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十四章 金染めの赤‐alteration‐(1)

「ヴォルフガング・ラウリア?」
 首都と闘技場を結ぶ傭兵街道から外れた場所にひっそりと残った、忘れられた茶屋。その前で、驚いたような顔のまま動かないアシュレイに、待ち人は苦笑を浮かべた。
「君は、軍人か。ならば、俺の顔を知っていても何ら不思議ではないだろうな」
 フードが取り払われた先に見えた顔が、困ったように笑う。表情には隠しきれない疲労が表れており、その笑みはどこかくすんでいるように感じられた。
 皆もまた、彼の名を耳にして個々に驚きを見せる。
 ヴォルフガング・ラウリア。その名は、以前《世界最強》との誉れも高かったギルド〔十二星座〕のギルドリーダーこと《水瓶座》の名であったからだ。
 アシュレイが顔を知っていたのは、かのギルドの中では彼が『ギルドリーダー』として最も表舞台では顔を晒していたからだろうか。基本的にかのギルドの面々は、そのメンバーの殆どが名は知られていても、容姿は知られていない事が多い。

 だが彼女も、まさか元〔十二星座〕のメンバーが使いとして寄越されるとは、皆と同じく予想もしていなかったのである。
 一歩、エマが前へと進み出る。警戒は残しつつも、確かめるように問う。
「貴方が、ユルハさんが寄越された方だな」
「ああ、俺はヴォルフガング・ラウリアだ。ユルハさんに頼まれて、君達にある物を渡しに来た」
 彼は静かに頷くと、懐から丸められた羊皮紙を取り出し、エマに差し出した。
「これを、君達に」
 渡されたそれを受け取って広げてみると、そこには地図が描かれていた。それは、既に彼らが持っている大量生産の既製品とは異なり、滅多に人が立ち入らないような場所、あるいは知られていない場所――霊峰ポッセドゥートなど――すら書き込まれた、正に珠玉の一品。その詳細な書き込みと紙の傷み具合から考えるに、これはどうやらヴォルフガングによる即興品などではなく、誰かが丹精した既存の物のようだった。
 地図を見ようとミーミル報道本社の時と同様、エマの周囲に集まってきた面々も、その精巧さに感嘆の声を零す。
 そして、それだけに彼も対応に困っていた。
「これは……本当に貰っても良いのだろうか?」
「構わない。俺はもう一つ持っているからな」
 首を振ったヴォルフガングには、アシュレイが納得した表情になった。
「なるほど、二つ持っていたのね。それでも、こんな……競売にかければ高値で売れそうな地図を、よくもあっさりと見知らぬ他人に渡せるのね」
 どこか棘を含んだ彼女の言葉に、彼は苦笑した。
「ユルハさんはああ見えて、観察力の高い人だ。彼が認めたのなら、悪人ではないと胸を張って言えるよ。それに、その地図は父が作った物だからな」
「え……!」
 彼の言葉にターヤも皆も驚きを見せ、もう一度エマが持つ地図を覗き込む。
 マンスは更にヴォルフガングに近付き、少々の期待を込めた眼差しを彼に向けた。きらきらと、その瞳の中が輝いている。
「おにーちゃんのおとーさんって、凄い人なの?」
「いや、父はただ〈世界樹〉や神話について研究していた一介の研究者だよ」
 少年から向けられる視線に、青年は苦笑いを浮かべつつ続けた。
「ツァハリーアス・ラウリアという名前に、聞き覚えはないかい?」
「! そいつの名前、聞いた事があるぜ?」
 意外な事に、反応を見せたのはアシュレイだけではなかった。アクセルもまた、聞き覚えがあるといった表情を浮かべたのだ。
 これにはヴォルフガングだけでなく、レオンスも驚きを見せる。
「意外だな」
「確かに、アクセルはそういう事には一番疎そうに見えるからな」
「おまえら揃いも揃って失礼だっっつーの!」
 素早く突っ込んでから、アクセルは嘆息しつつ頭を掻く。
「あのな、わりぃけど、俺は多分このパーティの中じゃ結構魔術とか神話系には詳しいと思うぜ?」

「でも、あんた、霊峰も〈世界樹〉の名前も知らなかったじゃない」
 不審げな目で問うアシュレイだったが、その目論見は外れ、アクセルは虚勢を見抜かれたような顔ではなく、あっけらかんとした表情で答えを寄越した。
「ああ、それについては教えてもらえなかったし、どの本見ても書いてなかったからな」
「は? それってどういう――」
「つーか、俺の知識の情報源は全部本とか教えてもらった事なんだよ。だから本の中に書いてねぇとか本自体がねぇと、そこで終わりだ。だいたい神話関係の本なんざ、脚色が多くてどれが真実かも判らなかったしな」
 アシュレイが再び問う前に、アクセルはどこか懐かしそうに全ての回答を提示した。
 ヴォルフガングは黙って二人のやり取りを聞いていたが、不意に思い浮かんだ仮説を、確かめるように口にした。
「その赤い髪と目……もしかして、君は〔調停者一族〕かい?」
「あぁ、そうだけど? よく解ったな、おまえ」
 隠す事も誤魔化す事も無く平然と言ってのけたアクセルに、寧ろヴォルフガングやアシュレイ達の方が唖然とした。同様の顔をしているところを見るに、レオンスやマンスも知っているのだろう。
 その中で、ターヤは聞き覚えのある気がするその単語を、必死に思い出そうとする。
「ちょうていしゃいちぞく?」
 首を傾げに傾げて、あ、と思い起こされるものがあった。
 調停者一族。それは古来より〈世界樹〉の加護を受けており、その恩恵によって闇魔を討伐、浄化し、世界の安定を保とうとする一族。その力は血縁によって受け継がれ、かの一族に連なる者は光属性の魔術を得手とするという。
(確か、本にはそう書いてた筈だけど……あれ?)
 そこで、ふと少女は気付く。
(それなら、どうしてアクセルは魔術が使えないの?)
 以前、彼は昔魔導術学院クレプスクルムに在籍していたと聞いた。当時の学生証兼出入り許可証を見せてもらった事もある。
 だが、彼の職業は見紛う事無き《大剣士》であり、決して術系統は使用不可能な筈だ。加えて、本人もまた、隠す事無くそう公言していた。
 だからこそ、そこで矛盾が生じるのだ。
 彼女の疑問は皆も感じていたようで、自然とアクセルに再び視線が集中する。
 すると、彼は辟易したように嘆息した。
「……何だよみんなして。俺のことなんかどーでも良いだろ? で、おまえの父親がどうしたんだよ? 俺は名前しか知らねぇんだ」
 はぐらかすように話題を強引に元に戻したアクセルだったが、それでも主にアシュレイの視線は付き纏った。それに対して複雑そうな顔をしたアクセルに同調するように、ヴォルフガングは話を再開する。
「俺の父親は〔アメルング研究所〕に所属していたんだ」
 そう言ってから、彼は一行に視線を向けた。それは〔アメルング研究所〕について知っているかとの問いかけだったのだが、これに応えたのはアシュレイだった。
「アメルング研究所……十七年前に事故で自然消滅したギルドね。研究内容は外部には極秘にされていたけど、実際は〈世界樹〉や神話について調べていたのよ」
 彼女の言にヴォルフガングは頷く。
「彼女の言う通りだ。父はそこで、主に〈世界樹〉について調べていたらしく、自室に膨大な研究資料を残していたよ。流石に一部でしかなかったが、てっきりギルドの方に全て置いていて、あの事故の際に消失してしまったと思っていたから、予想外ではあったけれどな」
「けど、確か、あんたの父親は……」
「ああ、父は、その事故の際に亡くなったよ」
 まるで他人事のように遠い声で言うヴォルフガングに、思わずターヤは目を伏せた。

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