The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
十七章 失った過去‐Slavi‐(5)
「対象を発見した」
そこにタイミング良くかけられたテレルの声で、完全に我に返る。
「あそこだ」
人差し指で示された方向へと視線を向けて、
「!」
そこに目的の人物を発見した。
二人の下方に浮かんでいるのは、鎖で雁字搦めにする事で更に頑丈さが増している、巨大な鳥籠の如き檻だった。その内部の中心に、彼は――スラヴィは膝に顔を埋める形で蹲っていた。
弱々しい彼の姿に、思わず名を呼ばずにはいられなかった。
「スラヴィ!」
その声に反応したのか、少年がゆっくりと頭を持ち上げて視線を動かす。
瞬間、少女の視界から全てが消えた。
「え……え!?」
次に気が付いた時には、彼女は見知らぬ場所に居た。そこはどこかの都市の市場ないしは商店街なのか、さまざまな店が軒を連ねている。露店らしき簡易的なスペースも幾つか見受けられた。
「ここ、どこ?」
四方八方へと視線を動かしてみるも、やはりターヤにはいっさい見覚えの無い場所だった。どうしていきなりこのような場所に移動してしまったのか、その方法すらも解らず、彼女は忙しなく首を回すだけだ。
そしてそこで、腕が両方とも空いている事に気付いた。
「テレル?」
顔を向けるも、やはり隣に居た筈の青年はいつの間にか居なくなっていた。
いつの間にと呟きかけて、セアドの言葉が脳内で蘇る。
『人の精神に自ら潜り込むっつーのは本当に危険な行為なんだ。最悪の場合、迷って一生出られなくなるっつー事も起こりかねねぇ』
「――っ」
途端に全身を寒気が奔った。
次いで、恐怖が津波のように襲いくる。先程以上に周囲へと飛ばす視線の数は増え、落ち着きや冷静さなどといったものは完全に失われた。
「テ、テレル……? テレル!? どこ!?」
必死になって名を呼ぶが、それに応える声は一つとして無い。寧ろ彼女の声が反響したものが聴覚へと返ってくるだけだ。
「う、うそ……」
遂には足の力が抜けて、彼女はその場へと崩れるようにして座り込んだ。もう、どうして良いのかすら解らなかった。最早このまま、ここで一生過ごす羽目になるのではないかとすら思えてくる。
「――っ」
自分自身でそう考えた瞬間、再び背筋に悪寒を感じた。
その時だった。
『――スラヴィ!』
「!」
突如として聞こえてきた聞き覚えのある名に、自然と首が動かされる。
怒声が飛んできた方向には、いつの間にか一人の女性が居た。彼女は露店のうちの一つの主なのかその場所に立って、しかし客が居るかもしれない通りではなく後方に聳え立つ木を見上げている。
そういえばここには誰も居なかった筈なのに、とターヤは思い浮かべて、そこでここがスラヴィの精神の中である事をようやく思い出した。
ならば、この風景もあの女性も、彼の記憶の一部なのだろうか。
そのように思うと、自然とあの彼女に興味が湧いてきた。自分については全く語らないどころか、《世界樹》曰く二度目の生を生きているらしい彼は――全世界の『記憶』を司る《記憶回廊》であるスラヴィは、いったいどのような過去を持っているのだろうか。そして、あの女性は彼にとって何者なのか。
人の記憶を勝手に見るのが良くない事だとは解っているのだが、ターヤはそこが気になって仕方が無かった。立ち上がると、そちらへと足を運ぶ。
『そなた、またも妾の邪魔をしおって……!』
記憶の中の会話だからなのか、女性の言葉はどこかフィルターがかけられているように聞こえる。
そして近付くにつれ、その容姿がよく見えるようになってきた。
くすんだ金髪を持つ彼女が身に纏っているのはマンスのような和服だが、彼の物とは異なり、どことなく『巫女』を彷彿とさせるような構造である。遠目なので実際のところは解らなかったが、女性の瞼は下ろされており、その片手には水晶玉が乗せられているように窺えた。
『聴いておるのか、スラヴィ!』
女性が叱責を放ったところで、ターヤは彼女のすぐ近く、顔がまじまじと観察できる位置まで辿り着いた。
『聞こえてるよ、イーニッド』
ここで初めて、女性の言葉に返された声があった。
その方向、彼女が見上げる木の上へとターヤは視線を動かして、思わず言葉を失った。
そこに居たのは、一人の男性だった。彼はその木に生えた太い枝のうちの一本に、幹に背を預ける形で腰かけていた。その髪と目の色は萌黄色、体格は少年ではなく青年のもの、そして表情は実に生き生きとしていたが、その服装と容姿は間違いなくターヤの知っているスラヴィ・ラセターと瓜二つだった。
(この人が、生前のスラヴィなんだ)
似ているようで違和感を覚えざるを得ない彼に、思わず両目を瞬かせてしまう。
『ならば即急に降りてこんか! 今日という今日こそは灸を据えてやるわ!』
驚き顔になったターヤの前で、イーニッドと呼ばれた女性はスラヴィへの怒りを顕にした。もしも彼が地上に居たならば、速攻で掴みかかっていたであろう勢いである。
対して、スラヴィはそれに弾かれるかのようにして上半身を軽く後ろに傾けた。
『嫌だよ。今の君は怖いからな』
そう言うや否や、彼は軽々と身を翻して彼女とは反対方向へと消えていった。
『待たんか、この愚か者がーっ!』
拳を振り上げて、その後をイーニッドが追いかけていく。
そこで、場面は反転した。
「え……?」
気が付けば、次にターヤが居たのは街中ではなく、どこかの鍛冶場だった。
「あれ?」
突然の事態に頭がついてこれず、再度きょろきょろと辺りを見回す事となる。
その過程で、二人の姿を発見した。ターヤはよく解らなかったがスラヴィは剣を打っているようで、イーニッドはその手元を覗き込むようにして横の椅子に腰を下ろしている。
『全く、こんな時まで鍛冶に精を出すとは、そなたも物好きだのう』
『そんな俺の仕事風景を好んで見に来たのは、どこの誰?』
痛いところを突かれたのか、返答は即座ではなかった。
『ふん、今日は偶々暇であっただけじゃ。自惚れるではないわ、愚か者めが』
『君は相変わらず手厳しいな』
先刻までとは異なり、イーニッドの口は悪いものの、スラヴィは気にしたふうも無く苦笑するだけで、二人の間に流れる空気はどこか柔らかい。まるで素直になれない彼女と、それを理解している彼氏のような雰囲気だった。
これが先程の記憶よりも後の出来事であり、頁を捲るように一気に移動してきたのだという事を、ここでようやくターヤは認識する。
故に、二度目の場面転換が行われても、今度は動じなかった。