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十六章 『救世主』‐worship‐(6)

「いや、別に謝る程の事ではない。ただ、やはり君はルツィーナと同じなんだな、と思ったんだ」
 気にしないでくれと言わんばかりに苦笑しておきながら、次の瞬間にはどこか懐かしそうで哀しそうな顔になる。
 しかしターヤはそちらよりも、彼の言葉に意識を奪われていた。
「ルツィーナさんと、同じ?」
 もしかして、と思う。
「ああ。君も、彼女と同じ《世界樹の神子》なんだろう?」
 彼女の内心を読み取ったかのようにヴォルフガングは頷き、そして問うてきた。
 何となく察してはいたが、口からは驚き声がこ零れ落ちる。
「やっぱり、知ってたんだ」
「知っていた訳ではなくて、気付いた、と言った方が正しいかな。君の胸元のブローチは、彼女が足に付けていた物と同じなんだ」
 視線が、胸元に落ちる。自然と、その宝石部分に手が触れていた。
 同じくそのブローチを眺めて話を続けながらも、ヴォルフガングはその内心と面では旧懐していた。もう戻らない過去を慈しむかのように。
「それに先程、そこから杖を取り出しただろう? ルツィーナも、いつも同じようにして短剣を取り出していたんだ。そんな芸当は普通の人間にできる業ではないし、案の定、彼女は《世界樹の神子》と呼ばれる存在だった」
 そういえば、ヴォルフガングは『ルツィーナ』と同じギルドのメンバーで、しかもギルドリーダーだった、と今更ながらにターヤは思い出す。下手に噂や書物で調べるよりも、彼は『ルツィーナ』の事を知っているのだ。
 少女がそんな事を思っている間にも、青年の言葉は継続していた。
「けど、その強大な力は時として恐れられ、時として崇められる。そういった経験と君の正体に関する仮説から、俺は《堕天使》が君を――《世界樹の神子》を欲しているんじゃないかと想定したんだ。相手も否定はしなかったしな」
 今、確かに彼は言った。そういった経験、と。という事は『ルツィーナ』の時にも、今のエルシリアのように彼女を崇拝する人物、あるいは教皇のように彼女を殺害しようとする人物が居たのだろうか。
 幾ら考えても解る筈も無かった上、ヴォルフガングの目が再びターヤへと移されたので、その思考は一旦止める事にする。
「君も、彼女と同じ《世界樹の神子》何だろう?」
 先程と同じ問いかけだった。
 今度こそ、ターヤはしっかりと頷く。
「うん。わたしは、今代の《世界樹の神子》だよ」
 途端に青年の顔面が一変した。顔は彼女から逸らされるようにして下方へと俯けられ、その顔色はどこか蒼ざめているようにも窺える。まるで、何事かの悪い予感を覚えているようでもあった。
「そうか」
 かろうじて返されたのは、この一言だけだった。
 そのような表情になる意味が理解できないターヤは、本人に問おうとする。
「どうやら、上手く逃げおおせたようですね」
「!」
 突如として進行方向に現れた人物に気付くや否や、ヴォルフガングは即座に足を止めて再び武器を構えた。その切っ先は、先程同様に相手の喉元を狙っている。
 そしてターヤは、その人物を知っていた。
「教皇……!」
 二人の前に登場したのは、他ならぬ〔聖譚教会〕のトップ《教皇》であった。ただし初対面時とは異なり、その表情には普段のエルシリア同様、作られたような笑みが張り付けられている。
 もしや、また自分を殺しにきたのだろうか、とターヤは抱えられた姿勢のまま身構えた。
「ああ、御心配には及びません。リキエル司教に与する気は無いと判断した時点で、貴殿を排除する意味も無くなりましたから」
 しかし、返された言葉はあまりに予想外なもので。思わず眉根が寄せられる。

「勿論、私の権限で彼女を謹慎処分とするよう、また一兵たりとも動かせないように命じてあります。これで貴殿が彼女に命じられた僧兵達に襲われる事も無いでしょうし、他の御連れの方々でしたら既に入り口辺りで御待ちですよ」
 そうは言われても、ターヤにはとうてい信じられなかった。罠かもしれない可能性も考慮して警戒は解かない。
 二人の顔からそれを読み取ったようで、教皇は微笑んだまま続ける。
「信じられないのでしたら、私が入り口まで御案内しましょうか? そうすれば私の言葉が正しいと理解していただける筈です」
 そうして二人に背中を向けてきた。
 これには驚かない筈が無い。思わず傍らの青年へと視線が動いていた。
 彼もしばらくは逡巡していたようだったが、やがて意を決したように口を開く。
「解った、その言葉を信じよう。だが、もしも不穏な動きを見せた場合は、即刻斬らせてもらう」
「交渉成立ですね。では、参りましょうか」
 一旦振り向いて二人の返事を受け取ると顔を元に戻し、教皇は歩き出した。
 ターヤは床に下ろしてもらうと、その後をヴォルフガングと共についていく。未だに用心は解かぬまま、緊張で表情を強張らせて。
 対して、教皇は余裕というか気楽だった。二人には後ろ姿しか見えないが、纏う空気がその事実を醸し出している。その様子は、こちらからしてみれば不気味にしか思えない。
「それにしても、いったいどういうつもりなんだ?」
「仰っている意味が解りかねますが?」
 ヴォルフガングが問えば、振り向いてくる事は無いものの相手からの返答はあった。
「なぜ俺達をこの場で潰さないのかと訊いているんだ。数で圧倒すれば簡単な事だろう?」
「貴殿らを消したところで、こちらには何も利益も無いからですよ」
「で、でも! さっきは、わたしを殺そうとしてたよね?」
 実にあっさりとした教皇の答えに、反射的にターヤは戸惑いつつも反論していた。
 すると、僅かに彼の首が回り、彼女へと視線が寄越される。
 先刻の事態を思い出して全身が竦みかけたが、何とか持ち堪えた。心中で自身を奮い立たせる。
 彼女の反応に、教皇の口元が薄く弧を描いた。
「確かに、私は貴殿の存在がひどく気に入りません。ですが、今はリキエル司教の野望を叩き潰す事の方が先決なのですよ」
「何で、そんなにエルシリアを目の敵にするの?」
「では、なぜリキエル司教が貴殿ら《巫女》をあれ程までに崇拝しているのか、貴殿は御存じですか?」
 教皇も《神子》という存在を知ってはいたのか、と内心で驚いてから、ターヤは首を横に振る。そこは彼女自身も疑問に感じていた個所だったからだ。
 教皇が頷く。その反応は予測していたと言わんばかりの得意顔であった。
「簡単な事です。彼女は幼少期に、先代の《巫女》に助けられた事があるというだけの話ですよ。しかも悪しき存在である闇魔を一瞬にして払うところを間近で目にしたとあっては、憧れも抱くというものなのでしょう」
 ようやく合点がいった気がした。助けられたからこそ、間近でその力を目にしたからこそ、エルシリアには《世界樹の神子》という存在が絶対的で神聖なものに思えた訳だ。
「とは言いましても、実際に見た事がある訳ではない私には理解しかねますが。そもそも、この〔聖譚教会〕には既に私という神聖な存在が居るのですから、わざわざ他の存在を担ぎ上げなくとも良いでしょうに」
 傍から聞けば、自己崇拝だと感じられる発言だった。
 けれども、ターヤはその奥底に隠された本心を垣間見てしまう。本当に一瞬の出来事だったのだが、気付いてしまったからには見なかった事にはできなかった。そこから、何となく解った気がした。顔は見えなかったが、その声だけで察せる。
(そっか、この人は、エルシリアのことが――)
 教皇はそれ以上を話す気は無いのか、そこで会話を打ち切った。
 ターヤとヴォルフガングもそれ以上は特に訊く事も無かったので、同様に黙る。

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