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十六章 『救世主』‐worship‐(7)

 そうして無言のまま入口まで辿り着いた彼女が目にしたのは、仲間達の姿だった。教皇の言っていた通り、拘束されている様子も負傷している様子も無い。ただしアシュレイとマンス、並びにレオンスは思いきり彼らと視線で火花を散らしてはいるが。
「みんな!」
 弾かれるようにして声をかければ、皆がこちらを振り向いてきた。
「ターヤ!」
「おねーちゃん!」
 アシュレイとマンスが同時に声を上げ、しかし前者は瞬時に我に返ると真っ赤になって目を逸らす。
 微笑ましく思いつつも、ターヤは一行の許へと一目散に駆けていった。
「無事だったみてぇだな」
「大丈夫かい?」
「うん。危ないところでヴォルフが助けに来てくれたから、大丈夫だったの。ところで、エマとスラヴィは?」
 アクセルとレオンスに頷いたところで、二人足りない事に気付く。四方八方を見回してみても、彼らの姿はどこにも見当たらなかった。
「あいつにはスラヴィを預けてるからな、今頃イヨルギアで宿でも取ってるんじゃね?」
「スラヴィ、やっぱりまだ目覚めないんだ……」
 期待していた訳ではないにしても、心配せずにはいられなかった。
 そこで未だ赤い顔をしたままのアシュレイが、皆の意識を向けるべく一回喉を鳴らす。
「ともかく、ターヤとも合流できた訳だし、とっととここを離れるわよ。これ以上、こんな所に用も無いのに居るのはごめんだわ」
「それはソニアが居るからかい?」
 からかうようなレオンスの言葉には、案の定アシュレイが過剰な反応を示す。
「はぁ!? 何でそこであの女が出てくるのよ!? あいつに会ってどうのとか思うのは、そこの赤いのだけでしょ?」
「俺かよ。まぁ、ソニアに会えるんだったら会っときてぇかもな」
 急に話を振られたアクセルは後頭部を掻いてから、思ったままに答えた。
 やはり間髪入れず、この回答にはアシュレイの周囲の温度が一気に低下した。まるで零点下である。
「ふぅん、あんたはスラヴィが大変な状況だってのに、あの女に会う事を選ぶのね」
「誰もそんな事は言ってねぇだろ!? つーか何でおまえはソニアの事となるとやたらと俺に絡んでくるんだよ!?」
「はぁ!? 何言って――」
「お取り込み中にすまないが、俺も同行させてもらっても良いかい?」
 最早お約束になりつつある二人のやり取りだったが、今回はエマ以外で、それを遮るかのように間に入ってきた第三者が居た。
 見れば、ヴォルフガングが困ったように一行を立ち尽くしている。
 ついでにいえば、つい数十秒くらい前までは険しい顔付きだった〔教会〕のメンバーが、あの《暴走豹》の人間らしい様子にを目にして、ありえないものを目にしたかのような驚愕を浮かべていた。
 無論、主に後者に対してアシュレイの苛々はほぼ最高潮まで募る。
「良いからとっととエマ様と合流するわよ!」
 その凄まじい怒りに後押しされた怒号により、一行とヴォルフガングは弾かれるようにしてサンクトゥス大聖堂を後にし、僧兵達は本能的に気を付けをしてしまったのだった。


「それにしても、アシュレイの怒り具合は凄まじかったな」
「レオンが言えたことじゃないと思うんだけど」
 アクセルとアシュレイの口論のそもそもの発端である筈の青年の発言を受けて、ターヤは非難するような眼付きを彼へと向けた。
 これには両手を軽く持ち上げて、降参のポーズを取ってみせたレオンスである。

 現在、聖都を出てヴォルフガングを一時的な同行者とした一行は、エマとスラヴィが宿を取って待機している筈の[農村イヨルギア]へと到達するべく、まずは[ズィーゲン大森林]を目指していた。イヨルギアは聖都からは最短の都市だが、その周囲はズィーゲン大森林に囲まれているので、どこから行くにしても必ずそこを通らなければならないのである。
 彼らが大森林に差しかかった時だった。
「――御待ちください、導師様!」
 後方から、たった一人によるターヤを呼ぶ声が飛んできたのは。
 振り返った先に居たのは、やはりエルシリアその人であった。その表情は先程と寸分違わぬ悲痛さに覆われており、その瞳にはターヤ一人しか映ってはいない。大鎌を仕舞う事も忘れているようで、未だその手は柄を握り締めていた。
 初めて目にするどころかありえないとすら感じてしまう、あの〔聖譚教会〕の異端《堕天使》エルシリア・フィ・リキエルの素の表情に、ターヤとヴォルフガング以外の面々は驚きを隠せない。
 そして、ターヤはもう彼女相手にどうすれば良いのか解らなくなっていた。彼女の言う『導師様』になる気は微塵も無いが、あのような顔を向けられては無下に拒絶する事も躊躇われてしまうのだ。
「どうして私達を導いてくださらないのですか!」
「あんたは彼女に何をさせたいのよ?」
 だが、そんなターヤの内心に気付いていたのか偶然なのか、アシュレイが庇うように進み出ていた。
 即座にエルシリアの両眼が据わる。
「退きなさい、貴女に用はありませんわ」
「あんたには無くてもこっちにはあるのよ。だいたい、彼女が嫌がってるっていうのに『導師様』もへったくれも無いわよ」
 小馬鹿にするようにして鼻を鳴らしたアシュレイに対し、再びエルシリアの表情に感情が露出した。
「いいえ! 決してそのような事はありませんわ! その御方は――《導師様》は、私達を導いてくださる『救世主』なのですから!」
 既に自身のポーカーフェイスが崩壊している事にも気付かず、激情のままに彼女は叫ぶ。自身の想いは間違っていないのだと、正しいのだと、そう主張するかのように。
 呆れたようにアシュレイが溜め息を吐いた。
「問答するだけ無駄みたいね」
「《導師》様は――渡しませんわ!」
 そして感情のままに動くエルシリアの面に最終的に浮かんだのは、どこまでも一途な感情。それは《世界樹の神子》へと向けた憧憬と崇拝が、彼女を擁する者達への嫉妬や憎悪として変換されたものだった。
 実に子ども染みた理由を前面に押し出したまま、エルシリアは大鎌を手に一行へと襲いかかる。
「止めてエルシリア!」
 慌てて叫ぶターヤだったが、彼女は止まらない。
「でしたら、『導師様』も私のところへ御戻りください!」
 そう言われてしまえば、返す言葉も無かった。別にエルシリアと約束をした訳でも無いが、相手の主張は取り下げておいて自分の意見だけを通そうとするのは、あまりに卑怯だと思えたからだ。
 答えに窮した彼女を切なそうに見てから、すぐにエルシリアは表情を変えて最初の獲物へと得物を振りかぶる。まずは、物理的に自分を妨害したヴォルフガング・ラウリアを標的として。
 予想外の範疇だったのか青年はさして驚きもせず、腰の鞘から剣を抜刀して迎え撃つ。
 大鎌と剣の刃が衝突した瞬間、そこを中心として周囲に衝撃波が奔った。
「「!」」
 人を吹き飛ばす程ではなかったが、その凄まじさに皆は防御姿勢を取っていた。
 その間にも、エルシリアとヴォルフガングの斬り合いは展開されていた。お互い相手に掠り傷の一つを負わせる事すら無いものの、その一挙一動はターヤからしてみれば速い。
「これは凄いな」
「流石は〔十二星座〕の一人……表舞台から消えてもその実力は健在、って事ね」
 アシュレイやレオンス達にとっても彼らの攻防は目を見張るものがあるようで、感嘆の声が漏らされていた。

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