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十二章 盗賊達の杯‐clue‐(11)

「でっ!?」
 その背に、強烈な蹴りをくらった。
 犯人は言わずもがな、アシュレイである。その顔は酒場に来た時と負けないくらい真っ赤になっており、珍しく息も上がっていた。
「ててて……いきなり何すんだよ、アシュレイ」
「それはこっちの台詞よ、このど馬鹿!」
 彼が振り向くと同時、彼女はその胸倉を勢い良く掴むと引き寄せた。顔と顔との距離が格段に縮まるが、他の事に意識の向いている彼女は気付いていない。
「あんたねぇ、人の了解も取らないで勝手な事決めてんじゃないわよ! しかも何でそこであんたが代表なのよ! ここはあたしが出るべきでしょう!」
「そんな事言われてもなぁ……おまえ、酒に弱いだろ」
「うっ……それは、そうだけども……でも!」
 呆れ顔のアクセルに痛いところを突かれ、急速にアシュレイの勢いが萎んでいった。そのまま彼女は「でも」と「だって」を繰り返しながら、要領の得ない呟きを続けるだけである。
 それに耐えかねた彼は彼女の手を離し、その頭に手を乗せるとエマがターヤにするように撫でた。
「わっ……な、何すんのよ」
 慣れない感覚に思わず唇を尖らせるアシュレイだが、その子ども染みた仕草にアクセルは苦笑する。そして複雑そうな顔になった彼女へと、得意げな顔で告げた。
「それに、俺は酒盛りじゃ負けねぇよ。見てろ、おまえの為に勝ってやるよ、アシュレイ」
 とんだ爆弾である。本人は無意識らしく何事も無かったかのように手を離して行ってしまうが、言われた方はといえば先程のまでの比ではない程に茹で上がっていた。
 この一連の場景には、アシュレイに向けられていた負の感情が霧散させられてしまい、そこでギャラリーは真にレオンスの言葉を理解したのだった。あれほど赤くなった一少女が、まさか〔軍〕の《暴走豹》だとは――〔屋形船〕にとっての脅威になるとは誰も思うまい。
「アクセルがレオンスみたい……」
 ぽつりと呟かれたターヤの言葉には、メイジェルやシーカを含めたギャラリーが大きく頷いて賛同した。
 そしてエマはといえば、彼の真意を知って呆れた後、苦笑いを浮かべていた。
「おまえ、なかなかの色男だな」
 何本もの酒瓶を挟んだ向かい側に、どっこらしょと腰を下ろした対戦相手に声をかけると、心底嫌そうな顔が返された。
「野郎に言われたって嬉しくねぇよ」
「それもそうだな」
 レオンスとしても冗談交じりの言葉だったので、前置きの雑談はこのくらいだと言うかのように中央の一本に手を伸ばす。
「それに」
 だが、そこで終わりかと思われた言葉には続きがあった。
 それは予想してもいなかったレオンスは、瓶を手元に引き寄せるついでに何気無く視線を動かし、相手が浮かべていた顔を見て不覚にも呆気に取られてしまう。
「俺はあいつの為なら何でも頑張れるんだよ」
 その柔らかく優しげな表情が、残念ながら後ろに居る彼女には見えない事を、レオンスは非常に残念だと感じた。
「ん? どーしたんだ? とっとと始めよーぜ?」
「ああ、そうだな」
 同じく酒瓶一本を手にした相手に言われ、レオンスは意識を現実へと引き戻される。シーカに目で合図を送ると、彼はしかと頷いた。
「そんじゃ、ここに〈酒宴前夜〉を宣言しやす!」
 その言葉を合図として、二人の青年は同時に王冠を素手で吹き飛ばした。
 そして次の瞬間、予想外の一気飲み。しかも二人同時だった。

 途端に、わっとギャラリーから好評が上がる。
 これには何か言いたそうな顔をするエマだが、勝負に水を差してはならないと思い、出かけた言葉を飲み込んだ。
 その間にも、二人は手当たり次第に瓶を開けては一気に飲み干している。嗜む程度には酒に強いとの自負があるエマとしても、このスピードは異常に感じられた。しかも、彼らは無理矢理飲み進めるのではなく、味を楽しんでもいるようなのだ。
(アクセルが酒豪なのは知っていたが、相手もなかなかに強いな)
 今のところアクセルとレオンスの速度は互角であり、二人の横には同じ数だけ空になった瓶が置かれている。現時点では勝敗の予測も付かないので、どちらが勝つかとの賭けをしている者はあまり居なかった。
 それから数時間が経過したが、相変わらず二人には少しの差も付いていない。流石に一気飲みはしなくなったのでスピードは落ちているが、それでも二人はまだまだ余裕の表情だった。あれだけ飲んでおいて、よく厭きないものだとすら感心してしまうエマである。
 ギャラリーは未だ興奮冷めやらぬ様子で熱気は維持されているが、マンスは厭きてしまったようで座り込んでいた。ターヤはとっくにメイジェルの隣に移動しており、アシュレイの頬には未だ赤みが差している。
 そんな中、ぴたりとレオンスの手が止まった。
 比例するかのようにアクセルの手も止まり、皆の視線が集中する。
「なあ、このままだといつまでも決着は付かないだろ。どうだ、度数の高い酒でも煽らないか?」
 彼の提案には、その言葉の意味するところを知るギャラリーやメイジェルが大きくざわめいた。ついにあれをやんのか、ぶっ倒れちまうかもしんねーぞ、お頭を本気にするたぁあいつ凄ぇな、などの声が耳で拾えた。
 理解に及ばないでいた一行は彼らの言葉で何となく状況を把握し、アクセルを見る。
 レオンスに代わって全員の視線を受けた彼は、不敵な笑みを浮かべた。
「良いぜ、何だろーが受けて立ってやるよ」
 途端にオーバーヒートするギャラリー、唖然とするターヤにマンス、もう知るかと言わんばかりのエマ。
 そして、先程以上の熱に襲われたアシュレイ。
 行きの良い返事に満足気に頷くと、レオンスは「あれを持ってきてくれ」とギャラリーの一人に指示を飛ばし、戻ってきた彼に渡された物を人々に見せつけるかのように力強く中央に置いた時、ざわめきは更に深まった。
 そしてその瓶のラベルに書かれている文字に、アクセルとエマとアシュレイは見覚えがあった。
「よりにもよって、〈混沌魔王〉かよ」
 混沌魔王。その名が示す通り、一口でも口にすると即座に酔いが回り、その場をカオスにしてしまうとされる、この世界で最もアルコール度数の高い酒だ。
「メイジェル、あれってそんなに凄いお酒なの?」
「少なくとも、アタシは一生飲みたくないわ」
 呆れたようなその返答が全てを物語っている、そうターヤには感じられた。
 蓋を開けると、レオンスは同時に用意されていた杯二つに、それぞれ同じ量を注いだ。それを相手の前に置き、自分の分を掲げてみせる。
「この酒の事は知っていると思うが、こいつはアルコールが高すぎる。だから、一杯だ。同時に飲んで、そこで倒れた方の負けにしよう」
「あぁ、良いぜ」
 アクセルもまた杯を手にすると、相手と同じ高さまで持ち上げた。
 そして、二人同時に杯を傾ける。
 うぉぉっ! とギャラリーが声を上げた。
 喉の動きまでもが一緒で、まるでシンクロしているようだ。そうターヤが感じた時、二人の口が同時に杯から離れ、同時に背中から床に倒れ込んだ。
「この勝負――」
 素早く駆け寄ったシーカは二人を注意深く観察し、ギャラリーは固唾を呑んで見守る。
 二人とも起き上がらないので、審判である彼が強く酔っている方を見極めて判定するのだろう。
 アシュレイが、無意識のうちに胸の前で両手を握り締めていた。

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