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十六章 『救世主』‐worship‐(13)

 眼前でそのような会話がなされているとは知らないターヤは、不思議そうな面持ちになる。
「? 三人ともどうしたの?」
「いや、何つーか、ターヤって本当にど天然だよなって思っただけだ」
 呆れを通り越してどうでも良くなったアクセルが誤魔化しの意も込めて呟けば、この時ばかりはアシュレイとレオンスもまた、同じような顔あるいは思いで同意する。
 一方、三人が至ったところまでは行けてないマンスだったが、彼はアクセルの言葉自体に頷いていた。
 ただ一人、ターヤ本人だけが小首を傾げていたのだった。


 時間は、少しばかり遡る。
 とある場所に位置する湖の畔に、水面を覗き込む一人の少女が居た。そこに映し出されていたのは、白い少女が彼女の寄こした青年に助けられて仲間達と合流するまでの一部始終。それら全てを見届け終えると、少女は安堵の息を一つ零した。
(どうやら、あの方は依頼を全うしてくださったようですね)
 渦中へと送り込む事で当事者達から直接状況を把握させ、こちらとは接触させる事も無く事態を解決させる。
 少女の取った依頼方法が、まさにこれだった。
 ただしこれは実に失礼なので、本来ならば実際に自身が対面して頼み込むものなのだが、生憎と少女には青年と顔を合わせられない訳があったのだ。否、合わせる顔が無い、と言うべきか。
 思わず、口の端に自嘲が浮かんだ。
(あれ以上の『失礼』など、おそらくはもう無いのでしょうね)
 過去に自身が仕出かした事を考えれば、今回の一件など可愛らしいものでしかない。何せ人助けという大義名分があったのだし、彼も自分の仕業である事に気付いていた。それならば無理にでも名乗り出る必要も無ければ、アフターケアをするつもりも無い。
 それが、今現在彼女が貫き通している姿勢だった。
 けれど、もう一度やり直せるのならば、とは思う。
「……ヴォルフさん」
 無意識のうちに、胸の前で両手が握り締められていた。その手の中に、幾ばくかの銀髪を巻き込みながら。


「エマ、スラヴィ!」
 扉を開けながら、ターヤは室内に居る二人へと呼びかけた。
 ここは聖都からは最も近い都市、農村イヨルギア。
 そしてズィーゲン大森林を後にした一行が辿り着いたのは、その宿の一室――残り二人の仲間が待機している部屋であった。
 そもそも一行がここに宿を取ると決めたのは、幾ら〔教会〕といえど、聖都ならともかくとして他の都市では下手に手出しはできまいという考えからだ。加えて、ここイヨルギアは農業の中心地でもある。ここで立ち回れば、少なからず農作物に損害を出し、世界からの信頼を一気に失墜させる事にもなりかねないのだ。
 故に、ここ農村イヨルギアは聖都シントイスモの近辺とはいえ、ある意味では最も安全な場所だとも言えた。
 また、あれ程の手傷を負わせてきたので、当分の間エルシリアは動けないだろう。教皇も彼女の思い通りになるのを快くは思っていないようなので、しばらくの間は彼女が一行の前に現れる事は無いと推測できた。
「ターヤ! ……無事なようで何よりだ」
 ベッド脇の椅子に腰を下ろしていた青年は、かけられた声に弾かれるようにして振り向き立ち上がると、彼女を目にして即座に破願した。そうしてから安堵の息をつく。

 ターヤは応えようとして、そこでベッドに寝かされているスラヴィを視界に入れた。
「スラヴィ……」
 安易に喜んでいる場合ではないのだと痛感する。先程のたかが攻撃魔術を使えた事くらいで喜んでいた自分に、自ら活を入れたくなった。自戒するかのように、両手を強く握り締める。
「エマ、今からセアドのところに行きたいんだけど、良い?」
 無意識のうちに表情は決意の色で塗り固められる。そこに、先刻までの浮付いた雰囲気は微塵も残っていなかった。
 強い色を湛えた彼女の瞳を正面から見つめ返したエマが、断る筈も無い。
「私は構わない。皆も良いか?」
「おぅ、良いぜ。スラヴィも、いつまで持つか解らねぇしな」
「私も異論はありません。ですが、どのようにしてアグハの林まで行くつもりなのですか?」
 アシュレイの問いには、待ってましたと言わんばかりにマンスが飛び出したのだった。
「カレルとテレルを呼ぼうよ! そしたらすぐだよ!」
「でも、どこで呼ぶの? この辺りならズィーゲン大森林が最適でしょうけど、その音でまたグリンブルスティに襲われるのはお断りよ?」
 アシュレイの指摘は当然で、途端にマンスが萎んでいく。
「カタフィギオ湖は聖都が近いし、ヴァルハラ樹海は足を踏み入れるのも危険だから、他に近場で呼べそうな所も無いでしょうし」
 続けられた容赦の無い言葉により、更に少年が小さくなっていく。
 そんな彼の様子を見て、慌ててターヤは間に入っていた。
「じゃ、じゃあ、グリンブルスティには悪いけど、わたしがもう一回さっきの――」
「それだけは駄目よ」
「それだけは駄目だ」
 けれども、なぜかアシュレイだけでなくアクセルからも同時に釘を刺される事となったのだった。言葉こそ発さなかったものの、レオンスも同様の表情を向けてきている。
「は、はい……」
 鬼気迫るような三人の圧迫を受けて、ターヤもまた縮こまるしかなかった。
 理由を知らないエマが訝しげな顔をするが、今はアシュレイですらそちらに気付いてはいないようで、彼に説明を施す者は誰も居ない。
 振出しに戻ったところで、アクセルが後頭部を掻く。
「どうするかなぁ……ん?」
 と、そこで何事かを思い付いたようで、弾かれるようにしてマンスを見た。
「おい、龍ってのはこの世で最強の種族なんだよな?」
「あ、あたりまえでしょ! 龍より強い種族なんて、四神くらいじゃないの?」
 いきなり振り向かれて驚いたようだったが、すぐにマンスは胸を張るようにして肯定した。
 そして彼のこの問いで、アシュレイやエマ、レオンスは察しがついていた。
「なるほど。例えグリンブルスティがまた襲ってきたとしても、こっちに二頭もの龍が入れば黙らせる事ができるからな」
「気付いてしまえば随分と簡単な事だったな」
 レオンスとエマの発言を聞いて、ようやくターヤとマンスもアクセルの思惑を理解する。
「カレルとテレルにはちょっとごめんなさいだけど……でも、仕方ないよね、うん」
「ならとっとと行こうぜ! 今度は俺がスラヴィを背負うからよ」
 少しばかり申し訳無さそうにマンスが自身の中で整理を追えれば、アクセルが皆を急かしたのだった。
 かくして一行は再びズィーゲン大森林へと向かうべく、宿屋を後にした。一室分とはいえ宿泊代が勿体無い気もしたが、今はスラヴィの治療の方が先決だとして割り切る。
「おや、あんた達見ない顔だねぇ。旅人さんかい? 今からズィーゲン大森林を抜けてくのかい?」
 村の中を歩いていると、農作業中の老人が彼らに気付いたようで、声をかけてきた。
 ちょうど一番近い位置に居たターヤが対応する。
「あ、はい。そうなんです」

「そうかいそうかい。そう言えば、さっき大森林の主様が怒ってらしたみたいだったねぇ……全く、どこの不届き者が怒らせたのやら」
 老人の言葉に、思わずエマ以外の面々は視線を交わし合った。
「まだ主様も怒ってらしてるかもしれないから、あんた達も十分気を付けなさいよ」
 それには気付いていないようで、老人は心配そうな顔で忠告をくれた。
 とりあえずこの様子だと村民には気付かれていないようなので、内心ではひどく安堵した一行である。知られていたらこのような和やかな会話などできる筈も無い。
 悟られないうちにここを離れようと、老人に会釈して一行は農村イヨルギアを後にする。
 こうして若干複雑な心情のまま、集合した一行は再びズィーゲン大森林へと戻ってきたのだった。
 先程グリンブルスティが暴れたせいで開けてしまった場所に辿り着くと、ターヤはマンスを見た。
「マンス、お願い」
「うん」
 少女の言葉に少年は頷くと、懐から〈星笛〉を取り出す。
「じゃあ、呼ぶね」
 そう言って彼は大きく息を吸い込んだかと思えば、次の瞬間には思いきり吹いていた。
 いつぞやのアグハの林の時と同じく、皆の耳に音は聞こえなかった。
 だが、遥か後方から応えるような咆哮が返されたような気がしたかと思えば、突如として風が勢いを増していた。それを受けて本能的に身を固くした面々とは逆に、ただ一人、少年だけは期待に輝く瞳で来訪者を待ち構える。
 そうして風の収束と共に眼前に降り立った二頭の龍へと、少年は溜めておいた満面の笑みを遠慮なく振り撒いたのだった。
「久しぶり! カレル、テレル!」

  2013.05.18
  2018.03.11加筆修正

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