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十三章 喪う者達へ‐ordeal‐(8)

『悪いが……俺は、幽体だからな。御前達の相手は、こいつに、任せよう』
 刹那、ウォリックの背後で何かが噴き出した。その黒い靄はすぐに形を取り、顕現する。
「! あれって……!」
「っ……!」
 それを目にしたターヤは驚きを隠せず、アクセルの表情は大きく歪んだ。
 顕れたるは、巨大な龍。全身の色こそ黒と違うものの、その姿形は正しくアウスグウェルター採掘所の深部でアクセルが止めを差した《守護龍》そのものだった。
『何だ、見覚えが、あるようだなぁ? これが、御前達への、試練だ。己のトラウマに……勝ってみせろよ』
 わざとらしく言うウォリックだが、そちらに反応できる程の余裕は今のアクセルには無かった。
「また、こいつを倒さなきゃならないのかよ」
 呟かれた言葉に、先程までの気迫は無い。
「アクセル――」
『ほら、行けよ』
 伸ばされた手が合図となって、龍は青年を飛び越えると、口を大きく開いた。
「! アクセ――」
 それに気付いたターヤが慌てて叫ぶも、彼は動けず、
 そして、龍の放った〈火炎の息〉が二人へと襲いかかった。


 迷宮の外、その気配を感じ取った女性は顔を伏せる。
 その隣で、少年は黙した。


『何だ、呆気無い』
 目の前で燃え上がる炎を眺めながら、ウォリックは嗤ったまま呟いた。
 先程まで二人の『資格ある者』が居た筈の場所は、今は彼の背後に佇む黒龍が放った炎により燃えていた。この勢いと温度では、いかに《セフィラの使途》といえども、人間である彼らは生きてはいられまい。
『少しは……期待、してたんだがなぁ』
 それも後の祭りか、と龍を下がらせようと手を振りかけて、
「まだ、終わってない!」
 炎が一瞬で分散した。
 僅かな驚きを表情に乗せたウォリックの眼前に、杖を構えた少女とその背に庇われた青年、そして薄い膜のようなものが映る。
〈防護膜〉――ターヤが特に得手とする中級防御魔術である。
『中級魔術で、か。なるほど……その程度で、龍の一撃を、止められたのは……この場所だから、か』
 ウォリックの言葉は聞こえていなかったのか、ターヤはアクセルを振り返った。それと同時に魔術の効果も切れて彼女は無防備な背中を晒す事となるが、ウォリックは敢えて龍を待機させたままにする。
『どこまで、ルツィーナと、同じなのか……興味は、あるな』
 余興だと言わんばかりに二人を見下ろしながら、ウォリックはそう呟く。この場所と秘宝の守り人にして『資格ある者』の審判者でしかない彼に、昔のような奇襲や不意打ちといった戦法は許されていなかったのだ。
 そのように決まりとはいえ、温情をかけられている事になど全く気付いていないターヤは、座り込んでいるアクセルに駆け寄る。
「アクセル、大丈夫?」

 彼は彼女を見上げると、今にも泣きそうな顔で独り言のように言葉を紡いだ。
「おまえなぁ、何で俺なんか助けたんだよ。俺は、あいつを殺したんだぞ? ブレーズの奴に恨まれて殺されたって仕方の無い事をしたんだぜ? そんな俺なんか庇って、龍の攻撃の前に飛び出すなんて……おまえ、馬鹿だろ。死んだら何にもなんねぇんだよ」
 あの時、あの場で《守護龍》を手にかけた時からずっと動く事の無いアクセルの本心は、今も変わらぬ重さの後悔と自責の念で埋め尽くされていた。まるで、何かと重ね合わせているかの如く。
 ターヤは少しの間だけ無言で驚いていたが、やがて悲しそうに微笑んだ。
「アクセルは気にしすぎだよ」
 聖母の面影さえ感じられるような顔に、ますます彼の顔がくしゃりと音を立てた。
「何で、そんな事が言えるんだよ……俺は、あいつを殺したんだぞ?」
「うん、だからわたしにはアクセルの気持ちは全部は解らないよ。でも、それでも……あれが絶対に正しかった判断だとは言えないけど、アクセルがアストライオスを救おうとしてたのは解るから。それと、死んだら何にもならないって言葉、そのままそっくり返すね」
 まっすぐな視線で断言され、アクセルは思わず目を逸らした。自然と悲観に暮れていた顔が元に戻っていくのが解る。そうして先程までの自身の情けなさを自覚した途端、羞恥に見舞われた彼は頭を掻きながら、照れ隠しに一言。
「前々から気になってたんだけどよ」
「? 何?」
「おまえ、何で《守護龍》の名前を知ってたんだよ?」
 あ、と言われてようやく気付いたという顔をするターヤ。
「そう言えば、そうだね。何でだろ?」
「俺に訊くなよ」
 呆れたように溜め息を一つ吐いてから、アクセルは笑った。
「おまえって、本当に訳解んねぇ奴だなぁ。けど、俺はこれからもきっとうじうじ悩み続けるぜ。幾らおまえが言おうと、俺はこれが俺の罪だって事を叫び続けるからな」
 うん、とターヤは頷いた。
「良いよ。その度に、わたしが否定するから。アクセルが全部悪いんじゃないって、何度でも言うから」
「おまえって、結構頑固だよな」
「お互い様だよ」
 そうかよ、と返すとアクセルは腰を持ち上げると再び大剣を手にした。
「さて、と。悪ぃな、待たせた」
 武器の先を傍観者達に向けて、余裕の笑みを浮かべる。
 そこでようやくターヤはウォリックと龍のことを思い出したらしく、慌てて立ち上がって杖を構え直した。その頬は、若干赤い。
 その様子を横目に見ていたアクセルは、一抹の物悲しさを覚えたような気がした。
(ほんと、ターヤほど訳解らねぇ奴も居ねぇよな)
『ふん、遅かった、な』
 ようやくか、とでも言いたげにウォリックは芝居がかった動作を取る。
「そういうてめぇこそ、待っててくれるなんざ、やけにサービス精神旺盛だよな」
『ふん、それが……決まり、だからな』
「そうかよ。なら、とっとと続きを始めよーぜ?」
 気付かなかった事にして大剣で肩口を叩きながら言うと、今度はウォリックの方が確かめるように問うてきた。
『御前こそ、良いのか?』
「何がだよ?」
『これは、御前の、トラウマだ。先程のように……なるぞ?』
「はっ、バカ言ってんじゃねぇよ。悪ぃが、こっちには究極のおせっかいお人好し娘が居るからな」
 言葉の内容自体にはちょっと複雑な感情を覚えたが、弱々しさは微塵も無いアクセルの様子にターヤは安堵する。

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