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十五章 世界樹の街‐Tarja‐(8)

「『僕はかねてからの疑問を問う』――とある少年の言葉」
 それは実に簡潔な問いだった。一行には全くもって内容が察せなかったが、リチャードは彼の言わんとしている事が理解できるようだ。
「まさか、貴方は未だ《神器》が自分を創ったと思っていたのですか?」
 だが彼が見せた反応はと言えば、それはそれは心の底から驚いたような声だった。
 その言葉に、常に無表情のスラヴィが呆けたような顔になった気がした。
「ああ、しかし、そう考えてしまうのも特段おかしな事ではありませんね。何せ彼女は『ビブリオテーカ』の館長なのですから」
 またも飛び出した初めて耳にする単語。しかし《神器》という言葉に聞き覚えのある一行には、今話題に上がっているのが《情報屋》の少女である事は一目瞭然だった。例え、その理由までは至れずとも。
 けれども互いに旧知の仲らしきリチャードとスラヴィの間で交わされる会話を、事情を知らない彼らはただ傍聴しているしかない。
「『それは、どういう意味なの?』――とある少女の言葉」
 心なしかスラヴィの声は震えを伴っているように聞こえてきた。
 いつの間にかリチャードの手元から、彼の作品たる剣は消え失せていた。
「レコード、貴方は《神器》が自分を創ったと思っているのでしょう。何せ《記憶回廊》である貴方の能力は、あまりにも《神器》の『ビブリオテーカ』の一部分と似通いすぎているのですから」
「あかしっくれこーど?」
 僅かに首を傾げたターヤの呟きはしかし、今回ばかりは誰にも拾われる事は無かった。皆もまた、その単語が意味するところを知らずにいたからだ。
 一方、スラヴィはリチャードの言葉に返事をしない。その無言は、暗に肯定の意を示していた。
「普通に考えればそれが妥当ですが、今代の《神器》は残念ながら不完全な『欠陥品』ですし、そもそも幾ら《神器》とはいえ所詮は単なる神の器でしかありません。精霊のような素材を用いる方法すら無理なのですから、ましてや無から貴方を創り出す事など『あれ』には不可能ですよ」
 この発言にはレオンスとマンスが抗議するべく足を踏み出しかけるが、直前で察知したアシュレイの腕によって制されていた。思わず矛先の向きを変えた二人だったが、相手の相貌を目にして息を呑んでしまう。
 彼女の双眸は、鋭利な刃の如くリチャードを捉えていた。その奥には二人と同じくらい強い感情が渦巻いているのが窺える。幾ら二人ほど《神器》と呼ばれる彼女や精霊に思い入れが無いとはいえ、彼女は人を極端に貶す類の言動をひどく嫌っている。故に彼ら同様に憤りを感じつつも、我慢していたのだ。
 そんな様子を見てしまえば、内心で憤怒が萎んでいく二人であった。
 ターヤもまた青年の物言いに内心では反発しつつも、実際はただ視線を落とすしかできなかった。自身すら知らない『自分』のことを知り得ているリチャードを自然と信頼していただけに、どうにもばつが悪く思えてしまったのである。
 その一連の流れに気付いておきながら、リチャードは特に意に介した様子も無く続ける。
「つまるところ、貴方は《神器》に創られた訳ではないという事です」
「『それなら』――」
 最早スラヴィは全く持って普段の機械的な『彼』らしくない、まるで人間のような困惑と混乱に支配された様相を露呈させていた。今も一縷の望みを抱いて何とか言葉を紡いだようである。
「誰が自分という存在を創り出したのか、と問いたいのでしょう? それでしたら簡単な事ですよ、レコード。率直に言えば、貴方は『スラヴィ・ラセター』という生命を素体として《世界樹》に造られた存在です」
 瞬間、今度こそ少年は両目を見開いた。
 今まで何が起ころうとも決して微動だにする事すら無かった無表情の仮面は、しかしリチャードが放った攻撃で呆気無く崩れ去っていた。まるで一瞬にして破壊された砂の城が如く。
「そうそう、今代の《神器》が居るというのに貴方が造られた理由ですが、あれの廻りが極端に遅かった上、いざ廻り終えたかと思えば『欠陥品』故に『ビブリオテーカ』に閲覧制限がかけられていたからです。そういう意味では、確かに貴方があれを恨むのは当然の事なのでしょうね」
 それでも容赦無く青年は事実だけを少年の眼前へと突き付けた。どこか嘲笑を含む狂気染みた愉しそうな声色で、表情で、ただ高らかに残酷なまでの真実を宣告する。

 とうとう耐えきれなくなったのか、両腕で頭を抱えてスラヴィはしゃがみ込んでしまう。
「……僕、私、俺、は――っ」
 その口から零れ落ちたのは、先程までのまるで他人の言葉を借り受けているかのような口調ではなかった。
 初めて耳にした『彼自身』の言葉に、一行は皆唖然とする他無かった。


「スラヴィ……」
 草地に横たえられた少年の顔をターヤは覗き込む。その面には幾つもの汗が浮かんでいた。
 あの後、自身の声で叫んだ少年は声が空気に呑まれて掻き消されると同時、糸が切れた人形のように倒れていき、間一髪のところでエマに受け止められた。そして少し離れた場所に寝かされたという訳である。
 彼が倒れた原因が十中八九リチャードの言葉であり、精神的なものである事は、その場に居た誰もが察していた。その為ターヤは彼に治癒魔術をかける事もできず、ただ彼の傍について時おり汗を袖で拭きとりながら見守るしかできない。
(わたしには体の傷は治せても、心の傷は治せないから)
 無意識のうちに伸びた手が胸元のブローチを強く握り締めていた事を、本人は知らない。
「てめぇ、何のつもりだよ」
 そして元凶たるリチャードに対しては、アクセルが食ってかかっていた。それが引き金となって、知らず知らずのうちに皆の視線はリチャードへと集う。返される彼の言葉が少しでも良心的なものであってほしい、とはきっと大半の者が心の奥底で思っていた事だろう。
「何の事ですか?」
 だが、あくまでも彼は普段通り飄々とした態度のままだった。何をそこまで気にかける事があるのかとすら言わんばかりの顔だった。
 これにアクセルが激怒しない筈が無かった。
「っ――スラヴィの事だ! 言わなくても解ってんだろ!? 何であいつを追い詰めるような言い方をしたんだよ!? おまえ、あいつが動揺してるのを解ってて言ってただろ!」
 衝動のままに彼は青年の胸倉を掴み上げる。今にも殴りかかりそうな勢いだった。
 けれども、今回に限っては誰も彼を止めようとはしなかった。普段は彼のストッパー的役割を果たしているアシュレイとエマですら、一言も発さずに状況を眺めるだけだ。
「あの様子だとあいつは……最悪の場合、自我が崩壊してるかもしれねぇんだぞ!?」
 彼の言葉にはターヤとマンスが顔色を激変させ、すばやくスラヴィを見た。現在彼は睡眠の中だが、起きた時に元通りの『彼』であるという可能性は絶対ではなく、このまま目を覚まさない可能性もあるという事だ。どちらにしろ、悪い予感ばかりが皆の中で生じていた。
 しかし、それすらもリチャードにとってはどうでも良い事でしかない。
「それがどうしたと言うのですか? このまま《記憶回廊》が壊れてしまったのならば、替えを用意すれば良いだけです」
 これには遂に、アクセルに最後まで残っていたなけなしの理性が吹き飛んだ。空いている方の利き手が強く握り締められ、拳を形作る。
「てめぇっ――」
 最早ターヤも我慢できなかった。アクセルを止める意味も兼ねて立ち上がる。
「リチャ――」
『リシャール』
 だが、誰よりも速く、その場一帯に第三者の声が響き渡った。
「! 誰!?」
 まるで脳に直接語りかけてくるかのようなその聞き慣れない声を受けて、アシュレイが迅速に周囲を見回す。
 しかしながら、一行とリチャード以外の人影は一つも無かった。ヴァンサンは先程からターヤに頼まれて布と水を取りに街へと降りているし、だいたいこれは彼の声でもない。もっと重低音で落ち着いた、成人男性のイメージだ。

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