top of page

十六章 『救世主』‐worship‐(3)

「え、えっと……」
「今はまだ御疲れでしょうから、この部屋でゆっくりと御休みください」
 畏まられて困惑したターヤが答えに窮している間に、ソニアは彼女に対して敬意を払いながらも事務的に話を打ち切ったのだった。彼女もまた初対面での言動から考えるに《導師》を推してはいるようだが、エルシリア程盲目なものではないらしい。
 それがターヤに息を吐かせる。
 ソニアはエルシリアを見ると、宥めるような優しい声をかけた。
「エルシリアも、それで宜しくて?」
「ええ、それで構いませんわ。少々頭を冷やしてきますから」
 確認にも等しい質問に対して頷くと、エルシリアは同僚と共に再びベッド上のターヤへと向き直り、膝を付いた姿勢のまま一礼した。
「では、これにて一旦失礼させていただきますわ、導師様」
 やはり慣れない上、どう反応すれば良いのかも解らないターヤであったが、うっかり会釈を返してしまう。
 そんな彼女の様子に微笑みを零してから、エルシリアとソニアは扉から完全に出る前にもお辞儀をするのを忘れず、そのまま退室していった。無論、施錠をする音と共に。
 そこで初めて、ターヤは本当の意味で我に返れた気がした。


 同時刻、以前は父の部屋であった仕事場にて、青年は何度目かになる資料の整理を行っていた。
 しかし案の定、彼の求める答えまで到達できる程の情報は無い。幾つかの資料を組み合わせても同じ事だった。圧倒的に、情報が足りない。そもそも、この分野に関する資料は世界的にも極端に少なく、収集する事すら容易ではないのだ。
 やはり、一介の人間でしかない自分が『彼女』の事をよく知ろうとするのは無理があるのだろうか。
「ふぅ」
 溜め息を吐き、手にしていた資料を机上へと放り投げる。そのまま倒れ込むようにして、後方に置いてあった椅子へと腰を下ろした。何か気分転換をしようかと思い、ふと視線を動かして、
 窓の外を――長い銀髪が通りすぎていった。
「!」
 思わず腰が浮き、そのまま彼は椅子を蹴飛ばすように立ち上がると、弾かれるようにして一目散に外へと飛び出す。
「オリ――」
 だが、そこには誰も居なかった。無論、周囲にも人影は一つとして見当たらない。
「見間違い、か」
 幻覚を目にするくらい『彼女』に固執しているのだろうか、と彼が表情と内心で自身を嘲笑いながらも、家に戻るべく踵を返そうとした時だった。
 突如として、その足元に一つの魔法陣が浮かび上がったのだ。
「――っ」
 青年に状況を確認する暇も悲鳴を上げる暇も与えず、魔法陣は発動する。
 その光と共に魔法陣もまた収束して消えれば、そこにはまるで最初から誰も居なかったかのように、青年の姿は消え去っていた。


 二人が去った後の室内で、ようやくターヤは現状を認識していた。先程まではどこか楽観視していた部分もあった訳だが、この部屋に閉じ込められているのだと理解した事で、彼女達はただ自分を崇めているだけなのでは、という先刻までの甘い見解が根本から崩れ去ったのだ。確かに崇拝されている事にはされているようなのだが、そのベクトルがどうにもどこかおかしい。
(何か、厳重に仕舞われてる、って感じ)
 例えるならば、まさにこれだった。まるで宝物や大事な物を鍵のかけられる入れ物に仕舞い込んだかのような、そんな感覚だ。

 しかも、先程のエルシリアは明らかに現実が見えていなかった。あれはターヤを――否、誰か個人という訳ではなく《世界樹の神子》という存在そのものを盲信しているようだった。
(エルシリアは普段でも何だかよく解らないけど……あのエルシリアは、もっと怖い)
 そっと両腕で自身を抱き締めたところで、ふと思い立つ事が一つあった。
(そう言えば、エルシリアはセフィラの使途って言葉は使わなかったような……もしかして、《神子》だけしか知らないのかな?)
 以前エンペサルで話をした時も、彼女は《神子》についてしか言及していなかった筈だ。また、彼女の説明はターヤ達がリチャードから教えられた内容ともズレがあった事から、おそらくエルシリアは《世界樹の神子》という存在については名称とその主な役割くらいしか知らないのだろう。
 意外だ、と思う。あそこまで強く尊崇しているならば、知っていそうな気もしたのだが。それとも《世界樹》のガードの方が堅いのか、ターヤには予測が付かなかった。
 そもそも、彼女達には悪いが、ターヤは《導師様》などになる気は全く無い。即急にスラヴィを助けなくてはならないのだし、何より彼女は《世界樹》からとある頼まれ事をされてもいたのだから。
(とにかく、何とかしてここから脱出しないと)
 いっそうの決意を固め、ここでようやく彼女は布団から出た。ベッド脇に寄せられ置かれていたブーツに両足を通すと、ハンガーラックにかけられていたケープとキャスケット、そして机上の箱の中に入れてあったブローチを手に取り装着する。ちなみにその箱は、外面においても内部においても実に高級そうな品だと見受けられた。
 そこから若干の罪悪感を覚えつつも、即座に首を横に振って自身を戒める。そうして身支度を終えて、いざ脱出せんと内心意気込む。
「!」
 しかし、その直後、開錠される音が聞こえてきた為、ついつい緊張で全身を固くしてしまう。
(まさかエルシリア!?)
 これは一応の好機ではあるが、もしも彼女だと特に厄介だ、と本能が主張した。入ってきたのが誰であるにしても後衛のターヤが脱出するには苦労するだろうが、相手がエルシリアでは最初から勝目が無い。何せ霊峰の頂上で目にした彼女の戦闘力は、それは実に凄まじいものだったのだから。
 だが、開かれた扉から室内へと足を踏み入れてきたのは、彼女の見知らぬ青年であった。エルシリアやソニア達と同じような〔教会〕特有の聖衣と思われる、白を基調としたローブを身に纏っている。ただ一つ、彼女達とも僧兵達とも異なる点は、その頭部に乗せられた同色の帽子と、それら衣服と装飾品全てに金色の刺繍が施されているところだった。そこから、彼が〔教会〕の中でも高位に立っている事が窺える。
「誰?」
 少しばかり驚きに顔を占有されながらも、警戒に身を竦ませたまま恐る恐るターヤは問う。
 しかし、青年は彼女の質問には答えなかった。その代わり後ろ手に扉を閉めると、彼女へと一歩一歩、確実に近付いていく。
「……!」
 思わずターヤは後ずさるも、男性は気にせず更に彼女との距離を詰めてきていた。その表情には聖者の如き笑みが浮かべられているが、それが張り付けられた無機質な偽りの仮面である事はターヤも薄々勘付いていた。
(この人……何だか、気味が悪い)
 失礼だとは解りつつも、そう思わずにはいられなかった。
 その間にも、彼女の足は壁際へと向かって着実に後退していく。遂には、踵が壁にぶつかった。
「っ……!」
 弾かれるように顔色を変えて背後を振り返り、そして青年に向き直る。
 彼は一定の距離を開けたまま、その場で立ち止まっていた。その手には、一冊の本がある。
 反射的に、魔導書の類――魔術を使用する際の媒介だと脳が理解した。その瞬間、ターヤは無意識のうちにブローチに触れ、そこから取り出した杖を青年へと向けて構えていた。すぐに正気に戻るも、相手からは自身を害する意図が肌で感じ取れるくらいには発されていたので、下ろす事はしない。

ページ下部
bottom of page