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十五章 世界樹の街‐Tarja‐(7)

 ただ一人、その場に漂う息の詰まりそうな様相など全く気にも留めていないかったリチャードは、あっさりとそれに乗ってくる。
「それでしたら、簡単な事ですよ。実際、別人になっているだけですから」
 後者の問いに返ってきたのは、まさかの解答であった。
 これにはターヤとアクセルとエマだけでなく、他の皆もまた唖然とする他無い。
(もしかして……わたしって、二重人格だったの?)
 そして当の本人はといえば、内心でそのような方向に傾き始めていた。
 だが、すぐに詳しい種明かしが付け足される。
「ここ数年程《世界樹》は今までを例を見ない不調に見舞われていまして、貴女の召喚には成功したものの、普段ならば与えられる筈の特権が幾つか付与できなかったのです。貴女が記憶を無くしていた事、この世界について何も知らなかった事、攻撃魔術が特殊な状況下でしか使えなかった事なども、その影響かと思われます」
 大樹を見上げたリチャードに続くようにして、皆もまた視線を動かす。先程までの沈痛さは既に薄れかけていた。
「元々《神子》は異世界の人間の中から本人の意思とは関係無く《世界樹》に選ばれるので、基本的には誰もが戸惑います。その代わりといってはなんですが、彼女達には《世界樹》ができる限りのサポートを行います。会話の自動通訳、この世界における常識の付与などが主な例ですね」
「ならば、その《神子》はどのような基準で選ばれるのだ?」
「《神子》の選抜基準は《世界樹》本人しか知りませんから、私には答えかねます」
 嘘か本当か見分けのつかない笑みでエマを難無くかわすと、リチャードは話題を転換した。
「そして、先代の《神子》ルツィーナ、彼女は貴女と特に近しい血縁関係でもあります。故に、この度の《世界樹》の不調も相俟って、お二人の記憶と精神が入り混じってしまっているのかと」
 一先ず自分が二重人格ではないと解り、一息吐いたターヤであった。
 しかし、新たな驚きを覚えたのもまた事実だった。今まで何度となく名前を耳にしてきた〔十二星座〕の《天秤座》ルツィーナがやはり先代の《神子》であり、自分とは近しい血縁関係にあったとは。それならば、今まで幾度となく本人に間違われた事、生き写しだと言われてきた事、そしてペルデレ迷宮でのウォリックの台詞にも納得がいくというものだ。
 加えて、ターヤは強い安心感を覚えていた。自分は決してリュシーが言ったような『神』にも等しき存在ではないのだと、あくまでも人間の範疇に納まる存在でしかないのだと解ったからだ。なぜなら《世界樹》の不調に記憶や常識などの有無が左右されてしまっているような人物が、超常の存在たりえる筈も無い。
「そっか、そういう事だったんだね」
 そうして自身に関する真実を知った少女の口から零れ落ちたのは、安堵だった。
 自然と皆が彼女を見る。
「ターヤ……」
「わたしは誰なんだろう、ってアクセルとエマに会った時からずっと思ってたから。自分の事が解って、本当に良かった」
 胸の前で両手を握り締めて、少女は安心したような笑みを浮かべた。
「でも、まだちゃんと思い出せてはいないんだけどね」
 かと思いきや、困ったように苦笑する。こてん、と首が横に少々傾いた。
 リチャードの話を聴いているうちに、ターヤの脳裏に閃くものがあったのは確かだ。だが、それはあくまでもおぼろげ且つ曖昧な映像でしかなく、思い出せた記憶があった、と言い表すにはまだまだ不十分な状態なのである。
 そんな少女の頭に手が置かれた。見上げれば、そこにはエマの顔がある。
「大丈夫だ、ゆっくりと思い出せば良い」
「エマ……」
 驚き顔で彼を見つめ返し、
「うん、それもそうだね」
 そして微笑み返したのだった。

「その点についてはご心配なさらずとも大丈夫ですよ、ケテル。記憶は徐々に思い出せるでしょうし、元々与えられているべき特権でしたら今からでも付与できます」
 そこにかけられた想いもよらぬリチャードの言葉に、ターヤは弾かれるようにして全身ごと首を彼へと向ける。
「え、本当?」
(リチャードの言う通りになるのなら……攻撃魔術が使えるようになれば、もしかしたらもうみんなの足手纏いにならなくて済むのかもしれない!)
 内心で強い思いが渦巻いた。決して今まで何もできなかったという訳ではないが、やはり自分にも攻撃魔術が使用できれば、と悔しさを感じた事は幾度となくあったからだ。
 希望を見出したような表情になった少女へと、青年は首を縦に振る。
「はい。その為には、まず貴女お一人で――」
「『会話中、失礼するよ』――とある青年の言葉」
 唐突に、会話の途中でスラヴィが口を開いていた。それまでは一言も発していなかった彼だが、それも普段通りの事なので誰も特には気にも留めていなかったのだ。
 だが、今の彼は普段とは異なり、どこか剣呑な雰囲気を纏っているように思われた。
「スラヴィ?」
 会話を中断された事よりも彼の様子が気になって思わず訝しげに名を呼ぶが、彼はターヤを見なかった。その両目は、リチャードただ一人に向けられているようだった。
「おや、誰かと思えば『レコード』ではないですか。私に何かご用ですか?」
 それには応えず、スラヴィは青年の前まで行って立ち止まったかと思いきや、袖の中から布に覆われた細長い何かを取り出した。そして、彼に向かって無言で背中に背負っていたそれを渡すようにして突き出す。
 同じく無言で受け取ったリチャードは、全体に巻かれている布をゆっくりと解いていった。取り外された全ての布が地へと音も無く落ちた時、ようやく中身は衆目に晒される。
 それは、サイズ的にはどこにでも見られるような片手剣だった。
 しかし、武器全体から放たれる名状しがたい雰囲気と存在感が、圧倒的に通常の片手剣とは――否、今までこの世に現存していた全ての武器とは異なるのだ。まるでこの世の物とは思えないような、神々しいまでの物質だった。
 まさか、という信じがたいと言わんばかりの思いが一行の内心で生じる。
(あれって、もしかして――)
「ああ、やはり完成させたのですね」
 ターヤの内心を引き継ぐかのように、リチャードが感嘆の声を零した。その手が刀身をゆっくりと撫でる。
「! じゃあ、やっぱりあの武器って――」
「はい。貴女の予想通り『レコード』の所持しているかの剣こそが、彼が〈星水晶〉から創り出したこの世に一つしかない『最強の武器』です」
「「!」」
 一瞬にして、皆の目がリチャードの持つ剣に奪われる。
 アクセルに至っては自身の〈龍殺し〉を抜刀し、かの剣と比べて見てもいた。
「いつの間に作ってたのよ」
 驚きに満ちたアシュレイの呟きには、ターヤもまた表情と内心にて同意した。確かに一度スラヴィは〔ユビキタス〕本部の工房に籠っていたが、その時間は一日くらいしか無かった筈だ。鍛冶に疎い彼女には武具製作の平均時間など知る由も無いが、たったそれだけの時間であれ程の武器が作れるとは思えなかった。
「とは言いましても、今はまだ無銘でしょうから『最強』には程遠いと思いますが」
「あ、そっか。スラヴィが創った武器は所有者に銘を付けられないと、真の力は出せないんだっけ」
「はい。概ねその通りです」
 思い出したように両の掌を合わせたターヤに頷いてから、そこでリチャードは目的の物を渡し終えた筈のスラヴィが未だ自身から視線を離していない事に気付く。
「おや、どうかしましたか、レコード?」

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