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十三章 喪う者達へ‐ordeal‐(13)

 それはフローランとエディットを覆って呑み込む、筈だった。
 しかし渦巻き終えた風が霧散した場所にあったのは、繭のような球体。解けるようにそれを形作っていた糸が緩まれば、そこに居たのは無傷なままの二人だった。
「流石は〔糸使いの一族〕ですね。その能力で上級攻撃魔術さえも無効化してしまわれるとは」
 知識として知り得ていたとは言え、特殊一族の能力を実際に目にした《情報屋》は、無表情の中に僅かな驚きを垣間見せる。
 その様子を見たフローランは、まるで自分のことのように笑みを深めた。
「でしょ? 僕のエディットは天才だからね」
「確かに仰る通り、物心付く以前より〈守殺糸〉を完全に我が物とされていたアズナブールさんの才能には、目を見張るものがあるかと」
「だよね。君みたいな不完全で歪な人造物とは違って、僕のエディットは完全な存在だから」
 強い嘲笑と侮蔑とがありありと表れている言葉に、けれども《情報屋》は眉一つ動かさなかった。それが事実だと言うかのように淡々と応える。
「貴方の仰る通りです、ヴェルヌさん。ところで、貴方方の御用件はもう御済みでしょうか? 私もこの後の予定が押しておりますので、即急に終わらせていただきたく思います」
「相変わらず君はつれないな」
「そのような思わせぶりな台詞は、アズナブールさんにのみ仰れば宜しいかと思われます」
 あくまでも淡々と続ける《情報屋》に、ふいにフローランの表情がひどく歪んだ。
「君のそういうところが、僕は堪らなく大嫌いだよ」
「光栄です」
 それでも尚、彼女が紡ぐのは平淡な声。笑顔を張り付けていた時とは正反対で、けれど実際はさして差も無い作り物だった。
 何を言っても変わらない相手をつまらないと感じ、フローランもまた作り物の笑顔を完全に取り払った。
「君はさ、さっき用件はとっとと済ませてほしいって言ったよね。でも、君への用事はだいたい済んだんだ。だから後は――《エスペリオ》を確かめるだけなんだよ」
 彼の言葉で事情を察した《情報屋》は、僅かに目を細める。
「なるほど、貴方方の御用件とはそういう事でしたか」
「そうだよ、これも仕事だからね」
 相手の無表情を少しでも崩せた事に満足しながら、今度は本心からの笑みを浮かべてフローランは続ける。
「でも、僕らが相手をしたら殺しちゃうかもしれないから、他の人達の足止めも兼ねて下っ端をたくさん連れてきたんだよ。殺せないのは面倒だしつまらないけど、君との戦闘はなかなか面白かったから、まぁ五分五分ってところだね」
 笑いながら言葉は《情報屋》に、視線は遠く離れた集団の中の一点へと向けていたが、唐突に観察対象を眼前の人物に戻した。
「でも、もう良いかな」
「その御様子ですと、芳しくはないようですね」
「そうだね、僕らが思っていたよりも目覚めてないみたいだし、今日はもう帰るよ。エディット」
 そう言いながらフローランが立ち上がると、エディットは頷き、片手を持ち上げた。その指から数本の糸が集団の方へと向かって飛び、交戦していた両陣営を阻むようにその中間に割って入った。
「「!」」
 突然の奇襲にアシュレイ達はそちらをすばやく振り返り、騎士達は不満顔ながらも攻防の手を止めた。
「帰るよ」
 フローランが軽く片手を振ると、彼は渋々といった様子で各々の武器を収める。

「待ちなさい! 逃げる気――」
「だから、今回は君に用は無いって言ったよね?」
 アシュレイの叫び声は、振り返ったフローランの言葉により遮られた。
「っ……!」
 悔しげに唇を噛み締める彼女を、彼は嗤う。
「じゃあね」
 そして、フローランとエディット、並びに騎士達はすぐに去っていった。
 その殿が見えなくなっても、アシュレイは苛立たしげに騎士達が消えた方向を睨み付けていた。
「あー、むかつく! 何なのよあいつら、いったい何しに来たのよ!」
「どうやら私に御用があったようです」
 声に反応すれば、そこにはいつの間にか居なくなっていた筈の《情報屋》が立っていた。その表情には変わらぬ笑みを湛えながら。
 その顔にアシュレイが何か言うよりも早く、彼女の下に行ったレオンスが声をかけた。
「大丈夫だったか?」
「はい、特に問題はございませんでした。御心配を御かけして申し訳ございません、雇い主」
「いや、何も無かったなら良いんだ」
「では、私はこれにて失礼させていただきます。御機嫌よう、皆さん」
「ああ、またな」
 スカートの両端を摘まんで優雅に一礼した刹那、空気に溶けるようにして《情報屋》の姿は消えた。
「き、消えた!?」
「行ってしまったか」
 彼女を見送ったレオンスの後ろで、ターヤは驚きに目を見張り、エマは残念そうに嘆息した。主に前者の反応に苦笑しつつ、レオンスは答える。
「あれは支援魔術の一つだよ」
「あ、そうなんだ。まだまだ知らない事ばっかりだなぁ」
 うーん、と考え込み始めたターヤの後ろでは、アクセルとアシュレイがある事に気付いていた。
「そういえば、霊峰ポッセドゥートの場所、結局訊き忘れたわね」
「そういやそうだったな……ってどーすんだよ! 行けねぇじゃねぇかよそれ!」
 冷静に言うアシュレイにアクセルは突っ込み、エマを見る。
「おい、エマ。どーすんだよ?」
「そうだな、これは失態だった。レオンス、もう一度《情報屋》に会う事はできないだろうか?」
 しかし彼は首を振った。
「それは無理だな。彼女はなかなか多忙だし、どこに行ったのかは俺も知らないよ」
「使えないわねー、あんたって。それでもあの女の『雇い主』なの?」
 ずばずばと言いたいことを口にするアシュレイだが、その理由を知るレオンスは気にせず、自嘲気味に笑う。
「互いに干渉しすぎない、それが俺と彼女の契約内容だからな」
「ふぅん」
 つまらなそうに鼻を鳴らし、で、とアシュレイは続けた。
「本当にどうすんのよ、これ。というかあの女、結局肝心の情報を話さないとか、そもそも《情報屋》としてどうなのよ」
「それも、そうだな」
 弱々しく肯定の意を見せたレオンスに、てっきり言い返されるか怒られると思っていたアシュレイは驚いて両目を瞬かせたが、彼がそれを見て苦笑している事に気付くと、途端に咳払いをして誤魔化す。
「と、とにかく! 誰か霊峰って言葉に聞き覚えがあったりしない訳?」
「そういうおまえはねぇのかよ? さっきから噛まずに霊峰の名前を言えてるみてぇだし」
 赤みがかった顔を隠そうとあらぬ方向を見て腕を組むアシュレイに、寧ろアクセルが突っ込んだ。

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