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十六章 『救世主』‐worship‐(4)

 この一連の動作を見た青年の表情は、素の表情へと一瞬にして転換された。
「やはり、貴殿がリキエル司教の仰る『導師』なのですね」
 初めて紡がれた青年の声は、その素顔と同じ感情を含んでいた。それは紛れも無い、ターヤに対する憎しみと殺意だ。
 初対面である筈の相手にそのような負の感情を向けられる謂れは無いターヤであったが、青年には何を言っても無駄そうに思えた。杖の先端を相手へと向けつつ、表情を引き締める。相手がどれ程の手練れなのか彼女には見抜けなかったが、少なくとも前衛のように接近戦を得手とする人物ではないようなので少々安心できた。
「それならば、誠に残念ながら、私は貴殿を殺さなければならない」
 小さく嘆息すると、青年は魔導書の持ち方を変えた。
「この〔聖譚教会〕を統べるのは――他ならぬこの私なのだから!」
 そしてそう叫ぶや否や、その頁を高速で捲る。
 瞬間、彼を中心として風が凄まじい速度で渦巻き始めた。
「っ……!」
 咄嗟に身杖で床に突いて身構えるターヤだったが、その風は強い力で彼女を後方へと吹き飛ばそうとする。
 しかも、青年を取り巻きターヤに襲いかかっている風はあくまでも衝撃派のようなものであり、少女が動けずにいる間、風の結界に護られた術者は詠唱を紡いでいた。
「『我を取り巻く風よ』――」
(これって……もしかして、上級魔術!?)
 直感的に悟ったターヤは慌てて口を開き、防御魔術で攻撃魔術に備えようとする。
「そこまでですわ、教皇様」
 しかし、それよりも速く、またしても先程同様良いタイミングで遮る声があった。その主は今回はエルシリアであったが、誰も現れたのに気付かなかった事といい、先刻との既視感を覚えさせるも状況であった。
 彼女の登場により、教皇と呼ばれた青年は渋々といった様子で詠唱を中断する。
 けれどそちらよりも、彼女の発言にターヤは驚いていた。
(きょ、教皇!?)
 教皇といえば、確か〔聖譚教会〕のギルドリーダーではなかっただろうか。
 そうと解れば、更にターヤの混乱は増す。やはり、なぜ自分が彼に命を狙われるのかという点が理解まで至れなかった。一行が龍に乗った事を咎めての判断であれば〔教会〕自体から狙われる筈なのだが、現に彼女はその一員であるエルシリアに護られている。
「御自分の地位が危うくなると考えられてこのような愚行に走られたのでしょうが、最早貴方様の時代は終わり。これからは《導師様》が私達を導いてくださるのですから」
 だが、答えはエルシリアの続く言葉により提示された。
 つまり、エルシリアは自身が崇める《世界樹の神子》を『導師様』として〔聖譚教会〕のトップに迎え入れ、現トップである教皇を退位させようとしているのだろう。
 これには、思わず緊張感を一気に喪失してしまうターヤであった。
(えっと、わたしはそんなつもりは無いんだけど……これってつまり、勘違いで怨まれてるって事だよね)
 呆れしか感じなかった。思わず教皇に同情してしまいそうにさえなる。彼女がなぜそのような行動に出ているのかは解らなかったが、ターヤ本人にとっては良い迷惑でしかない。
 その間にも、室内に踏み込んできたエルシリアは、さりげなくターヤを護るような位置に移動し、教皇と対峙していた。
「リキエル司教……やはり、貴殿はその『導師』とやらを私の代わりにしようとしているのですね」
「あら、この御方を教皇様の代わりにされるのは失礼極まりないですわ。この御方は、貴方様などとは格が違うのですから」
 敬称を付け敬語を使ってこそいるものの、エルシリアが教皇に向ける言葉には少しの敬意も含まれてはいなかった。
 既に笑みの消え去っていた青年の面が更に歪んだように、ターヤには思えた。

 それを承知の上で、エルシリアは畳みかけるようにして更に続ける。
「この御方には《世界樹》の強力な御加護がありますもの。ただの人間でしかない貴方様では、元から追いつける筈もありませんわ」
「ですが、見たところまだ若いではないですか。一ギルドを任せるに足りるとは思えません」
「あら、そこに関しては問題無くてよ。私が全力でサポートしますもの」
 エルシリアと教皇のターヤを巡る口論は、当の中心人物を外野に置いて進んでいた。
 それにしても、どうやらエルシリアは本気で教皇を退けて自分を担ぎ上げようとしているらしい、とターヤは改めて認識した。しかも完全に敬語ではないところ、発言に侮辱と嘲笑が含まれているところを見るに、彼女は教皇に対する態度を隠す気はさらさら無いようだ。
 眼前で繰り広げられる二人の会話を聴くしかないターヤだったが、そこでふと気付く。
(ところで……これって、チャンスだよね?)
 幸運にも、現在二人の意識は互いにしか向いていない上、エルシリアはターヤに背を向けており、教皇からエルシリアに隠されたターヤは見えてない。
 今を逃せば、二度目はもう無いと思った。
「ですから、貴方様は早々に――」
 彼女が唯一の出口である扉へと向かって駆け出した事に、エルシリアはすぐに気付く。
「導師様!?」
 慌てて彼女は追いかけようとするが、その前には教皇が意図的に立ち塞がる。
「――〈目くらまし〉!」
 そして次の瞬間には、二人を強烈な閃光が襲っていた。
「「!」」
 それは一瞬の出来事だったが、ターヤが室内から逃げ出すには十分すぎた。
 目を開けた時には既に少女の姿は消え去っており、エルシリアは先刻同様の珍しく笑みが崩れた表情のまま一度だけ歯軋りをすると、続いて部屋を飛び出していく。
 彼女の後ろ姿を見送った教皇は逆に不敵な笑みを浮かべると、懐から通信用魔道具を取り出したのだった。
 一方、部屋からの脱出に成功したターヤはといえば、なるべく遠くへ逃げるのではなく、近くの曲がり角に隠れる選択肢を選んでいた。自分程度の身体能力ではまともに逃げたところですぐに追い付かれてしまうと予想できたので、追手をやり過ごして期を窺う方が得策だと考えたからだ。
(エルシリアは……今のところ、来てないみたい。良かった)
 とりあえずは小さく安堵の息を吐く。
 だが、問題はこれからだった。ひとまずは適切な対処が取れているようだが、この先は同じようにはいかない。何せターヤはアクセル達のように人の気配を感じ取る事などできず、そもそも自身の現在地すらも知らない。また、あまりこの場で時間を費やしすぎれば、いずれはエルシリアないしは彼女の命を受けた〔教会〕メンバーに発見されてしまうだろう。だが、有効な手段は何一つとして思い浮かばない。
 つまるところ、現在の彼女には脱出に必要な能力も知識も知恵も時間も足りていないのであった。
(とりあえず、状況をかく――)
 曲がり角から僅かに顔を覗かせたところで、丁度その方向を向いていたエルシリアと、目が合った。しかも、しっかりと。
「そこにいらっしゃったのですね、導師様」
 ターヤを見て微笑んだ彼女に、瞬間的な寒気が奔る。
(――っ……!)
 まさかこんなにも早く見つかってしまうとは思っていなかったターヤは、慌てて後方を振り向いて走り出そうとする。
「っ!」
 だが、慌てすぎた為か足が縺れてしまい、その場で見事に転倒したのだった。
「大丈夫ですか、導師様? ああ、やはり御部屋から出るべきではなかったのですわ。次はもっと上等で、セキュリティの高い場所を御用意しますから――」
 起き上がって振り向けば、エルシリアがこちらへと向けって手を伸ばしてきていた。その声色と表情には先刻と同じ狂気が垣間見えていて、生理的な悪寒が再来した。
 万事休す、と思わず目を瞑る。

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