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十五章 世界樹の街‐Tarja‐(1)

 翌朝、一行はスコットの馬車に乗り、目的地を目指していた。

 昨日スコットが〔戦神の万屋〕を訪れた時間が夕刻間近だった事もあり、今から出立しては到着が夜になる事は誰の目にも明らかだったからだ。スコットも一晩休む事に同意した為、ゼルトナー闘技場で宿屋をとり、朝になってから出発したのであった。

「スコットさん、ありがとうございました」
 無事にツィタデーリ峡谷を越えて霊峰ポッセドゥートに入ったところで、一行は馬車から下ろしてもらった。ここから先はそこまで道が険しくない為、自力で歩いていけるからだ。
 礼を述べたエマに、スコットは優しい笑みを浮かべた。
「そうかい、それなら良かったよ」
「おじーちゃん、ありがと!」
 続いてマンスが満面の笑顔でぺこりと一礼すれば、スコットは屈んで彼と視線の高さを合わせ、その頭を優しく撫でる。その表情は、まるで自らの孫に接するようであった。
「いやいや、わしの方こそ楽しかったよ。ありがとうねぇ」
「えへへ」
 撫でられたマンスはと言えば、実に幸せそうな顔をしていた。
 そんな少年を、レオンスが優しげに見つめている事に気付き、アシュレイは見なかった振りをした。その空気の中に疑惑の視線を混じらせたくはなかったからだ。
 スコットは御者台に乗り込むと、アールヴァクとアルスヴィズの頭もまた優しく撫でた。
「じゃあ、わしはこれで失礼するよ」
「おう、気を付けてな、じーさん」
「ありがとう、スコットさん!」
「『どうもでした』――とある少年の言葉」
「助かったよ、爺さん」
「ここまで、ありがとうございました」
 挨拶された一行もまた、アクセル、ターヤ、スラヴィ、レオンス、アシュレイという順番に残りの五人が礼を述べていったのだった。
「また機会があれば宜しくのう」
 そう言うと、スコットは手綱を軽く引っ張り、相棒二人に馬車の向きを変えさせると、元来た道を辿って峡谷を降りていった。
 その後ろ姿を見送ったところで、ターヤは重大な事に気付く。
「そういえば、帰りってどうすれば良いの?」
 馬車から地面を見下ろして改めて感じた事だが、やはりツィタデーリ峡谷は人が生身で歩けるような場所ではなかった。急で切り立った崖や険しい山を登る時のように、何かしらの道具ないしは魔術が無いと、まず人は進む事さえ叶わないだろう。
 故に、行きはスコットの馬車に乗せてもらった訳なのだが、彼は今帰ってしまった。すると、帰りはいったいどうやってこの峡谷を抜けなければならないのだろうか。
 彼女の言葉に、今気付いたと言わんばかりにレオンスが頷く。
「確かにそうだな。けど、俺はエマニュエルに何か考えがあるのかと思ったよ」
 顔を向けられたエマは驚いたようだった。
「私はレオンスが何かしら考えていると思っていたのだが……」
 途端に空気は静まり返り、青年二人は互いに顔を見合わせる。
 気まずい無言と人任せだったという空気が、その場に居た全員を包み込んだ。
 アシュレイはレオンスに対して何か言いたげだったが、そうすれば自動的に敬愛するエマも糾弾する事になってしまうので迂闊に口を開けない、という痒いところに手が届きそうで届かない時のような表情をしている。
「別に良いじゃねぇかよ、そんなの」
 そんな空気を打破したのは、他ならぬアクセルだった。
「帰りの手段は、その時になってから考えようぜ」
「何も考えていなかった私が言えた事ではないのだろうが、貴様は相変わらず考え無しだな」
 前置きはしつつも、アクセルに対しては相変わらず容赦のないエマである。
 けれどアクセルは気にした様子も無く、後頭部で腕を組んだだけだ。
「けど、今はその考え無しに救われただろ?」

「それもそうだな」
 今回は負けを認めると言わんばかりにエマは同意した。
 それにより生じたアクセルのエマに対する優位と余裕は、しかし直後のアシュレイの発言によって粉々に破壊される事となる。
「というか、帰りもまたスコットさんに依頼するんだったら問題無いわよ。スコットさんの連絡先は貰っといたから」
「いつの間に!?」
 これにはアクセルだけでなく、誰もが驚きを見せた。
「峡谷に入る前にちょっとね。もしかすると、これからも〔方舟〕の力を借りなきゃならない時が来るかもしれないから、スコットさんの連絡先は貰っといた方が良いでしょう?」
 そう言って彼女が懐から取り出して見せてきたのは、偶に使用しているところを見かける通信機だった。彼女の手の中にすっぽりと納まる小柄なサイズだ。
「〔軍〕の支給品だけど、別にプライベートとの兼用も認可されてるもの」
「へぇ、〔軍〕は資金があるから通信機の購入も可能という訳か。羨ましいな」
 アシュレイの言葉にはレオンスが反応した。
 通信用の魔導機械は実に高額だ。そもそも魔導機械自体が高価なのだから、通信機だけが安い筈も無い。通信用の魔道具もある事には有るのだが、そちらは魔導機械版よりは安価なものの、どうにも使い勝手が悪いので、巨大ギルド且つ資金もある〔軍〕は魔導機械版の方を採用しているのだ。
 無論、彼にそう言われてスルーする彼女ではない。
「それは〔軍〕に対する〔屋形船〕からの皮肉かしら?」
 それならば受けて立つわよ、とでも言うかのような表情だった。アシュレイのレオンスに対する警戒心などに裏付けされた態度は、未だに軟化するどころか治まるところを知らないようだ。
 だがレオンスは両腕を胸部の前まで持ち上げ、降参の意を表す。
「いや、別にそんなつもりは無いよ」
 だからそんなに睨み付けないでくれないかな、と彼は言外に語っていた。
「アシュレイ、レオンスもそこまでにしてくれないか。共に旅をする仲なのだ、険悪な雰囲気は私達全員にとって辛いだろう?」
「エマ様がそう仰るのであれば」
 見かねたエマが間に割って入ればその効果は絶大で、あっさりとアシュレイは引く。
 これにはレオンスが肩を竦めてみせるも、彼女は見ない振りをした。
 そうして一行は、ようやく頂上へと向けて登り始めた。実際に自らの足で歩いた訳ではないが、ツィタデーリ峡谷と比べれば実に平坦で歩きやすい山道な上、モンスターは一匹も出現しなかったので、楽々と目的地まで辿り着けたのであった。
 そこで一行が見たのは、巨大な門だった。
 その前には女性が一人と、彼女の身の丈程もある魔物の姿が見える。二人は一行に気付いているのかいないのか、焦点は定まっておらず微動だにもしない。
「わたし達の他にも人が居るの?」
 驚きに目を瞬かせたターヤの頭を、アクセルが小突く。
「ばーか、そんな訳ねぇだろーが。ここをどこだと思ってるんだよ?」
「彼女達は多分、この門の番人、と言ったところだろうな」
 続いて発されたレオンスの言葉に、確かに、とターヤが納得したところで、あっ、と今度はマンスが声を上げたのだった。
「そういえば情報屋のおねーちゃんが、ここの頂上には『番人』がいるって言ってたよね?」
「あ」
 言われてターヤはようやく思い出す。
 確かにペルデレ迷宮の外でこの場所の情報をくれた《情報屋》は、そのような事を言っていた。
「っていう事は、あの人達に認められないと先には進めない、って事なのかな?」
「でしょうね」

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