top of page

十四章 金染めの赤‐alteration‐(11)

「良いわよ」


「それで、あたしに何か用?」
 気付かれないように皆から離れた二人は〔万屋〕本部たる建物の裏手に来ていた。ここならば滅多に人も来ないだろうから聞かれる事もないだろう、とはアシュレイの配慮である。
 なぜ誘われた方の彼女がそんな気遣いをしたかと言えば、アクセルにそのような余裕が無かったからだ。外から見た様子では大人しめなだけで普通だったが、よくよく観察すれば意外とダメージを受けている事は一目瞭然だった。
(その程度でこのあたしに隠し通せると思ってるんだから、やっぱり今のこいつは相当ショックを受けてるみたいね)
 親戚とはいえ肉親にあのような態度をとられた上、同様の言葉を投げつけられては無理も無いだろう。特にアクセルは彼を兄のように慕っている様子だったからこそ、尚更だ。
(それに、どうもこいつは精神的に弱いところがあるようだし)
「用っていうか、聞いてほしい話があるんだ」
 ちょうど良い感じに出っ張っていた部分に腰かけながらアクセルが遠慮がちに紡いだ言葉は、予想の範疇だった。
「あたしに? 何の話よ?」
 だが、まさかその相手に自分を選ぶとは思っていないかったアシュレイにとっては、驚きの対象となる。
 隣で両眼をぱちぱちと瞬かせた彼女を、どこか眩しそうにアクセルは見上げたのだった。
「俺の昔の話だよ。怒らないで聞いていてくれよ?」
「何で、あんたの過去話であたしが怒る事になるのよ」
「いや……その、この話には、どうしてもソニアが大きく関わってくるからさ」
 躊躇いがちに言葉が紡がれた瞬間、アシュレイの周囲の温度ががくんと下がった。その眼は不機嫌そうに細められている。
 やっぱりか、とアクセルは苦笑した。
「ほらな、おまえ、ソニアが――」
「全く! 怒っても気にしてもいないから! とっとと話しなさいよ」
 明らかにとても怒っている上に気にしている態度なのだが、そこを追及すると今度は自分にその矛先が向きそうだったので、アクセルは本題に移る事にした。
「ああ、そうさせてもらうよ」
 一旦、息を吐く。
「俺が〔調停者一族〕だってのは既に知ってるよな? 俺は本名をアクセル・バンウェニストっていって、これでも一族の次期当主だったんだ」
 思わぬ事実に、アシュレイが目を丸くした。
 どこか間の抜けたような彼女に苦笑して、彼は続ける。
「〔調停者一族〕には家の順列があって、元々俺の家は第二位だったんだけど、数十年前に第一位の家が抹消されてからは繰り上げられたんだ。それで、俺はそこの一人息子だったから、次期当主だって言われてたんだよ。魔術もろくに使えない、稀代の出来損ないだったっていうのにな」
 自虐的に笑ってみせる彼は、痛々しいとしか思えなかった。
「家の順列で当主を決めるなんて。以外と古風なのね、〔調停者一族〕も」
「そうだな。けど、昔の俺はそれがあたりまえで普通の事だと思ってたんだよ。殆ど生まれた時から婚約者が決められている事も」
 瞬間、隣の空気が一気に下がった気がした。
 恐る恐る首をそちらに向ければ、案の定アシュレイの表情が険しかった。
「婚約者? もしかして、あの女がそうだって言う訳?」
「あ、ああ。ソニアは、俺の婚約者だったんだよ」
 彼女の雰囲気に気圧されて頷いてしまえば、更に悪化した。

「あ、いや、でも大人達が勝手に決めたっていうか、デルランジェ家にしか女が生まれなかったっていうか……」
 慌てて取り繕うとしたアクセルを見て、アシュレイが呆れたように溜め息を吐く。
「別にそんなふうに言い繕う程の事でもないでしょ。というか、あの女も〔調停者一族〕だったのね」
 その顔は元に戻っていて、心の中で安堵の息を大きく吐いた。
「ああ。さっき久しぶりに再会して、金髪になってたのには内心驚いたけどな」
「大方〔教会〕に入る為でしょうね。あそこは貴族連中の割合が多いギルドだから。とは言っても、寧ろ〔調停者一族〕なら尚更歓迎されそうだとは思うけどね」
 肩を竦めてみせたと思いきや、その顔が何とも言えない表情になった。
「その割には《山羊座》の方は、赤髪のまま臆する事も無く随分堂々としてたけど」
 アシュレイの言には、苦笑いを浮かべざるを得ないアクセルだった。確かに彼女の言う通りなのである。
「ソニアはあれで外見から入るところがあるから、そんなところなんだろうな。レジナルドさんは昔からそういう人なんだよ。いつも堂々としていると言うか、何事にも臆さないと言うか。まぁ、とにかくそんな感じで俺とソニアは婚約者って事にされてたんだけど、どうも俺にはあいつが妹以上には見れなくてな」
 話を戻してから、彼は困ったように頭を掻いた。
 少しだけ、ソニアに同情してしまったアシュレイだった。彼女のことは一度しか見た事が無いが、それでもその様子から、彼女が心の底からアクセルに恋情を抱いているのだという事は理解できた。
 だからこそ、彼女が不憫に思えてしまったのだ。あくまでも、少しだけ、だが。
「それに、さっき兄ちゃんが言ってた通り、昔の俺は今とは正反対で、本当に泣き虫で弱虫で消極的な奴だったんだ。情けないけど、いっつもソニアに引っ張ってもらって、護ってもらうくらいにな」
 自虐的に笑うその顔に、何一つとしてかける言葉が見付からなかった。
「けど、あいつはそんなところもひっくるめて、俺を好きになってくれたんだよ。そう言われた時は、心の底から嬉しかったなぁ」
 当時の情景を鮮明に思い出しているかのように、アクセルの表情は穏やかだった。本当に嬉しかったのだと、その顔が言外に語っている。
 思わず、目を逸らしたくなった。
「それでも、あの女を『妹』としてしか見れなかったの?」
 無意識のうちに、その問いは口から零れ落ちていた。
 だが、そうとは知らない彼は苦笑するしかなかった。
「ああ。ソニアには悪いとは思ってるんだけどな。どうにも、あいつのことはそういう対象としては見れないんだよ」
「そう」
 それでも尚、アシュレイは彼女に一定値以上の同情を向けようとは思わなかった。それに彼女としても、決して自分だけにそのような目で見られたくはないだろう。どうも自分と彼女は、邂逅した時から馬が合わないと互いに感じているのだから。
「それに、兄ちゃんへの負い目もあったからな。もしもあいつを『妹』以上に見れてたとしても、俺は好きになろうとは思わなかっただろうよ」
「負い目?」
 その言葉には複雑に絡み合った感情が潜んでいる気がして、ついつい聞き返してしまう。
 アクセルが、ゆっくりと頷いた。
「兄ちゃんは、昔からソニアのことが好きなんだよ。けど、兄ちゃんの家は一族の中では第五位で……とてもじゃないけど、当主を望めるような位置じゃなかったんだ。だから、ソニアの婚約者にはなれなかった」
 次第に彼の顔は俯けられていく。

ページ下部
bottom of page