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十六章 『救世主』‐worship‐(8)

「スチュパリデス!」
 エルシリアが空へと向かって呼びかけた瞬間、どこからともなく風を荒らして怪鳥《スチュパリデス》が姿を現した。
 このモンスターを目にした途端、一行の中でも特にアクセルとアシュレイが表情を険しくする。武器を構える手にも自然と力が籠っていた。
「こいつ……!」
「霊峰でのリベンジマッチってところね」
「スチュパリデス、そちらの方々の相手を宜しく御願いしますわ」
 二人の心中を見抜いたかのように、手は休めず視線も寄こさずにエルシリアが怪鳥へと命を放る。
 応えるようにスチュパリデスは一度だけ高く鳴くと、次の瞬間には彼らへと向かって空から急降下してきた。
「アシュレイ!」
「ええ!」
 アクセルの声に応えるとアシュレイは彼とは反対方向に避け、怪鳥の後ろを取ったところで大きく跳躍した。そのままその背に飛び乗ると、振り落とそうとしてくるその背中に思いきり剣を突き立てる。スチュパリデスは奇声を上げて更に暴れるが、アシュレイは剣を支えとして強引に居座った。
 アシュレイが相手の攻撃を封じてくれている間に、アクセルは刃を地面に向けたまま怪鳥を追いかけていた。溜めに溜めたところで、先程の彼女同様に勢いを付けて跳び上がる。
「アシュレイ!」
 もう一度名を呼べば、即座に彼女はレイピアを引き抜き、怪鳥の背を蹴って地上へと落ちるようにして帰っていく。
 交差する時、二人は笑みを交わし合っていた。まるで示し合せたかの如く、同時に。
 そのまま逆に上っていったアクセルは、そこで初めて大剣を振り上げると、力の限りにその刃をスチュパリデスの背へと叩き付けた。
 先程とは異なる重い一撃に、怪鳥は今度こそバランスを崩して地へと落ちていく。
 だが、彼らの攻撃はそれで終わりではなかった。
 怪鳥が落下していく先にて待ち構えていたのは、レオンス。彼は手の中で何度か短剣を回すと、慌てて対処しようとした相手の攻撃を受け流すようにしてその片目を潰していた。容赦の無い一撃だった。
 けれどスチュパリデスもやられっぱなしではなく、すぐに距離を取ると、一人無防備に突っ立っている少年へと狙いを定めた。片目は潰されても大きな問題ではなかったようだ。
 しかしながら予想に反して、誰もその行動を妨害しようとする者は居なかった。
「――『我が喚び声に応えよ』!」
 なぜなら、彼の詠唱は完成していたのだから。
「〈風精霊〉!」
 瞼が押し上げられると共に、スチュパリデスの周囲を風が渦巻いた。鳥類型モンスターである相手の抵抗をものともせず、少年に召喚された風の化身はそのまま怪鳥を吹き飛ばす。
 所変わって、ヴォルフガングとエルシリアの戦闘には変化が起きていた。エルシリアが先程までの斬り合いを自分の方から止め、一転して逃走を図っていたのだ。
 一瞬虚を突かれたヴォルフガングだったが、すぐさま彼女の後を追う。無論、罠が張られていないか周囲の警戒は怠らずに。
 だが、何も起こらなければ仕かけられもしない。おかしい、と彼が感じた時だった。
「!」
 唐突にエルシリアが方向を転換したかと思えば、開いている方の掌を向けてきたのである。移動しながら詠唱を行っていたのか、そこには光の槍が具現化しており、その足元には魔法陣が浮かんでいた。
 慌てて体勢を立て直そうとしたヴォルフガングだったが、一歩遅かった。
「これで――終わりでしてよ」
 その言葉を鍵として、至近距離から青年へと光の槍が差し向けられる。
「――〈盾〉!」
 しかしヴォルフガングを襲う筈だった攻撃魔術は、突如として彼の前に発生した防御魔術によって阻まれていた。衝突した瞬間、光の槍が霧散する。

 視線を動かせば、そこには杖を構えたターヤが居た。その眼に浮かぶは、明らかな敵意。
 エルシリアの瞳が、揺れた。
 その一瞬を見逃さず、ヴォルフガングは膜が消えた刹那に相手の懐に飛び込むと、その鳩尾を一閃していた。
「っ……!」
 苦悶の表情を浮かべ呻き声を上げるも、彼女は地へと伏す事は無く踏み止まってから体勢を立て直すべく一時的に後退する。
 だが、それが相手の思うつぼだった。
「――〈風精霊〉!」
 司教と怪鳥とが一ヶ所に集った好機を狙い、マンスの精霊にかけられた制限を解く術が発動する。
 瞬間、一人と一匹の周囲を暴風が吹き荒れた。それはさながら上級攻撃魔術〈竜巻〉の如く大きく渦巻き、その中に居た者を悉く翻弄する。
 暴風は収まると同時に掻き消え、怪鳥を地面に叩き付けて戦闘不能にした。
 それでも決して屈さず武器も手放さずに踏ん張るエルシリアだったが、その隙を付いてレオンスが彼女に肉薄していた。
「!」
 流石の彼女も、今度こそ顔色を急変させる。
「悪いな、司教」
 今までの恨みを一度にぶつけるかのように、レオンスは彼女の鳩尾を思いきり蹴り飛ばしていた。その顔にいっさいの笑みは無く、あるのは怒りを堪えているような無表情だけだ。
 重い一撃をくらったエルシリアはその衝撃に負けて吹き飛び、ゴム鞠の如く何度か地面にぶつかって跳ねながら、数メートル程離れた場所でようやく止まった。それでも武器を持ったままなところは感嘆せざるを得ないが、俯せになったまま動かないところを見るに、もう立ち上がってくる事は無いだろう。
「本来なら女性に手を上げるのは趣味じゃないんだけど、君相手なら問題無いだろう?」
 そう言ったレオンスの顔は、やはりひどく無機質だった。
「今のうちに行くわよ!」
 相手が戦闘不能になったと判断し、アシュレイは皆をズィーゲン大森林の中へと促した。
 ターヤも引っ張られるようにしてその後に続くが、そこでふと気になって視線を後方へとやれば、エルシリアは顔だけを起こして彼女へと片手を伸ばしてきていた。
「導師、様……」
 地べたに伏したまま必死に伸ばされる手に、けれどもターヤは応えられなかった。後ろ髪を引かれるように首だけはそちらに回しながらも、皆の後を追う。ズィーゲン大森林に入る時になってようやく、振り切るようにして首を正面に戻す。後はもう、一度もそちらを見る事は無く、彼女達の姿は木々の中へと消えていった。
 それらの光景を視界に収めてから、エルシリアは力尽きたように意識を手放す。伸ばしていた手もまた、力を失って地へと落ちていった。
 同時刻、エルシリアの後を追わせた僧兵に持たせた魔道具によって送られてくる映像で一部始終を眺めながら、教皇は口元に弧を描く。
「彼女の好きにはさせません。しばらくは謹慎していてもらいましょうか」
 そして、通信用〈魔道具〉を通じて僧兵達へと、彼女の回収を命じたのだった。
「ここまで来れば大丈夫だな」
 一方、一行とヴォルフガングがようやく足を止めたのは、ズィーゲン大森林に入ってから半ばくらいの所だった。一気にそこまで駆け抜けたからか、ターヤとマンスの後衛組は全身で大きく息をしている。
「つ、疲れたぁ」
 その場にへたりと座り込んだマンスを、意地の悪い笑顔でアクセルは見下ろした。
「何だ何だ、そのくらいでへばるなんて本当に男かよ?」

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