top of page

十四章 金染めの赤‐alteration‐(4)

「例え幼かろうと、男ならば気を強く持ちなさ――あ……ご、ごめんなさい」
 会話の勢いで言いかけて、それが彼にとっての禁句だった事を思い出し、ソニアはすぐに謝罪する。
 わざとでない事を知るアクセルは、首を振った。
「別に気にしてねぇって。だから気にするなよ」
 そう言った彼が人差し指で頬を引っ掻いた、次の瞬間だった。
「ありがとう」
 前触れも無く、女性がアクセルに抱き着いていたのだ。
「え――」
「わ――」
「な――」
「おぉっ」
 当の本人であるアクセルも、傍観者である一行も、その場に居た女性以外の皆が驚きを隠せていなかった。
 そして、アシュレイの足元から、今まで一番不穏な音が聞こえた。
 それに対し、今度こそ若干の恐怖と共に多種多様な反応を見せる一行だったが、事の張本人であるアクセルはといえば、未だそちらには気付かず、唐突な行動を取った幼馴染みの方にしか意識が向いていなかった。
「なっ……ソ、ソニア!?」
「私、寂しかったの。だって、アクセルも、ザカライアス兄様もお父様もお母様も、みんな……私を置いてどこかに行ってしまうのだもの」
 相手から上がる驚きの声には応えず、女性は青年を強く抱き締める。
 独白を聞いた彼は、彼女を軽く抱き締め返すと、その背中を優しく叩いた。
「ソニア……」
 そうするとしばらくしてから女性は離れ、先程までの様子とは打って変わった笑顔を見せてくる。
「だから今、アクセルに会えて良かったと思うわ。だって、そのおかげで嬉しくなれたんですもの」
「そっか、なら良かったよ」
 彼女の言葉に、思わず笑みが零れた。
 同様にして、女性もまた微笑みを浮かべる。
「ふふ、口調、戻っているわよ?」
「構わないよ。ここには俺とおまえしか――」
「『俺とおまえしか』……の続きは?」
 自分達以外の誰かが居るという考えさえも毛頭に無かったアクセルは、流れるように言葉を継いだ声に両肩を跳ね上げ、即座に背後を振り返って、そこに、最もこの場面を見られたくなかった相手を発見してしまった。
「げっ! ア、アシュレイ?」
 この場に居る事に対して難色を示す態度を、レオンスは二重の意味が籠った溜め息一つで評し、他のメンバーは個別ながらも、総じて咎めと呆れの表情で眺める。
 そして、アクセルが取ったそのような反応に、益々彼女の怒りは沸騰した。
「悪いけど、さっきからあたし達も居るのよ。別にいちゃつくのは構わないけど、やるなら周囲をちゃんと確認してからにしなさい。見せられるこっちが迷惑ね」
「あ、いや、これは違――」
「あんたったら、こーんな可愛い彼女が居るくせに、この前はよくもあたしに向かってあんな口利けたものね。何、からかってたの?」
 反論する暇も与えず、アシュレイは感情のままに言葉をぶつけた。
 その勢いとは異なり、最早アクセルには言い返す程の気力も無い。
「あ、いや、それは、だなぁ」
「しかも、聴けば幼馴染みで家も近くって随分と仲が良いみたいじゃない?」
 言葉にもしたくないかのように早口で紡がれた声で、ようやくアシュレイの怒り具合が尋常ではない事をアクセルは悟った。この流れでは誤解されたままになると直感し、再び弁解しようとする。
「い、いや、だからっ、それは――」

「口応え無用!」
 しかしアクセルの必死な行動も叶わず、とうとうアシュレイは我慢の限界が来たらしい。遮るように放たれた一括により、即座に彼の言葉は掻き消された。
「まさか、あんたが〔屋形船〕の《首領》よりも色魔だとは思わなかったわ。……本当に最っ低!」
 最終宣告にも等しい内容を絞り出されたような声で吐き捨てられ、アクセルの中で何かが崩れ落ちる音がした。
「黙って聴いていれば、アクセルに向かって何て言いがかりですの?」
 引き合いに出されたレオンスが苦笑したところで、すぐに彼を庇うようにして女性が前へと進み出ていた。
 それによって女性の姿が一行にも見えるようになった時、その見覚えのある服装に、エマとレオンスとマンスは眉根を寄せ、既視感を覚えたターヤは弾かれるようにスラヴィを見た。
 そしてアシュレイはといえば、まさかそちらから返答が来るとも思っていなかったのか、完全に虚を突かれた顔になる。
「口汚い暴言ばかり。あなた、品が無いのですわね」
 嘲るような笑みを向けられて、次第にアシュレイの眼が据わっていく。
「それにその格好。あなた、もしかして〔軍〕の《暴走豹》かしら?」
 途端に彼女の表情から感情がいっさい消え去った。
「それが、どうしたっていう訳?」
「いいえ、それならば見逃す訳にはいかないと思っただけですわ」
 目を細めたアシュレイから、その背後に居る一行に視線を移し、女性は微笑した。
「とりあえず、そちらの方々も含めて挨拶をしておきましょうか」
「そのローブ、やっぱりか」
 服装から既に相手の身分を察していたアシュレイが吐いた溜め息に対し、女性は再び嘲笑を浮かべる。
「初めまして、我らが《導師》様、並びにその他の方々。私は〔聖譚教会〕所属の司祭、ソニア・ヴェルニーと申しますわ」
 そして聖職者の名に恥じない、優雅な一礼を見せた。
「「!」」
「更に面倒な事になりそうだな」
「そう思っているような顔には見えないが?」
 驚いたターヤ、何となく察知していたマンスは先の事もあってか身構え、レオンスは溜め息交じりに肩を竦めるも、エマからわざとらしいとの鋭い指摘を入れられた。
 スラヴィは、相変わらずの無言。
「あ、そっか、そうだよな。その格好、〔教会〕の服装だもんな。……つーかソニア、おまえいつ〔教会〕に入ったんだ?」
 しかし、次にアクセルが発した間の抜けた発言には、皆が唖然とした顔を彼に向け、アシュレイとソニアもまた、戦意と緊張感を削がれる結果となってしまった。
 その事に気付いていないアクセルはといえば、一斉に凝視してきた皆に一歩後退しつつも、不思議そうに見る。
「って、何だよ、おまえら。いきなりこっちを見るとか、何かあったのか?」
「いいえ」
「何でもないですわ」
「?」
 戦闘態勢の解除を余儀なくされたも同然になり、女性二人は同時に脱力した。
 そんな彼女達を、事の張本人であるアクセルは理由も解らず眺めるだけだ。
 意外と天然なところもあるらしい彼に、ターヤは何だか共感を覚えそうになった気がした。
 先刻の緊張感から一転、微妙な空気が漂う中、唐突にソニアが胸元のブローチに触れた。彼女は本人以外には聞き取れない小声で何事かを呟くと、顔を上げてアクセルを見て、次にアシュレイに視線を固定する。
 彼女もまた負けじと睨み返し、しばらく不穏な視線の応酬が続いたが、発端者のソニアが切り上げた事で終了した。
「連絡が来てしまいましたので、今回はこの辺りで失礼させてもらいますわ」

ページ下部
bottom of page