうして彼女がこんな所に居るのだろうかという思考に、そこでようやくターヤは至れた。
(あ、そっか……)
 ぼんやりとした頭で考えてみた直後、自身がスラヴィに拒絶された事をはっきりと思い出した。それにより意識は完全に蘇り、再会の喜びに高揚しかけていた感情は一気に冷える。
「わたし、スラヴィに……」
「貴女は危うく、ラセターさんの――《記憶回廊》の中に取り込まれるところでした」
 最後までは言わせず、徐々に肩を落としていく彼女から視線を外すようにして顔を持ち上げると、少女はなるべく淡々と告げた。

 しかし彼の名前を耳にした瞬間、先刻の事を思い出したターヤは迷いの渦に沈み始める。
「スラヴィを連れて帰るのは、正しい事なのかな?」
「ターヤさん?」
 唐突なターヤの言葉に少女が怪訝そうな顔をするが、彼女はそちらには気付かない。
「だって、あんな悲痛な声で拒絶されたら……もう、どうして良いのか解らないの」
 眉尻は一気に下がり、表情は今にも泣き出しそうなものへと変化する。
 少女が驚いたように一瞬だけ固まるも、すぐに表情を真面目な物へと引き締めた。
「では、貴女は、ラセターさんが一生あのままで宜しいのですか?」
 上から降りてきた無機質な声に、反射的に跳び起きていた。
「そんな事っ……!」
 無い、と言いかけて、数秒前までの冷たさなど皆無なその暖かな笑みに、言葉を失った。
「それが貴女の本心ですよ、ターヤさん」
 まるで最初からターヤの心情など見透かしていたかのように、少女は微笑んでいる。
 何だかばつが悪くなってしまい、ターヤは気恥ずかしさから視線を逸らした。
 対して、今度は少女の方が表情を曇らせてしまう。
「それに、ラセターさんをこのような目に遭わせてしまったのも、今このように貴方を危険な目に遭わせているのも、全て私の責任ですから。本当に、申し訳ありません」
 足場の無い空間の中で浮いたまま、少女は頭を下げてきた。
 だが、突然そうは言われても、ターヤには未だに彼女とスラヴィとの関係がよくは解らなかった。以前アウスグウェルター採掘所でも彼女はスラヴィに対して『謝らなければならない』というような事を言っており、スラヴィもまた彼女に対して負の感情を抱いていたようだったが、それが何を意味するのかは理解まで至れていないのだ。
「えっと、どういう事なの?」
 故に訝しげな顔で問えば、素早く塗り替えられたかのようにさっと相手の表情が強張った。
 失言だった、と気付いた時には遅すぎた。
「あ、ごめ――」
「いえ、構いません。いずれ貴女には御話ししなければならない事でしたから」
 ターヤの謝罪を途中で遮り、少女は口を開く。
「既に《世界樹》さんから御聞きになっているかとは思いますが、ラセターさんは《記憶回廊》と称される存在です」
 確かに、それは既に世界樹の街にて《世界樹》から教えられていた。
 首肯するターヤを見て、少女は次へと移る。
「では、《記憶回廊》という存在が、私が――《神器》が『欠陥品』であるが故に必要とされた『補佐』だという事は御存知でしょうか?」
 そのどこか自暴自棄にも思える言葉により、ターヤは同じく世界樹の街でリチャードが言い放った内容を思い起こさせられた。彼は彼女を『欠陥品』だと嘲笑ったが、彼女自身もまた自分の事を躊躇い無く『欠陥品』として自嘲している。
 ターヤの反応から知り得ていると判断した少女は、瞼を押し上げて顔を歪めた。
「やはり、既に存じられていたようですね」
 珍しいその様子に、けれども触れている余裕などターヤには無い。どうして自分の事をそうも易々と卑下できてしまうのか、その思いだけが心中を占めそうになる。
 思考を表情から読み取ったようで、少女が自嘲に苦笑を重ねてきた。
「貴女が気になさる程の事ではありません。これは紛れも無い事実なのですから」
「でも――」
「そもそも、私が今こうしてラセターさんの精神内に御邪魔できているのも、私が現在の『彼』の大本になっている存在であるからにすぎません」
 反論されるであろう事を見越してか、少女はターヤを遮るようにして続ける。
 予想外の言葉を受けて胸中で燻っていた否定の気持ちが鎮火させられると同時、無意識のうちに両目が開閉を繰り返す。
「え、じゃあ、別にセアド達の所に行った訳じゃないんだ」

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