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十七章 失った過去‐Slavi‐(6)

 次の場面は、フィールドのようだった。二人は大きな岩に並んで腰かけているが、その間には精神的な距離があるようにターヤには思えた。
『妾は、時おり不安になる。そなたが無理をしていないかと』
『普段は素直じゃないイーニッドがそんなことを言うなんて、明日は雪かな』
『茶化すでない! 妾は、本気でそなたのことを心配しておるのだぞ?』
『それでも、俺は君の為なら無茶を止めないよ。それに、君もよく無茶をする』
『それは……』
『同じ事なんだ、イーニッド』
 そして、再び場面は移り変わる。
 眼前に二人を見付けた時、その様子でターヤは全てを悟った。
『ずっと、待っておる。そなたが転生するのを千年先で待っておるから――だから、妾に会いに来てくれるか?』
『うん、俺はもう一度、君に会いに行くよ。だから、千年後で待ってて、イーニッド』
『約束じゃぞ、スラヴィ?』
『うん、約束だ』
 これは、彼と彼女の別れの記憶だ。
 状況も場所も全く持って解らなかったが、それだけははっきりと理解できた。そして、この後に起こるであろう事態も。
 だが、この記憶はそこで終わりだった。一気に場面が暗転したかと思えば、少女は最初と同じ縦横無尽な空間に戻されていた。それでも依然としてテレルの姿は見当たらなかったが、この時には既に彼女の意識は先程までの記憶に向いていた。
(もしかして、わたし、スラヴィにとって一番大切な人との記憶を見てたのかな)
 イーニッドという女性との記憶ばかりだったところから、そう考えるのが妥当ではないかと考えられた。
 しかし、なぜいきなり彼の記憶を断片的とはいえ見れたのだろうか、と不思議に思う。それまで自分はテレルに手を引かれながら彼の精神の中を移動しており、目的たる彼の意識そのものを見付けて名前を呼んだところで、このような事態に直面したのだ。
「! そうだ、テレル!」
 今までの行動と状況を思い返してみて、ようやく彼女は逸れてしまった相手の事を思い出した。
(でも、テレルなら大丈夫だよね?)
 セアドがターヤの案内人として彼を選んだという事は、例えこの空間内で迷ったとしても、彼ならば問題無く帰り道を見付けられるという事の証明なのだろう。
 大丈夫でないのはターヤの方だ。幾ら《世界樹の神子》などという大層な役目を与えられているとは言え、彼女が特化しているのは対闇魔方面であり、人の精神に干渉する術など付与されてはいない。
 故に彼女は最悪の場合、セアドの言葉通り一生ここから出られなくなる危険があった。
(そもそも、スラヴィともまだちゃんと話ができてないのに帰れる訳が無い!)
 嫌な想像は思いきり首を振る事で振り払うと、彼女は自身に気合を入れるべくガッツポーズを取った。
 何せ《世界樹》曰く、追い込まれて精神の崩壊したスラヴィに自我を取り戻させるには、かの大樹の加護を最も強く受けている《世界樹の神子》たるターヤが、彼の精神に直接呼びかける必要があるからだ。
(とにかく、もう一度スラヴィを見付けなきゃ!)
 決意も新たに、彼女は視線を動かす。近くに居なければまた移動しようと考えて、
「!」
 視界に、一つの鳥籠を捉えた。あれで間違い無かった。
「スラヴィ!」
 弾かれるようにして叫べば、彼は反応をみせる。ゆるゆると持ち上がった頭がターヤへと向けられる。先程のように彼の記憶へと飛ばされる事は無かったが、少女は彼の顔を直視する事となってしまった。
「……!」

 久方ぶりに目にした気がする少年の表情は、非常に疲弊していた。目には相変わらず光が灯っていないが、それがまた彼の疲労振りを助長しているように思える。
 このままにしておけば取り返しのつかない事になる、と本能が叫んだ気がした。
 故に、できる限り彼へと片腕を伸ばす。
「スラ――」
(来ないでくれ!)
「え……」
 名前を呼び終える前に反応は返されたが、それは彼女が望んだものではなかった。
 明らかな拒絶に唖然とする少女には構わず、少年は頭を元の位置に戻すと今度は自身の両腕で上から押さえつける。それは、まるで恐怖に怯え、その対象から目を逸らそうとしているかのようだった。
(もう嫌なんだ……こんな思いをするのは、もう沢山なんだ!)
 彼の本心からの叫びに、自分でも知らぬうちにターヤは胸を打たれていた。差し出した腕から力が抜け、眉尻が下がっていく。
「スラヴィ――」
 どうすれば良いのか解らなかった。本当に彼を連れ帰ろうとして良いのかと、そのような疑問が頭の片隅で生じてしまう。
 それが宜しくなかった。
(もう……誰も俺に関わらないでくれ!)
「っ……!」
 悲痛な叫びが聞こえた瞬間、完全に気を抜いていたターヤは、突如として波のように押し寄せた強い力によって後方へと吹き飛ばされていた。何とかして踏み止まろうとするが、支えになるものも何も無い空間では、ただでさえ非力なターヤにはなす術が無い。
「スラ、ヴィッ……!」
 もう一度だけ伸ばした手も届かないまま、彼女は意識諸共身体をいずこかへと吹き飛ばされていった。


「これはいったいどういう事だ、騎士団長?」
 とある場所、とある一室にて。とある一人の中年男性が、眉根を大きく寄せて前方の人物へと向かって鋭い声を放っていた。それはまるで詰問のようだった。
「いったい何の用だろうか、副団長?」
 対して、彼の眼前で椅子に腰を下ろしている男性は、随分と落ち着き払った様子で堂々としている。
 余裕綽々というか飄々としている相手に、副団長と呼ばれた中年男性は怒りのメーターを上げたのだった。無意識のうちに両方の掌が机に叩き付けられ、上半身が前方へと乗り出していく。
「とぼけるでないわ! 貴様が部下を使い水面下でこそこそと活動している事など、吾輩はとうに承知済みだ!」
「別に隠蔽していたつもりは無かったのだがな」
 声を張り上げる中年男性とは対照的に、騎士団長と呼ばれた男性はあくまでも沈着だ。
 その事実が、益々中年男性を煽る。
「ロヴィン遺跡にペルデレ迷宮と、幾度も部下を向かわせているらしいな。しかも、ブレーズ・ディフリングが無断で出かけた事も咎めなかったそうではないか!」
「それを言うのならば、アンティガ氏も同罪だろう。レングスィヒトン大河川でのオッフェンバック氏の一件については、どう釈明するつもりなのだ?」
 穏やかな顔のまま発された鋭い切り返しに、ぐっと中年男性は言葉に詰まった。
 眼前の男性は先程から少しも笑みを崩しておらず、誰がどう見ても『副団長』の方が劣勢である事は明らかだった。
 だが、彼はここで押し負けるつもりはさらさら無い。
「そもそも、先日ここに侵入者が現れたそうだが、聞けば、あろう事か手引きしたのはフローラン・ヴェルヌ――貴様の部下ではないか! それに、あの小娘は――」
 言いかけて、しかし咄嗟に口を噤む。思い出したくもない記憶が脳内を駆け巡ったが、それを何とか振り払って再び眼前に座る男性を睨み付けた。

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