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十一章 静かに軋む‐the same race‐(7)

「何が違うんだよ?」
 少年が答えられないのを知っていて、にやにやと笑う意地の悪い顔。
 相手の表情に更に煽られてか、少年は益々むきになっていく。
「だからっ、僕は感覚で掴めるからっ……!」
「けどよぉ、相手にも解るように説明できなきゃだぐうぇっ!?」
 唐突にアクセルの頭上に現れた手が、高速で彼の頭部にチョップをお見舞いする。その際に快音が聞こえたのは、決して気のせいではないだろう。
 ぽかんとして見上げるマンスの目には、しゃがみ込んだアクセルの後ろに立っていたエマの姿が見えた。
「ってぇ……いきなり何しやがんだよ、エマ!」
「貴様がマンスを苛めているのを止めただけだ」
 すぐさま立ち上がって振り向くも、絶対零度の眼で見下ろされた上に同様の冷気を放つ声で言われてしまえばアクセルに勝目は無い。彼は一言も反論もできず、ばつが悪そうに顔を逸らすだけだ。
 その様子に呆れたような顔を向けてから、エマは未だ上半身をふらふらさせたまま座しているターヤに気付くと、その頭を優しい手付きで撫で始めた。
 しばらく撫でられるうちに彼女の顔が気持ち良さそうに破願する。
 それを見て、魔力酔いか、と呟いたエマに、あぁ、と呟きで返してからアクセルは何となく彼に尋ねてみた。
「つーか、おまえいつから帰ってきてたんだよ」
「つい先程だ。御前達二人が騎士に追われているというから慌てて戻ってきてみたのだが、問題は無かったようだな」
 その溜め息は安堵交じりだった。
 それを目にしたアクセルが、途端に笑みを浮かべた。先程と同じ、彼が誰かをからかう時特有の、意地の悪い笑み。
「何だ、心配してくれてたのかよ。けど、俺が居たんだから何も問題無ぇだろ?」
「だから余計に心配なんだ」
 だがしかし、それくらいで動揺するエマではなかった。寧ろ仕返しとばかりにあからさまに大げさな溜め息を吐き、わざとらしく肩を竦めてみせる。
「貴様は生粋のトラブルメーカーだからな、その騒動にターヤが巻き込まれてしまっては可哀想だ」
「何だとこらぁ!」
 今回はエマの勝ちだなと、ようやく魔力酔いから解放されたターヤは二人を眺めながらそう思った。
 それにしても魔力酔いは二度と体験したくはないものだ。足元も覚束なくなるし、身体の感覚は無くなるし、頭は正常に作動しなくなるし、実にみっともない様子にもなる。
(しかも、またアクセルに足になってもらっちゃったし)
 騎士団本部の裏手でも感じた事だが、やはり自分は皆に助けられてばかりだ。結局のところ自分一人でできた事など数える程しかない。
 しかも、せっかく二人に危険を冒してまで連れていってもらったというのに、最終的に自分は何も得られず、ただ逃げるようにして帰ってきただけだ。その際にもアクセルの助力が無ければ、無事に戻れていたのかどうかも不明瞭なくらいに。
(こんなんじゃ、駄目なのに)
 人間すぐには欠点を変えられない事は解っている。それでも、これ以上誰かの負担にはなりたくなかった。ぎゅっとスカートを握り締めて、
「お? 何だ、酔いは覚めたのかよ?」
 かけられた声に俯けていた顔を上げればアクセルと視線が合う。
 それに気付いたマンスとエマも声をかけてくれる。
「おねーちゃん、だいじょぶ?」
「もう大丈夫なようだな」

「あ、うん、ごめんね」
 えへへ、と苦笑いを浮かべると、そこで揚げ足を取ってくる奴が一人。
「そーそー、ここまで連れてきてやったのは俺だしな。感謝しげっ!?」
 無論、最後まで言わさず二回目の差し止めチョップが直撃した。そこを押さえながら「痛ぇ」と再度しゃがみ込んで呻く青年は無視して、エマはターヤに向き直る。
「ターヤも、治ったからと言って侮らないように」
「うん、解った」
 返事をしながら、エマは兄というよりは母かもしれない、と感じたのは彼には内緒だ。
「だが、結局ターヤの事は何も解らなかったな」
 あ、とエマの言葉に口が半開きのまま固まった。そういえば、すっかりと首都を訪れた目的が『エディットに会ってターヤの知りたい事を訊く』にすり替えられていた。彼ら二人の当初の目的は『ターヤを知る人物を捜してくれる』ところにあったというのに。
「ごめんなさい」
 今更ではあったが、頭を下げる。
 それに気付いた二人が訝しげに彼女を見た。
「何で謝るんだよ?」
 立ち上がったアクセルが首を傾げるが、彼女には申し訳なさから彼らの顔が直視できそうにない。
「だって、その、わたしを知ってる人を捜してくれるって、言ってくれたのに。結局、わたしの用事を優先させちゃったし……」
「構わない。それに、貴女が自分から望んだ事だ。私達はそれを自分の意志で助けようとしたにすぎない」
「行く前に言っただろ、ターヤ一人で行かせるのは心配だってな?」
 だから気にしなくて良いと、そう言ってくれるエマもアクセルも優しい。それが嬉しくて、ほっと安堵しかけて、
「それで、目的の情報は入手できたのか?」
 その言葉に一瞬にして全てが冷え切った。言葉が出てこなくなる。

『良いの? 君は[世界樹の街]の事を訊く為に、わざわざ危険を冒してまでここに来たんだよね? それなのに、自分のエゴに仲間を巻き込んでおいて、そのくせ何も得ずに帰るの?』

 フローランの言葉が、はっきりと脳内に響いた。
 思わず先刻よりも強く両手を握り締める。もう視線は誰とも合わせられなかった。
「ごめん、なさい」
 そう言った時、僅かにエマの表情が歪んだように見えた。
「何も、訊けなかったの」
 言いながら顔が下がっていく。それでは逃げているだけだと叫ぶ自分が居るのに、身体が言うことを聞いてくれなかった。怖い。恐い。二人の顔が見れない。ごめんなさい。ごめんなさい。わたしのエゴに巻き込んで、ごめんなさい。それしか脳内には浮かばなかった。
「幾ら二人が自分の意志でついてきてくれたからって、目的が果たせなかったら、それは二人を振り回した事に代わりないのに……」
 先程よりも強く、膝の上で手を握り締める。
「っ……ごめんなさい!」
 土下座にも近いくらいに上半身を屈めて、両目を瞑って、彼女は叫んだ。
 周囲が静まり返る。
 ターヤは顔が上げられなかった。一瞬だけ見えたアクセルの顔は別に気にしていないようだったが、エマの表情は動いたように窺えたし、また心の底から二人に罪悪感を覚えていたからだ。
「最初から、あの《死神》が無条件で情報を提供するとは思っていない」
 だから、予想外すぎた言葉を耳が捉えた時、恐る恐る顔が上がった。そうすればエマがこちらを見下ろしている事が解るも、そこに憤りの色は見えず、寧ろ何事かを言いあぐねているようにも見えた。
 呆気に取られたような顔を向けられたエマは、少々申し訳無さそうに告げる。
「だから、悪いが〔騎士団〕本部では二人を囮にさせてもらった」

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