The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
十二章 盗賊達の杯‐clue‐(12)
「引き分け!」
瞬間、歓声と拍手が巻き起こる。自分達のリーダーが強い事は知っていた〔屋形船〕の面々だが、その対戦相手が同等の強さとまでは知らなかったからだ。故に、惜しみない賛辞がアクセルへと送られる。
「すっげぇなぁ、あの兄ちゃん! お頭と引き分けたぜ!」
「やるなぁ坊主!」
「まさにあっぱれだな!」
様々な声が入り乱れる中、床に倒れた二人は意識こそ飛ばさなかったものの、ほぼ全身に酔いが回っており、起き上がれない状態だった。
「そんなになるまで飲んじゃって、あんたって真正の馬鹿ね」
「レオン、飲みすぎよ」
そんな彼らに、それぞれかけられた声は二つ。
「お、アシュレー。ちゃんと見てたかー? 俺は負けなかったぜー」
答えられる状態であるようだが、その声は伸びきっていた。
呆れた、と大きく溜め息を吐いてから、アシュレイはアクセルの腕を掴んで自身の肩に回すと、もう片方の手は彼の背中に回して起こそうとする。
「でも、勝ってもいないじゃない」
気付いた青年が開いた右手を地面に付いて補助にした為、彼女は体格差のある相手を起こす事には成功した。しかし上半身だけとはいえふらついて不安定なので、しばらくは傍に付き添う事にする。非常に不本意ではあるのだが、助けてもらった事には違いなく、これは借りを返しているだけだ。
「まーなー。でも、負けなかったんだから良ーだろー」
酔っぱらいの戯言だと聞き流す事にした。
「ほら、レオンも起きて」
向かい側ではレオンスもまた、見覚えのある少女の補助により上半身を起こしていた。
(あれは……)
アシュレイの記憶が正しければ、アクセルから財布を盗ろうとした少女だ。何より、先程まで彼が捜していた筈の少女で、名を『ファニー』といったか。あの時は別の事に脳内が埋め尽くされていたので、しっかりとは見ていなかったのだが。
相手も青年を起こし終えてから相手を認識したらしく、気まずそうに視線をこちらから――主にアクセルから逸らした。
しかし、あれほど怒っていた筈のアクセルは、既に彼女の事などどうでも良さそうだった。いや、多分これは完全に酔っ払った反動で忘れている。
(まぁ、結果オーライってとこかしら)
「はー……久しぶりに酔ったな。それにしても、結構強いんだな、アクセルは」
「おまえもな、レオンス」
すっかりと打ち解けてしまった様子の二人に、一行は目を丸くした。酒の力、恐るべしである。
「勝負は引き分けになったが、おまえのその飲みっぷりに免じて、情報はくれてやるよ」
情報を貰える事とアシュレイが罰ゲームをしなくて済んだ事に、一行は安堵する。
ギャラリーの熱気が高まっている事を目で確認すると、レオンスは赤い顔でにやりと笑い、空の杯をへろへろの手で持ち上げようとして失敗するも、ファニーに助けられてようやく様になった。
「よし、もうとっくに日も暮れてるみたいだし、今度は親睦を深める為に全員で飲むとするか! ここに〈酒宴本祭〉を宣言する! 野郎共、宴だ! 好きなだけ飲めよ!」
おぉーっ! と〔屋形船〕の面々がこぞって上げた歓喜の声に、彼ら以外はそれぞれの反応を取るしかなかった。
かくしてレオンの一言により、彼ら言うところの〈酒宴本祭〉は、ここに開催されたのだった。
「おーい! ビールきれちまったぜー?」
「おいおい、おめぇは飲みすぎなんだよ!」
「そう言うてめぇこそ何本開けてんだよ」
四方八方から発される賑やかな声が飛び交い、それは決して狭いとは言えない筈の空間の中を、あたかも満杯であるかのような印象をターヤに植え付ける。
酒を何本も煽る者、一気飲みで場を沸かせる者、立ち上がって芸をしたり踊り出したりする者、賭博に興じている者、誰かに絡む者、既に酔い潰れている者、などなどさまざまな様子が見受けられた。
(うわぁ……何だか、凄いなぁ)
彼女は初めて目にする光景を前に、未だ呆然とした顔で口を半開きにしており、予防線としてメイジェルから渡されたジュース入りのコップを握り締めたままだ。眼前で繰り広げられる大宴会への驚きからか、まだ口は一度も付けていない。
「飲まないのか?」
その隣にエマが腰を下ろした。手にはコップを持っている。
「何か訊けた?」
「いや、無理だった。あの様子では返答など望めそうにないな」
問いかけには苦笑で返された。
引き分けになったとはいえ、レオンス自身が情報を与えるとその口で言ったのだから、その約束を酔いで忘れられない内に果たしてもらおうと考え、エマは彼のところまで行っていた筈だ。
だが、無理だったという事は、案の定アクセル共々レオンスも酔いが回っていたらしく、結局は何も訊けなかったようだ。
「どんまいだね、エマ」
「酒宴の席で持ち出すに値する話題ではなかったという事だな」
互いに冗談めいて言葉を紡いでから、二人、顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。
「それにしても、エマと二人って珍しいよね。いつもはアシュレイがべったりだから」
「今回ばかりは、アシュレイもアクセルに付いたままになりそうだしな」
そう言って動かされた彼の視線の先には、若干嫌そうな顔のアシュレイと、その肩に腕を回したアクセルの姿が見えた。
どちらともなく、再び苦笑が漏れる。
あそこまで露骨に表情を歪めなくても良いだろうに。そう思いながら下向きになっていた視線を持ち上げて、柔らかく微笑んでこちらを見ているエマと、目が合った。その笑顔に思考も何もかも吹き飛んだ瞬間、何が何だか解らなくなって、全身が熱くなったかと思えば、特に頬が爆発しそうなレベルで、だから生じた熱を誤魔化すように、一気にコップの中のジュースを飲み干す。
「ふぇっ?」
瞬間、世界がぐら付いた。
「ターヤ?」
驚いたエマが咄嗟に手を伸ばして支えてくれたので転倒は免れたものの、だんだん意識はぼんやりと霞がかっていく。同時に、何だか気分もふわふわしてきた。
(何だろ、これ……)
とろんとした目と不安定な身体から、もしや急な熱に襲われたのではないかと推測したエマは、彼女の頭を自身の膝の上に乗せると、体温を確認するべく手袋を脱いだ。
「ターヤ、大丈夫か?」
額にぺたりと触れた、冷えた何か。温度と感触が非常に気持ち良くて、彼女は手を伸ばしてそれを掴むと、自らの頬に持っていった。
彼女の行動にぎょっとするエマだったが、そこで終わりではない。
「きもちぃなぁ」
あろう事か彼女は、その手に頬ずりを始めたのだ。その姿は、まるで小動物のようだった。