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十五章 世界樹の街‐Tarja‐(12)

「あんた、そいつどうしたの?」
「えっと、ユグドラシルから肩に降りてきたの」
 アシュレイが問えば、ターヤ自身も困惑した様子で返答してきた。
 続いてその隣からレオンスが顔を覗かせたので、案の定アシュレイが反射的に距離を取った。
「外見からして魔物にも思えるな」
 予想通りの反応を見せてくる彼女に苦笑しつつ、彼は思案する。
「おや、ラタトスクではないですか」
 しかし、やはりと言うべきか、リチャードはその栗鼠の名らしき単語を口にした。
 という事は、この栗鼠もまた世界樹の民なのだろうか。そのような疑問がターヤの脳内で占領地を肥大させていく。
「リチャード、この子も世界樹の民なの?」
「おいおい、『この子』たぁ、おいらも甘く見られたもんだな」
「わっ!」
 件の小動物を指で指し示して疑問を口にしたターヤだったが、返答が思わぬ方向から戻ってきた為、思わず両肩を跳ねさせてしまう。恐る恐る視線を動かしてみれば、左肩の栗鼠と目が合った。
 皆は彼女とは違い、驚いてはいなかった。この世界では動物が人語を話す事は、それ程珍しくもないようだ。
「今代のケテルはあんまし眼は良くないようで」
「えっ、と?」
 声の主が紫の栗鼠である事は二言目で理解できたのだが、どうにもターヤは動物が人語を喋っているという事実が理解まで至れない。彼女が住んでいた『異世界』では、動物は人語を話さないのが常識なのかもしれない。
 そんなターヤを見かねたのか、リチャードが口を挟んでくれる。
「彼はラタトスク。《世界樹》に住む魔物です」
「魔物って喋るんだ……」
 呆然と呟いたターヤに、ラタトスクは呆れたように両肩を竦めてみせた。
「これだから異世界人共はって言われちまうんだよ、今代のケテル。だいだい、かのセフィラの使途のお連れ様が、そこの貧相な小娘や小僧共とは……おいらの方がマシなんじゃないかい?」
「『貧相な小娘』かどうか、試してみる?」
 からかうように口元を両側へと釣り上げて笑うラタトスクに対し、アシュレイの両眼が細められる。瞬間、刹那的ではあるものの、その場に居た全員が彼女を一匹の豹と見間違えたのだった。
 途端にラタトスクは、逃げるようにしてターヤの髪の中に潜り込む。
「止めとくよ。おいらは戦闘向きじゃあないんでね」
 盾にされたターヤはといえば、首元に栗鼠の毛が触れており、尚且つ停止するどころか動いているのでむず痒い事この上無い。どうやらラタトスクは言葉通り本当に戦闘は苦手らしく、現に今はアシュレイの猛禽類が如き視線に怯え、ターヤの首元で全身を小刻みに震わせているようだ。
 彼の様子はアシュレイも察していたようで、見下したように鼻が鳴らされる。
「なら、最初からあたしに喧嘩を売るような発言は止めて」
 彼女の態度に少しばかり頭に来たのか、栗鼠は元の位置まで戻ってきて姿を見せた。
「おーおー、流石に『マフデト』様は怖ぇな」
 刹那、一陣の風が駆け抜けた。
「黙れ」
 気付けば、レイピアの剣先が寸分の狂いも無くラタトスクに向けられていた。目にも留まらぬ速度で行われた、一瞬の出来事だった。
 しかし彼を肩に乗せたままのターヤは、その刃が自身にも向けられるのではないかという錯覚と恐怖に囚われてしまう。視線は左肩の栗鼠に突き付けられたレイピアから動かせず、首筋を幾つもの冷や汗が流れ落ちた。
「アシュレイ。落ち着け」
 だが、その腕をエマが掴んで声をかけた事で、彼女はそれ以上は行わなくなる。遂には無言ながらもゆっくりと武器を手元まで引き戻し、機械的な動作で鞘に納めたのだった。
 ここまで終了したところで、やっとターヤは安堵の息を吐き出せた。その直後には激しい緊張の反動に襲われもした。

「おっかないねぇ、そんなに自分が同類である事を認めたくはないのかい?」
 あれだけ震えておきながらも未だ恐いもの知らずに茶化してきたラタトスクには、エマが鋭い眼差しを向ける。
「それ以上言うのならば、今度は私が相手になろう。それと、いいかげんにターヤの肩から降りろ」
 下手をすると先程のアシュレイ以上かもしれない睨みを利かせてきた青年に、わざと無音で仕方が無いと言わんばかりの姿勢を示してから、栗鼠は地へと飛び降りた。そして今度はヴァンサンの肩へと乗り移る。
 警戒続投の意も込めて栗鼠の行動を視線で追っていたエマだったが、アシュレイに声をかけられた事で意識を彼女に戻した。
「すみませんでした、エマ様。ターヤも、悪かったわ」
「あ、ううん、気にしてないよ」
 慌ててターヤが両手を振って否定の意を示せば、エマもまた彼女に同意して頷く。
「アシュレイが気にする事ではない。ラタトスクは理解した上での発言だったようだしな」
 後半では眼が元凶たるラタトスクへと移された。その鋭く突き刺すような視線を回避するべく栗鼠はヴァンサンの首元に逃れるも、ターヤとは異なり彼は短髪なので身体全てを隠す事は叶わなかった。
 エマの言葉には、ターヤもまた驚き顔でそちらを見る。
 かくして先程の彼女のように注目の的となったヴァンサンだったが、彼は少しどころか全く動じていなかった。寧ろ我関せずを貫くようで、ラタトスクのことも無視している。
「とにかく、治療法と行くべき場所が解ったのならそこに行かないか? このままここに止まっていると、更に大変な事が起こるかもしれないしな」
 場に漂う微妙な空気を一掃する為か、レオンスがわざとらしく前方へと踏み出して一行を見回した。その発言の裏側で彼は、暗にリチャードとラタトスクを非難していた。
 その事に気付きながら、両者とも何も言わない。
 これ以上からかってくる気も話しておく事も無いのだと知ったアクセルは、彼に賛成する。
「だな。スラヴィがどれだけ持つのかも解らねぇし、とっととセアドのところに行こうぜ」
「うん!」
 更にはマンスが彼に賛同した。ただし彼の場合は、友人達に会えるという思いが先行し続けている結果でもあるのだが。
 とにもかくにも、このようにして諸々の理由から世界樹の街を後にすることにした一行であった。無論ヴァンサンと《世界樹》はともかくとして、リチャードとラタトスクには渋々な様子で一応は挨拶や会釈をしてから、彼らは元来た門へと向かって踵を返す。
「ケテル」
 そこで唐突に名を呼ばれて振り向けば、ヴァンサンがまっすぐにターヤを見つめていた。
「妹に、すまないと」
 伝えてほしいのだと、言葉は簡潔ながらもその雰囲気が切実に訴えていた。
 だから、頷く。彼の想いを受け止めて、彼女へと渡す為にも。
「うん、解った。エディットに会ったら、そう伝えるよ」


「お久しぶりですわ、ターヤさん」
 そうして再び門を潜って外界へと戻った一行を、待ち構えていた人影が一つだけあった。
 そこに居たのは、以前エンペサルの宿屋では《世界樹》について、フェーリエンでは『ルツィーナ』について教えてくれたリュシーだった。その時と服装は異なり、眼鏡もかけておらず、緩く纏められていた髪も解かれ下ろされているが、あの顔は間違いない。
「! リュシー!」
 思わぬ再会にターヤは顔を綻ばせ、彼女に駆け寄ろうとする。
 だが、その肩をアシュレイが掴んだのだった。
 驚いて振り向いた彼女の瞳に映ったのは、強い警戒心と敵意を剥き出しにしたアシュレイの表情だった。ターヤには訳が解らなかったが、見回せばエマとレオンスもまたリュシーとの距離を測っている。
 いったいどういう事なのか、ともう一度彼女の方を向く。

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