The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
十六章 『救世主』‐worship‐(1)
「――ターヤ!」
すっかりと煙の晴れた霊峰ポッセドゥートの頂上では、一行が集合を果たしていた。
だが、ただ一人だけ、どこにも姿が見当たらない。故に皆は口々に彼女の名を呼びながら捜し回っているのだが、やはりこの場には既に居ないようだった。
「駄目だ、ここには居ねぇな」
「やはりエルシリアに連れ去られたようだな」
悔しそうに眉間にしわを寄せたアクセルの言葉から、スラヴィを抱えたままエマが思案すれば、アシュレイが歯痒そうに唇を噛み締めた。
「してやられたわ。まさか〈煙幕玉〉を使ってくるなんて……!」
煙幕玉。それは名称通り、投げると煙幕を発生させる魔道具である。物によってはサイズや煙幕の発生量が異なるので価格も変動するようだが、基本的には安価だ。何せ、元々は一般市民がモンスターや盗賊から逃げる為に開発されたのだから。
その発言で何事かを思い出したらしく、アクセルがレオンスを見た。
「それにしても、よくあれが〈煙幕玉〉だって気付けたよな」
確かに彼の言う通り、エルシリアが放った物の正体にすぐに気付いたのはレオンスだけだった。あまりに突拍子も無い行動だった為、アシュレイですら即座に頭が回らなかったというのに、対処までは叶わなかったが彼はそれの正体と目的を察知できたのだ。
皆の視線を集わされる事となったレオンスは、珍しく意識をどこかに飛ばしていたようで、一瞬だけ僅かに両肩を揺らすという驚き様を見せた。しかしすぐに、どこか躊躇いがちながらも口を開く。
「俺達はあいつらと因縁があるからな、条件反射だよ」
「なるほど……確かに〔屋形船〕と〔教会〕はそういう関係だものね」
アシュレイは思い当たる節があるようで、彼の言葉を聞いただけで理解まで至れたようだった。それはエマも同じ事だ。
だが、残りの面々にはよく解らない。
「つまり、どういう事なんだよ?」
「赤と一緒なのは気にくわないけど、でも分かんないや」
両腕を組んだまま首を横に傾けたアクセル同様、マンスもまた渋い表情で眉を顰めている。
「簡単な事だよ。俺達〔屋形船〕は主に貴族連中を標的にする義賊ギルドだって事は知ってるだろ? そしてあいつら〔教会〕は貴族を中心とするギルドだ。だから、俺達は目の敵にされてるんだよ」
そんな二人には、当事者たるレオンス本人が答えた。
「高い頻度じゃないけど、仕事の際に何度か〔教会〕の待ち伏せを受けた事があったんだ。その時に〈煙幕玉〉を何回か使われたから、単に見覚えがあったってだけの事だよ」
つまりは経験談から来る断定だったという事だ。
これにはアクセルが両腕を組む。その表情は肯定の意を言外に語っていた。
「確かに〔屋形船〕は貴族連中からは恨みを買ってそうだよな。けど、何でおまえはそんなギルドを始めたんだよ。貴族連中がプライドの高さから報復してくる事くらい予想が付いてたんだろ?」
その言葉に、レオンスはどこか懐かしそうで微笑ましそうな――けれど悔しそうで苦しそうな複雑な表情を浮かべる。その瞳の奥で、一瞬強い炎が揺らめいたように見えた。
「そうだな……その時も今も、その判断が最善だった、っていうだけだよ」
明らかにぼかした言い方だった。これ以上は踏み込んでくるなと、纏う空気が告げている。
アクセル特段どうしても知りたい訳ではなかった為、そこで追及を止めた。
「あー……わりぃ、訊かない方が良かったか?」
「そうしてもらえると助かるな」
若干すまなさそうにその事を提言すれば、相手の雰囲気も元に戻る。
「まぁあえて言うのなら、俺達は貴族が心底嫌いだってだけだよ。そもそも、全員じゃないにしても〔屋形船〕自体が貧民街の出身だったり、貴族に恨みを抱いていたりする連中の集まりだからな」
だが、すぐに再び眼は細められた。今度こそ、そこに強い憎しみの炎が浮かび上がる。
それを目にしたマンスが、気まずそうに眼を逸らした。
「今はそんな話をしてる場合じゃないと思うけど?」
この状況を見かねたようで、話題を元に戻すべくアシュレイがそこで遮った。それでも区切りの良いところを見計らっている点からして、彼女なりに気は使っていたのだろう。
それは皆も即座に理解できたので、誰も文句は言わなかった。
「《堕天使》は彼女のことを『導師様』とか呼んでたから、おそらく危害を加える事は無いと思うけど、何かさせようとはするかもしれないわ」
「だな。けど、どこに行ったか判るのか?」
同意しつつも疑問を抱いているアクセルへと、アシュレイは当然と言わんばかりの顔になったのだった。
「決まってるでしょ。《堕天使》に連れていかれたのなら――十中八九、行き先は[聖都シントイスモ]よ」
『しょう、じょ?』
『わたしは……わたしは、誰?』
ゆっくりと、瞼が持ち上がる。
夢を、見ていた気がした。随分と鮮明な夢を。
今までも何度かこのような夢を見た事はあったが、今ならその理由も解る。自分とルツィーナの記憶と精神が入り混じる事がある、とリチャードは言っていた。ならば、この世界に来てから何度か見ている映像のような夢は、おそらくルツィーナの記憶なのだろう。相変わらず名前だけは聞き取れないが、ターヤにはそう思えてならなかった。
そこでようやく視界が鮮明になってくる。そうして真っ先に視覚が認識したのは、見知らぬ天井だった。
(ここ、どこだろ……?)
完全には覚醒しきっていない頭のままぼんやりと考えるが、解る筈も無かった。
(えっと……確か、みんなと霊峰から世界樹の街に行って……)
思考は止めないままに、ゆっくりと上半身を起こす。そうすれば自身の現状は殆ど目で確認できるようになった。
現在ターヤが居るのは、広いベッドの上だった。触ってみれば、掛布団も敷布団も随分と柔らかくふかふかしている。次いで見渡せば、ここが宿の一室くらいの広さの室内である事が解った。しかも調度品や室内装飾は高級そうで、明らかに普段使用している宿の一室ではない事も理解できる。
本当にここがどこなのか判断の付かないターヤだったが、その間も思考は働いていた。
(それで、リチャードとユグドラシルとヴァンサンとラタトスクに会って……)
思い出せる範囲で記憶を呼び起こしながら、自分なりに整理していく。
(その後、街を出たところでリュシー……エルシリアと――)
「――っ!」
そうして記憶が途切れる寸前の出来事まで辿り着いた時、彼女は全てを理解した。
(そうだ、それでエルシリアと戦闘になって、煙幕を使われてみんなとはぐれて、エルシリアに腕を掴まれて……それで――)
連れていかれそうになったので思いきり抵抗しようとしたが、勘付いていた彼女に直前で昏倒させられたのであった。
その後の事は気絶していたのでターヤ自身は全く知らないが、このような部屋に居るという事は、おそらくそのままエルシリアにどこかへと連れ去られたのだろう。
(でも何で? 何で、エルシリアはわたしを――)
そこまで考えたところで、たった一つしかない部屋のドアノブが回った。
「!」
反射的に身構えたターヤの目の前で、ゆっくりと扉が開かれる。室内に入ってきたのは、件の人物ことエルシリア・フィ・リキエルだった。彼女は扉を後ろ手に閉めたところで起き上がっているターヤの姿を目にし、笑顔を向けてきた。
「あら、御目覚めになられたのですね」