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十一章 静かに軋む‐the same race‐(6)

 青年が嗤う。
「ねぇ、あっちゃん」
 びくり、と肩が揺れた。まるで今まさに親に叱られている最中の子供のような表情で、少女は上司を見る。
「わつぃの命令が、本当に聴けないの?」
 眼前に聳え立つ青年は現在の彼女にとっては『恐怖』の象徴でしかなく、しかし一方では反抗心を抱いてしまう存在でもあった。それらが鬩ぎ合い交じり合い、少女の中で解けていく。マーブル模様のように、くるくると回りながら。
「ねぇ?」
 催促するような声。一気に怒りの色が濃くなったが、それでも胸の奥で燻ぶり続ける不快感に懸命に蓋をしながら、アシュレイは膝を折ってニールの前に跪いた。喉の奥から無理矢理引っ張り出されたかのように声が紡がれる。
「……いえ、承知いたしました、我が主人よ」
 その時、青年が薄く嗤った事にも少女は気付かない。
 結局のところ、彼女は彼の『道具』でしかなかった。


「はふぅ……ただいまぁ」
「今帰ったぜー!」
 騎士達を退けた事ですっかり安心しきっていた二人はと言えば、皆の待つ死灰の森の中に足を踏み入れるまではアンデッド系モンスターの事など綺麗さっぱり忘却していた。何気無く歩いていたところをそれに急襲されて驚いたターヤが悲鳴と共に凄まじい速度で防御魔術を乱発、四方八方へと吹き飛ばしたのにはアクセルも唖然としてしまった程だ。
 しかし結局のところ彼女は後方支援、すぐに魔力が尽きかけてしまった。
 故に〈結界〉に入るまでは再びターヤをその肩に担ぎながら、アクセルは襲いくる死霊達を適当にいなしていた訳である。
 ちなみに再度不本意な体勢を取らされたターヤではあるが、初めて魔力をフルに使った反動で目が回りかけており、それどころではなかったので気付いてすらいなかった。
「おっと、大丈夫か?」
 流石に様子が変だと思ったのか、アクセルがゆっくりと岩の上に下ろして座らせてくれる。
「ふへっ……何か、変な感じがするよぅ」
 さながらアルコールに酔った下戸のように、ぼけーっとした顔のターヤが答える。
 あー、とアクセルはぼりぼり後頭部を掻いた。
「こりゃ完全に〈魔力酔い〉起こしてんな」
「魔力酔い、ってなーに?」
 お帰りー、という声と共にマンスが近づいてくる。
 双子龍はその場を動かず、スラヴィはこちらを見向きもしていなかった。
「何だ、知らねぇのかよ」
 てっきりマンスは知っているとばかり思っていたアクセルには意外な事だったが、本人からしてみれば知らない事は知らないのである。
「で、何なの、それって?」
「あー……魔力酔いってのはだな、まぁ何だ、そのまんま酔ってんだよ、魔力にな」
「そんなんじゃ解んないよ」
 頬を膨らませて抗議すると、その頬を人差し指で突っつかれた。その為、本気でどついてやった。すると、相手は痛そうに脛を抑えていた。ちょっぴり良い気味だ、と思ってしまった事は自分以外には内緒である。
 一方、蹴られた方のアクセルはといえば、存外馬鹿にできないダメージを負ってしまったようで、屈み込んでそこを押さえていた。
「いってぇ……」
「はーやーくー」
「へいへい。ったくよぉ」
 急かせば、ぶつぶつと悪態をつきながらも要望には応じてくれる当たり、彼は意外と面倒見は良いのかもしれない。

「まず、魔力ってのは無限にあるもんじゃねぇだろ? 幾ら魔術とかの素質があるっつっても、そいつによって魔力の含有量、上限が決まってんだ」
 そこで一旦アクセルはマンスに視線を向けてきた。
 それは知っている、とばかりに頷けば、話が再開する。
 アクセルの説明を要約するとこうだ。
 術者は魔術を扱える素質を持っているが、だからといって無限に魔術を扱える訳ではない。そもそも魔術を扱うには体内の〈マナ〉を魔力に変換する必要があるからだ。また、その変換できる量には個人差がある。故に魔術を行使しすぎると身体を構成する〈マナ〉が危険を感じ、変換を強制的に止めさせる。するとその反動が術者の身体を構成する〈マナ〉自体に響き、一時的に上手く機能しなくなるのだ。そうなると脳にも少なからず影響がある訳で、まるで酔ったような状態になる。
 これを、人は魔力酔いと呼ぶ。
 ちなみに人によってはひどく苦しんだり、そのまま病気に至る事もあるようだ。
「へー、そうなんだ」
 軽く戦慄を覚えつつも、なるほど納得という顔で相槌を打つ。
 今度はアクセルが不思議そうにマンスを見た。
「おまえって《召喚士》だろ? なのに知らなかったのかよ」
 動物や魔物ならばそうでもないのだが、〈元素〉を司る存在である精霊は契約するにしても召喚するにしてもいちいち莫大な〈マナ〉を消費する。故にこそ、精霊を喚び出すには『素質』や『才能』が必要だと言われているのだ。
 その事を知っているからこそ、アクセルはマンスならば〈マナ〉関係にも詳しいのではないかと思っていたのである。
 呆れたような物言いに、聞き捨てならないとばかりにマンスの目が光る。
「む、それこそ誤解だよ! 良い? 精霊術と魔術はよく似てるって言われるけど、本当はかなり違うの!」
「へー、例えばどこらへんが?」
 自分から話題を振っておいて気の無い返事をする青年にはかちんと来たが、ここは我慢だ。いかに自分が外見は『お子様』でも内面は『大人』なのか、しっかりと眼前の情けない年上に提示してやらなければ。内心でそう気合を入れると、マンスは胸を張って話し始めた。
「まず、精霊術は魔力を使わないんだ」
「じゃあ何を使うんだよ?」
 形から入らんとばかりに指を立てたところで話の腰を折られ、少年はむっとする。だが、ここでも我慢だ。
 しかし青年が笑っていないところを見ると、からかっているのではないらしい。
「それはね、……えっと」
 気を取り直して説明しようとしたのだが、肝心なところで言葉が出てこなくなった。
(な、何だったっけ……?)
 必死に思考を巡らしてみるのだが、生憎と何一つ思い出せない。確かに精霊術に関する講義は一通り受けており、その中には魔術との違いについての話もあったというのに。
 余談だが、マンスール・カスタは文字通りの『天才』だ。こと召喚魔術、精霊術に関してはそれらを何年にも渡って専攻している里の大人達でも右に出る者は居ない程だった。故に彼は講義など受けなくとも自然と精霊の声を聴き、自身の感じるがままに〈契約〉を済ませてしまい、あまつさえ術をも一日とかからずに習得してしまった訳であり、だからこそ後から教わる平坦で退屈な理論など頭に入る筈も無かった。
(も、もうちょっとちゃんと聴いとくんだった)
 そしてそのツケは、今となって形を成していた。
「何だ、解んねぇんじゃねぇかよ」
 ここでアクセルの意地の悪さが発動し、マンスは思わず反論した。
「なっ……ち、違うよっ!」

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