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十七章 失った過去‐Slavi‐(3)

「……?」
 次に気付いた時には、そこは上下左右という概念が存在しない、不可思議でどこか不気味な空間の中だった。
「ここは……?」
「目的の場所である」
 ゆっくりと開けた視界に映った光景に呆然としていると、隣から解答が寄越される。振り向けば、そこには人型のテレルが居た。逸れなかった事に安堵しつつも、彼の言葉が意味するところを反芻する。
「ここが、スラヴィの……」
 ごくり、ともう一度喉を鳴らす。それから隣に浮かぶ青年を見据えた。
「お願い、わたしをスラヴィのところまで連れてってほしいの、テレル」
「承知した」
 少女の真摯な態度を当然の事だと言うかのように首肯すると、テレルは彼女の手を引いて道案内を開始したのだった。


 一方、ターヤとテレルがスラヴィの精神へと潜った後、湖の周囲は静まり返っていた。
 二人の身体が少年に覆い被さるようにして倒れても、失敗に繋がる可能性を考慮して誰も駆け寄ろうとはしない。しかし湖面とスラヴィを見つめる一行の表情は真剣そのもので、二人が帰還するまで気を緩めないつもりである事が推測できた。
 それを見たセアドは、心配性だねぇ、と一旦肩を竦める。それからこの雰囲気を破るべく、その内部に堂々と足を踏み入れていった。
「まぁまぁ、テレルの奴がついてるから心配要らねぇよ。つーか、こんな空気で出迎えると、寧ろ帰ってきた嬢ちゃんが困惑しちまうんじゃねぇの?」
「それはそうだが……」
 彼の言は正論だが、エマが渋るような表情を見せれば、皆もまたそれは同じ事だった。
「ターヤが自ら危険を冒してるっていうのに、あたし達がのんびりしてるのもどうだと思うけど?」
「う、うん。おねーちゃんとおにーちゃんとテレルを待ってなきゃ」
「けど、確かにセアドの言うことも一理あるよな」
「はぁ!?」
 そこに落とされた波紋には、即座にアシュレイが眉を潜めた。
 発言主であるアクセルは彼女の態度など気にせずに続ける。
「だってよぉ、あいつは自分が危険に飛び込む事はそりゃ躊躇はするけど最終的には憚らねぇし、そのくせ俺達が同じ事をしようとすると途端に心配するんだぜ?」
「確かにそうだな」
 フェーリエンでの彼女の行動を思い出したのか、エマが何とも言えない顔付きになる。
 アクセル自身も、おそらくは彼と同じような面になっている事だろう。あの時の彼女の無謀っぷりはその直後、一行に多大な心配と焦りを覚えさせていたのだから。
「だから、俺達はあいつがスラヴィを連れて無事に帰ってきた時に、何つーか、その……暖かく迎えてやれば良いんじゃねぇの?」
 こっ恥ずかしかったのか、アクセルの視線は徐々に明後日の方向へと向けられていった。
 それを見た皆が噴き出した途端、本人の顔面は一瞬にして赤で染め上げられた。
「おい! 何で笑ってんだよ!」
「だって、赤、顔真っ赤……!」
「自分で言っといて自分で赤くなるなんて、ばっかじゃないの……!」
「すまない……貴様がなかなかに面白いのでな」
「いやぁ、兄ちゃんは意外とそういうキャラだったんだなぁ」
「これはなかなか面白いものが見れたな」
 マンス、アシュレイ、エマ、セアド、レオンスは笑いながら口々に遠慮無く述べる。
「てめぇら揃いも揃ってふざけんなー!」
 その結果、今にも湯気が出てきそうな形相で、アクセルは力の限りに叫んだのだった。

 そんな感じですっかりと怒ってしまった彼を何とか宥めてから、再び話はセアドによって軌道上へと戻される。
「そこの兄ちゃんもあぁ言ってた事だし、オレらはテレルと嬢ちゃんを信じて待ってよーぜ」
「そうだな、そうさせてもらおう」
 頷くと、エマはその場に腰を下ろした。
 彼に倣って、一行もまた各々休息を取り始める。案の定、アシュレイだけは腰を下ろさずに近くの幹へと背を預けていたが。
 セアドもまた同様にしてから、湖畔に立ち続けているカレルへと言葉をかけた。
「悪ぃが、カレルはそのまま待機な」
『理解』
「そっか、カレルは休めないんだ」
 二人のやり取りを聞いたマンスが落ち込むようにして肩を落とす。
『不要。我は汝らとは作りが異なる』
「心配すんなってさ。ま、カレルのことは気にすんな」
 そんな少年へとかけられたカレルの言葉は、セアドによって一行全員にも理解できるようにされる。
 そこでふと、セアドは何事かを思い出したように一行、というよりは主にエマ辺りに訝しげな視線を寄こしてきた。一行の中で話を振るには彼が最適だとの判断からだろう。
「そう言や、さっき嬢ちゃんは、オレが人の心ん中に入る術を持ってるってのを『ユグドラシルに聞いた』って言ってなかったか?」
「あー……そういえばあいつ、普通に言ってたよな」
 彼の言葉で一行もまた気付き、アクセルは頭を指の腹で掻いた。スラヴィを救わなければという思いが先行してか、彼女はすっかりと口を滑らせていたようだ。どうしたものか、と皆は視線を交わし合う。
 明らかに肯定と取れる様子の一行を見て、セアドは確信を得たのだった。
「やっぱり言ってたんだな。つーか『ユグドラシル』っつーのは、確かぁ……」
 後半になるにつれて速度を落としながら、彼はカレルへと視線を寄こす。聞き覚えがある事にはあるのだが、それが何を意味するのかまでは思い出せなかったのだ。
 相棒の視線を受けた双子龍の片割れは、それに応える。
『説明、世界樹ユグドラシル』
「おぉ、それだそれ」
 ようやくピースが組み合わさったらしく、セアドは閃き顔になるとカレルへと肩越しに人差し指を向けた。それから一行に向き直り、怪訝そうな面になる。
「んで、何でさっき嬢ちゃんはああ言ったんだよ? 〈世界樹〉って言やぁ、おとぎ話ん中の存在じゃねーか」
『否定、かの大樹は実在』
 一行のうちの誰かが口を開くよりも早く、カレルが訂正を加えていた。
 再び彼を振り向いたセアドの表情は驚きに染まっている。
「まじかよ……!? つーかキミら知ってたのかよ!?」
 若干疑心暗鬼ではあるが、信頼している相棒の言葉だからこそ真実だと解る、というような様子である。どうやら彼は神話方面についてはあまり詳しくはないようだ。
 驚愕する相棒を見ながら、双子龍の片割れはどこか自慢げに告げる。
『当然。我らは龍なり』
「あーへいへい、そうでしたねっと」
 まるで聞き飽きたかのように話題を打ち切ろうとしたセアドだったが、そこにレオンスが不思議そうな声を挟んでいた。
「どうして『当然』なんだい? 龍と《世界樹》は何かしら関係があるのか?」
 これこそ正に当然の疑問である。一般人は龍については、世界最強の少数種族、大昔は多種族を襲い食らっていた、くらいにしか知らない。ここに関しては、よく知り得ているアクセルとマンスの方が変わっているのだ。
 その事実を思い出したセアドは、ばつが悪そうに頬を指で軽く引っ掻く。
「そう言や、兄ちゃんと坊主が居るからすっかり忘れてたが、他の面子はそこまで龍に詳しいって訳じゃあなかったんだよなぁ」

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