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十一章 静かに軋む‐the same race‐(5)

 それは少年も同様なようで、彼は無言且つ速足で進んでいた。使いであるに関わらず、後ろのアシュレイを気遣おうともしない速度だ。
 それを知りながら、それでも彼女は気にしない。嫌悪される事にも敵視される事にも憎悪される事にも、あまりにも十五歳の少女は慣れすぎていた。
(確かに、あたしは一般人から見れば『化け物』よね)
 自嘲を浮かべたところで、ふいにロヴィン遺跡で《死神》に言われた言葉が脳内に蘇える。

『君は明らかに弱くなったね。五年前の君ならば《狩猟豹》と言うに相応しかったけれど――今の君は、ただの《暴走豹》だ』

(そんな事、言われなくたって解ってるわよ)
 唇を噛み締めて表情を歪めて、
「着きました」
 前を行く少年によって変更を余儀なくされた。我に返って俯け気味になっていた顔を上げれば、そこには見慣れた大きな扉が一つ佇んでいる。
 そのまま少年によって開かれた扉の先では、一人の人物がソファに腰を下ろしていた。
「お帰り~、あっちゃーん」
 二大ギルドの片翼を担う〔軍〕のギルドリーダーとは思えない気の抜けた声に、部下が溜め息を吐いたのは言うまでもない。
 この男、容姿こそはユベールと大差無い年齢の少年の姿をしているが、実際は年齢不詳の青年だ。加えて世に名を馳せる〔モンド=ヴェンディタ治安維持軍〕が《元帥》であり、その名をニールソン・ドゥーリフという。愛称はニール、ただしこれはアシュレイだけに許された名でもあった。
「ただいま、ニール」
 こちらも溜め息交じりに挨拶を返せば、横から射るような視線が一つ。確認しなくても、この場にアシュレイを嫌う者は一人しか居なかった。
「……カルヴァン元帥補佐、ちょっと席を外してくれないかしら?」
 普段通りの無言の圧迫に面倒臭さを感じて声をかけるも、やはり相手は動く事も応える事もしなかった。彼にとっての実質的な上司は《元帥》だけであり、幾ら『元帥のお気に入り』といえども従う義務など存在しないからだ。
「ごめんねー、ユベールく~ん」
 それを見ていた青年が口添えしなければ、二人は無言のまま睨み合っていたところだったろう。
「元帥がそう仰るのであれば」
 ようやく折れた少年が退室するのを見送ってから、 くすくすと上司が揶揄してくる。
「相変わらずあっちゃんとユベールくんは仲が悪いね~」
 知っているくせに、と言いたくなった。
「カルヴァン元帥補佐が私を嫌いだそうだから」
 それでも当たり障りの無い返答をして、彼女はすぐに話題を転換する。
「それで、私に何の用? わざわざ召還するって事は、重大な任務でもあるんでしょう?」
「んー、話を逸らしちゃダメだよー、あっちゃ~ん」
 その筈が、上司によって綺麗なまでに軌道を戻された。
 これではわざわざ修正した意味が無い。わざとらしく大げさな溜め息を吐いてやろうかと本気で考えた。
「二人ともわつぃの大事な側近なんだから~。仲良くして欲しいなー?」
 知っているくせに、と思わず眉を顰める。今度は隠す気もさらさら無かった。故に、自然と他人行儀な表情と声色が面に現れる。
「では、愛称で呼ばずに敬語を使えと――ニールソン・ドゥーリフ〔モンド・ヴェンディタ治安維持軍〕元帥閣下?」
「あははー、まさかそんな事は言わないよ~」

「それで、私に用事があるんでしょう?」
 へらへらと至って普段通りに笑う上司に嘆息してから、彼女は再び本題に入る事にした。どのくらいの時間を費やすかについては伝言に含めていないのだが、これ以上彼のペースに合わせる義理はあっても理由は無い。
 元帥も元帥で無駄話はここまでと思ったのか、あっさりと話を進めてくれた。
「そーそー、君と一緒に居る白い娘のことだよ~」
 一緒に居る白い子、と言われて思い当たるのは二人ぐらいしか居ない。
(ターヤのこと?)
 全体的な色は白だけではないにせよ、マンスのことかもしれないが。
「あの子がどうかしたの?」
 だからこそ、彼女は密かに試してみる事にした。
 けれど、それを解っていて元帥は笑みを崩さず絶やさない。
「へー、あの白い子はターヤって言うんだね~」
「勝手に読まないで」
 眼前の少年にしか見えない青年が読心術を習得しているのは知っている。今まで何度も読まれてきたのだから今回も回避できるとは思っていなかったが、それでも他人に心の中を覗かれるのは決して気持ちの良い事ではない。
 思いきり眉を顰めたアシュレイに対し、あくまでもニールは唇を尖らせただけだった。
「だってー、あっちゃんが意地張るから~」
 その子供の如き仕草にも彼女は油断しない。それが彼の仮の姿であり本質でもあると、よく実感していたからだ。
「で、ターヤがどうかしたの?」
「簡単な事だよー。彼女を監視して、異変が起きたら逐一報告してほしいんだ~。で、何か起こった時はわつぃが指示する通りの処遇にしてくれれば良いから~」
「!」
 衝撃はアシュレイを襲い呑み込むが、彼女は体勢を立て直そうとする。
「そんな事っ」
「できないのー?」
 言いかけた言葉は最後まで言えないどころか痛いところも突かれて、少女の中から余裕は急速に失われていく。それでも虚勢を張って気丈に佇むのは彼女の所以だった。
「っ……できるできないの問題じゃない! そんな信頼を裏切るような真似ができる訳ないじゃない!」
 相手が『彼』である事も忘れての憤激に、その『彼』は薄く目を開けた。
「へぇ、あっちゃんは逆らうの?」
「っ……!」
 途端に全身を悪寒と恐怖が駆け巡る。それを言動に出すような無様な真似こそしなかったものの、もしかすると表情には現れていたのかもしれない。
 そして、それを解っていてニールは追撃を止めない。
「わつぃの命令に従えないの?」
「それは……」
 確かに彼の言う通りで、アシュレイは返す言葉が見付からない為に俯くしかなかった。
「君は、変わったよね」
「……?」
 唐突な言葉に視線を上げれば、青年の顔は笑ってなどいなかった。
「わつぃと出会った頃の君は、本当に《狩猟豹》の名に相応しいくらい機械的だったのに。今の君は、僕の命令に拒否を示すくらい、弱くなってしまった」
「……!」
 先程思い返したばかりの浅い傷は、抉られて更に深さを増す。何よりも青年のその貌は――眼は、彼女の更に奥底に居座り続ける古傷を強く突いた。その衝撃に、かろうじて繋ぎ止めていた心が罅割れそうになる。

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