The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
十四章 金染めの赤‐alteration‐(12)
「それなのに、彼女のことをそういう対象に見れない俺が……素質も度胸も無い当主に相応しくない俺が、あまつさえ次期当主で彼女の婚約者だったんだから、兄ちゃんが俺を嫌うのも当然だったんだ」
最終的には、腰かけたまま上半身をくの字に折り曲げた状態で、額が膝に付いてしまいそうな位置まで頭を下げたのだった。
「結局、兄ちゃんは途中で家を出ていった。それが申し訳無くて、俺は次期当主の権利を捨ててクレプスクルムに入ったんだ。けど、そこでも俺は結局駄目だった」
そこで彼の話は途切れた。後はもう話そうとは思っていないのだろう。
今まで見てきた中でもあまりに弱々しいその姿に、けれどアシュレイが呆れを覚える事も彼を馬鹿にする事も無かった。
(余程、応えたのね)
元々彼が弱い人間であるという事は、この一連の様子を見ていれば容易に納得できた。今でもきっと上辺を取り繕って精一杯強くあろうとしているが、根本は昔のままなのだろう。だからこそ要所要所で、あれ程までに脆く崩れ落ちてしまうのだ。
やはり、彼は気丈に振る舞っているだけで決して強くはないのだ。
「それを、どうしてあたしに話したの? あんたも解ってたみたいけど、あたしはあの女がどうも気に食わないのよ。だから、名前を聞いただけでも不機嫌になるのは目に見えてたでしょう?」
ゆっくりと、まるで相手を宥めるように、落ち着かせるかのように彼に問う。内心では認めたくないという元来の意地が発動していたが、不思議と表にまでは出てこなかった。
自覚はあったのか、と顔を持ち上げながら内心アクセルは驚く。だが、彼もまたそれを面に浮かべる事は無かった。
「さっき、おまえは俺を庇ってくれただろ? だからかな……どうしてか、アシュレイになら話せると思ったんだ」
まるでおまえは特別だと言われているかのように感じてしまい、慌てて内心で振り払う。それは勘違い、と自身に言い聞かせてから、彼女は彼から視線を意図的に外した。
「悪いけど、あたしは『過去』っていうものが大嫌いなの。良い思い出が無い訳じゃないけど、嫌な思い出の方が強く印象に残ってるから。そういう訳だから、過去に囚われてうじうじしてるあんたを見てると腹が立つのよ」
ばっさりと切り捨てるかのような彼女の言葉に、アクセルは視線を逸らすしかない。じわりと胸中の痛みが広がりそうになる。
「だから、あたしは『アクセル・トリフォノフ』だけで良い」
しかし続けられた言葉には、思わず顔が持ち上がった。
動かした視線の先で見た彼女は、先程までとは打って変わり、まるで聖母の如き柔らかな笑みを浮かべていた。
「あたしは『アクセル・バンウェニスト』なんかじゃなくて、今ここに居るあんた自身が良いのよ、アクセル」
その顔に、その言葉に。アクセルは顔をくしゃくしゃにして笑う。もう一押しあれば、今にも泣き出せてしまいそうだった。
「ああ、そうだな。ありがとう、アシュレイ」
「なるほど、これが彼女の気持ちという訳か」
「ああ、よく解っただろ?」
同時刻。二人の会話を、死角になる場所で壁に背を預けてエマとレオンスは聞いていた。
本当は誘われた時に断ったエマだったのだが、先程の俺の言葉の意味が気にならないか、とレオンスに言われて、ついつい承諾してしまったのである。今では、盗み聞きをしてしまった事を密かに後悔し、内心では二人に謝罪もしていた。
「そうか、やはり嘘というものは簡単に剥がれ落ちるようになっているのだな」
これで良いのだと思う反面、寂しいと感じる自分が居るのもまた事実だった。
「おまえに対するアシュレイの気持ちも本当だ。けど、それはアクセルに向けるものとは意味が大きく異なるんだよ」
自身に満ち溢れた様子で断言するレオンスに、エマは溜め息を零した。
「やはり、解ってしまうのか」
「解るさ。俺とアシュレイは似た者同士だからな」
普段の掴めない笑顔のまま確言するレオンスに、エマは無言を貫いた。
「人間不信気味で疑い深くて、怪しいと思った相手はとことん警戒して監視する。そういう根本的なところが似ているんだ。同じ穴の貉なんだよ、俺達は」
最後はどこか嘲笑うような笑みだった。アシュレイ共々自らに向けるのではなく、ただひたすらに自嘲気味だ。
エマはまだ、無言。ただし、表情には僅かにどこか寂しそうな色が乗せられていた。
その顔を見て、レオンスは一瞬驚いてから、揶揄するような笑みになる。
「何だ、彼女のことを理解しているのが自分だけじゃなくなるのが寂しいのか?」
途端にエマの表情が呆れへと一変した。
「何を言い出すのかと思えば」
はぁ、と溜め息が一つ零れ落ちる。
だが、レオンスは騙されない。
「やっぱり、おまえは本心を隠すのが上手い方だな」
茶化すような称賛するかのような顔で、彼は青年を真っ向から見た。
「そう言う意味でなら……本当に、おまえと『彼女』は似た者同士だよ」
まるで羨ましいとでも言うかのような声だった。
その代名詞が指し示すのがアシュレイでない事は、相手の表情からすぐに理解できた。
「私と《情報屋》が、か?」
「ああ。嘘で塗り固めて『自分』を作り上げて、それがさぞ本来の自分であるかのように振る舞う。君もそうだろう?」
「……!」
彼の言葉に、弾かれるようにしてレオンスを凝視する。思いもよらぬ事態に引き起こされた動揺により、まさか、どうして、という思いが面に大きく浮かび上がってしまう。
そんな相手の様子から確信を得たレオンスは、即座に自信あり気な笑みとなった。
「何か間違っていたかな?」
最早彼に隠し通す事は難しいと悟り、エマは諦めて肯定する。
「いや、貴方の考えている通りだろう。しかし、よく見抜いたな」
「俺はアシュレイと同じで観察眼だけは良いからな」
強調するかのように人差し指で示されたレオンスの右目の奥底には、明らかに一方的で勝手な対抗心が垣間見えた。
随分と子ども染みた嫉妬だ、と内心で嘆息する。
「私はそろそろこの場を辞させてもらう。話を盗み聞きしていたと知られては、ばつが悪いからな」
「それは誰に知られれば、かな? アクセル? それともアシュレイかい?」
挑戦的なもの言いにも聞こえるレオンスの言葉。
しかし、エマはもう何も言わなかった。なるべく気配を出さないように意識しながら、その場から遠ざかる。後方でレオンスもまた同じように帰路に付いた事は、何となく察知できた。
本部まで戻れば、入り口近くで話しているターヤ、マンス、スラヴィ、ローワンの姿はすぐに視界に入ってきた。
「あれ、エマとレオン、どこに行ってたの?」
最初に二人に気付いたターヤが、不思議そうに首を傾げてくる。
彼女には、対人用の笑みでレオンスが応えた。
「ああ、少しな」
「エマと二人だったの?」