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十七章 失った過去‐Slavi‐(2)

「あ……」
 そこで初めて思い出したようで、瞬間的に少年の顔色が蒼くなっていく。
 彼の素直な反応を見て、怒る気力など即座に失せてしまうアクセルであった。あの一件では、彼が最も理不尽で恐怖を覚えかねない目に晒されたのだ。その心情を考えれば、これ以上説教をするのは申し訳なく感じられた。
「あ、いや、解ってるなら良いんだよ。嬉しい気持ちは解るけどよ、アグハの林の中に入るまでは我慢してろ。な?」
「うん」
 こくり、と少々落ち込んだらしき少年は反発せずに首を縦に振った。
 この時点で通常運転のマンスではない事がよく解る。普段の彼ならば、アクセルにそう言われると逆に怒り出すからだ。これこそまさに理不尽ではあるが、子どもの可愛い反抗レベルなので、大人げなく反応しつつも実際のところそれ程気になってはいなかった。
 若干沈んでしまった空気の中、一行は身を屈めて龍の背中に隠れながら、彼らが林の中へと降り立つのを待った。
 双子龍も一行の事情は知っていたようで、先程のような破壊的な速度こそ出さなかったものの、なるべく迅速に林内部へと降りていく。
 そうして彼らが大地に足を付いたところで、一行は安心故にようやく一息つけたのだった。
「よく来たな、兄ちゃんに嬢ちゃん達」
 その時かけられた声に首を動かせば、そこにはセアドが立っていた。
 反射的に視線を逸らしたアクセルとは異なり、皆は順々に龍の背から地へと足を下ろすと挨拶を返していく。
「おにーちゃん、こんにちは!」
「おぅ、坊主。元気にしてたか?」
「随分とお変わりないようで」
「それは皮肉と取っても良いって事だな、嬢ちゃん?」
「アシュレイがすまない」
「気にすんなよ、兄ちゃん。その嬢ちゃんはいっつもそんな感じだろ」
「俺は初めましてだな。〔盗賊達の屋形船〕がギルドリーダー、レオンス・エスコフィエだ」
「おっ、何か知らないうちに増えてんなぁ。オレはセアド・スコット、宜しく頼むぜ。しっかし〔屋形船〕のギルドリーダーも連れてくるとはなぁ」
「あ、えっと、レオンは良い人だよ?」
「解ってるって。別に警戒してる訳じゃねぇよ、嬢ちゃん」
 マンス、アシュレイ、エマ、レオンス、ターヤと声をかけてきた順に言葉を交わしていき、そして次にセアドが見たのは、他ならぬアクセルだった。
 本能的に、全身が硬直した。
「よぉ」
 だが、彼の悪い予想に反して、セアドは片手を挙げて挨拶してきたのである。すぐに視線は次へと移されていったが、今の彼にはそれだけで十分だった。
(良かった、もう怒ってねぇみたいで)
 思わず安堵の溜息が零れ落ちた。先程の双子龍の様子からも何となく感じてはいたが、どうやら彼らは自身に対する怒りに決着を付けてくれていたようだ。
 一つ安心できた反面、相手と自身との精神的な強さの違いに若干凹みもしたが。
「そういや、兄ちゃん達は何で俺んとこに来たんだ?」
 エマに問うたセアドだったが、この質問に答えを返したのはターヤであった。
「ユグドラシルに聞いたの。セアド、セアドなら人の心の中に入れるんだよね? お願い、わたしをスラヴィの心の中に連れてって!」
「なっ……!」
 少女の言葉を耳にした瞬間、青年は顔色を急変させて硬直した後、すぐさまアクセルが背負っているスラヴィを見て、そして慌てて相棒二人へと顔を向けたのだった。
「おい、カレル、テレル! キミらちゃんと要件を訊いてから連れてきたのかよ!?」

『否定』
『我らは友に呼ばれて馳せ参じたのみ』
 だが、彼らは少しも悪びれる事無く飄々としている。
 これには脱力せずにはいられなかった。
「キミらなぁ」
 はぁー、と特大の溜め息を一つ。それからセアドはターヤに視線を固定した。
「嬢ちゃんも。今キミがオレに頼み込んだのがどういう事なのか、ちゃんと解って言ってんのか?」
「うん、危険だって事は解ってる。それでも、スラヴィを助ける方法はこれしかないの!」
 厳しく険しい視線を一直線に向けられて、けれどターヤは少しも怯まなかった。スラヴィを助けられるのは《世界樹の神子》である自分しか居ない、という《世界樹》の言葉が強迫観念の如く脳内を占めていたのだから。無論、本人は無自覚であったが。
 真っ向から返された彼女の真剣な眼差しに、セアドはしばらく黙っていたが、やがて呆れたように表情を崩した。
「ったく、強情な嬢ちゃんだな。解ったよ、手伝ってやる」
「! ありがとう、セアド!」
 その言葉に、ターヤが顔を輝かせた。
 しかしセアドはそれだけでは終わらせない。
「ただし、テレルを連れてけ。人の精神に自ら潜り込むっつーのは本当に危険な行為なんだ。最悪の場合、迷って一生出られなくなるっつー事も起こりかねねぇ。けど、テレルが付いてれば大丈夫だろ」
 セアドの言葉を神妙な態度で聴きながら、ターヤは要所要所で理解している事を示す為に首を小さく縦に振る。
「それで良いか、テレル」
『異存は無い』
 見上げた相棒からは一つ返事。よし、とセアドは自分自身に対しても頷いた。
「おっし、なら任せた。それと、もし何かあった時は嬢ちゃんを連れてすぐに引き返してこい。良いか、絶対だからな」
『承知の上だ』
 強く押された念に、双子龍の片割れはしっかりと了承の意を示した。声色は一見単調にも思えて、実際のところ普段とは違う重みが備わっている。
 相棒にも問題無い事を確認すると、セアドは三度アクセルを向いた。
「兄ちゃんは、その坊主をこっちまで連れてきてくれ」
 次にカレルを振り向き、湖を人差し指で指し示す。
「それから、カレルはそこな。今回テレルは居ねぇけど、頑張ってくれよ」
『承知』
 双子龍の片割れがいつぞやのアクセルの記憶を覗いた時同様に湖畔に向かえば、もう片方は人の姿へと転じた。
 スラヴィがカレルの前に横たえられるのを確認してから、セアドは最後にターヤを呼ぶ。
「嬢ちゃんはこっちだ。んで、テレルの手を握っといてくれ」
 はっきりと頷いて、ターヤは指定された場所まで行くと膝を折る。そうして、差し出された手を遠慮がちに、けれども相手の方から握られればしっかりと同じ行為を返したのだった。これが自分にとって唯一の命綱なのだと認識し、思わず喉を鳴らして唾を呑み込みながら。
 必要な人員が各々の立ち位置に居る事を――最後の確認を終えると、セアドは相棒二人とアイコンタクトを取る。そして、合図した。
「んじゃ、始めるぜ」
 瞬間、カレルに触れられているスラヴィが苦しそうな表情を更に歪める。
 だが、それが必要な段階である事を解っている一行は、誰も余計な手出しはしなかった。ただし、面に感情を剥き出しにする、唇を噛むなどの行動を無意識のうちに取ってしまってはいたが。
 やがてスラヴィの精神への道を見付けたカレルがテレルと共鳴し始めれば、次第に自身の意識が薄れていくようにターヤには感じられた。
「……!」
 決意と共にぎゅっと案内人の手を強く握り、そして少女の視界は反転した。

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