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十六章 『救世主』‐worship‐(10)

「それはこちらの台詞でしてよ」
 ソニアもまた一息吐く。
 そして後方ではやはり不穏な空気が漂い始めていたが、今回もアクセルは気付いていないらしかった。彼は鈍いのか敏いのかよく判らない。
「つーか、おまえは何をしにきたんだよ?」
「それは……」
 一旦言葉を切ると、ソニアはターヤへと視線を動かした。
 てっきりアクセルかアシュレイ辺りに用があるのかと思っていたターヤは、驚きに両目を瞬かせる。いや、今の自分も十分に候補にはなりえるのだが。
「導師様に、どうしても知ってほしい事がありましたの」
 その呼称を耳にした瞬間、無意識でターヤは身を堅くしていた。条件反射だった。
 彼女の反応を受けてソニアは気後れしかけるも、すぐに神妙な面となった。胸元にて右手で左手をぎゅっと握り締め、遠慮しつつも真剣な様子で続ける。
「エルシリアの、事ですの」
 誰にとっても予想通りの内容だった。
「教皇様から少しは聞いたそうなのですけれど、もう少し捕捉させてほしいのですわ」
「ソニア」
 だが、そこでアクセルが彼女の名を呼んでいた。
 はっとしたように彼女は彼を見る。その瞳が、不安で大きく揺れた。
「わりぃけど、今は帰ってもらえねぇか?」
 どこか申し訳無さそうに、けれどはっきりとアクセルは告げた。
 そこからソニアは彼の心中を読み取れたようだ。一気に沈痛な面持ちへと転じる。
「そう、ですの……アクセルは、私をも疑っているのでして?」
「ああ。悪いがおまえがエルシリア側だっていうのなら、俺は幾らおまえでも警戒しなきゃならねぇんだ、ソニア」
 頷いたアクセルに、今度こそソニアは泣きそうな表情を浮かべたのだった。
 彼女の気持ちを知っているからこそ、アシュレイは迂闊に口を挟めそうになかった。同情する気は無かったが、どうにもここで畳みかけるのは躊躇われたのだ。故に無言で腕を組んだまま、ただ眼前の光景が動いていく様を眺める。
 大きな衝撃を受けて蒼白になっていたソニアだったが、再び言葉を紡ぎ始めた。
「そう、ですの……アクセルは、私よりもその女を選ぶのですのね……」
 ゆっくりと持ち上げられた目が、鋭くアシュレイを睨み付ける。
 予想外の事態に、逆にアクセルの目は点になりかけていた。
「は? いや待てよソニア、別に俺はそんな事は――」
「導師様といいアクセルといい、なぜあなたは私にとって必要な人を持っていってしまうのですの!?」
 しかし彼女の視界には最早、憎きアシュレイ・スタントンただ一人しか捉えられてはいないようだ。その瞳の奥を、強い炎が駆け巡る。
 はぁ、とアシュレイは面倒くさそうに大きな溜め息を吐いたのだった。
「やっぱりこうなると思ったわ」
 もう一度息を吐き出すと、彼女は真っ向から相手の視線を受け止める事にする。
「だいたい、あんたはどんだけあたしを悪者扱いしたいのよ。あんたとそこの赤いのがどうしてようとそれはあんた達の勝手だし、別にあたしとそいつの間に何がある訳でも無いっていうのに」
 嘘だ、と即座にアクセルを除く一行は反論した。ただし声に出して気付かれてしまうと後が恐ろしいので、無論、全員が全員内心での行動ではあるが。
 アクセルとソニアが会話をしていたり、あるいはアクセルが話の中にソニアの名前を出したりすると、もれなくアシュレイの機嫌は急降下するのだ。初見時にはずっと地団太を踏んですらいたのだから、明らかに彼女は二人の仲を快くは思っていない。また、ゼルトナー闘技場での出来事から察するに、アクセルとアシュレイの間にも何かしら生じつつある事は確かだ。
 素直ではないので認めたくはないのか、はたまた本当に無意識なのかは判らないが、ともかくアシュレイは明らかに意識していた。

「嘘をつかないでほしいですわ。あなた、最初に会った時から、私とアクセルが宜しくやっている様子を良く思っていなかったではありませんの」
 一行同様ソニアも彼女の気持ちは察していたようで、呆れたように眼を細める。
「はぁ!? 何言ってんのよ、それはあんたが〔教会〕の人間で、そいつは一応こっち側だからよ」
 けれども、どこまでも本人は認めようとはしなかった。腕組みを解いてから両手を腰に当てると、上半身だけを乗り出すようにして不満顔を相手へと近付けて抗議する。
「でしたら、どうして〔屋形船〕のギルドリーダーと一緒に居るのですの? かのギルドも〔軍〕にとっては目の上のたんこぶのようなものだと思いましてよ?」
 これに対し、ソニアもまた彼女なりに腕を組むと、同じく上半身を屈めるようにして顔を前面へと押し出したのだった。
 かくして二人の女性は互いに顔を至近距離で突き合わせ、睨み合う構図となる。
「それは……そいつが、あんたにでれでれしてるからよ。あっちは……まぁ特に問題も無いし、別に敵と馴れ合ってはいないもの」
 何と言うか、実に滅茶苦茶な言い分だった。誰が聞いても矛盾しているとしか思えない。
 アシュレイもそれは重々承知のようで、反論されないうちに次の句を紡いでいた。
「そう言うあんたこそ、随分と思い込みが強すぎるんじゃないの?」
 二言目は尤もだった為、ソニアの方が言葉に詰まる。形勢逆転かと思われたが、彼女もまた素早く異を唱えてきた。
「で、ですけど、現にそのような状態になっていましてよ!」
「はぁ!? だから、それはあんたの妄想でしょ? いいかげん認めたら?」
「でしたら、あなたの方こそ、私とアクセルの関係に嫉妬している事を認めるべきですわ!」
「それとこれとは関係無いじゃないの!」
「いいえ! ありましてよ!」
 次第にアシュレイとソニアの口喧嘩は過熱していき、既に当初の目的はどこへやら、という状態になっていた。最早これでは口論どころか、互いの意地のぶつけ合いでしかない。
 何だかこの二人の口論を聞いていると、先程までのエルシリアに対する上手く言葉にはできない恐怖が薄れていくと同時、どうでも良くなってくるターヤであった。
 レオンスとマンスも似たように感じているのか、それぞれ好きなように寛いでいる。
 唯一、アクセルだけがおろおろと二人の様子を見守っていた。その姿はまるで、二人の女性に取り合われている中心人物のようである。
(と言うか、一応この発端はアクセル、って事になるのかな?)
 少なからずターヤも関わってはいたが、ソニアがヒートアップした最大の原因は間違い無くアクセルだった筈だ。
 アクセルも意外とモテるよなぁ、とターヤが一人ごちた時だった。
「「!」」
 突如として地震が発生し、その場に居た人々に例外無く襲いかかったのは。


「地震!?」
 いきなり発生した現象に驚いたようで、マンスが縮こまる。
「いや、これはどちらかと言えば地響きだな」
「という事は、これは巨大生物が起こしてるものかもね」
 ただしそこまで大きなものではなかったので動きを制限される事も無く、レオンスやアシュレイはすぐに落ち着きを取り戻すと、すばやく周囲を警戒しながら分析する。
「これは……まずいですわ」
 一方、その振動に気付くや否や、ソニアは苦い顔になると踵を返して聖都の方へと走り出していた。
「あ、こら、待ちなさい! 逃げる気!?」
「お生憎様! 武器も持っていないのに《グリンブルスティ》の相手などできませんわ!」
 それを知ったアシュレイがその背中へと挑発を飛ばすが、ソニアは冷静に言い返すだけだ。
「では、アクセル、導師様、御機嫌よう! 御早くその場を離れた方が良いですわ!」
 そのまま彼女の姿は、瞬く間に木々の向こう側へと消えていったのだった。

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